第20話 私は、あの人を助けたい
《生命反応:低下》
《救護班到着まで三十五秒》
《罠再起動まで二十秒》
ガクの盾が、床に落ちた。
金属音が回廊に響く。ノアが唇を噛み、血で濡れた手を押さえている。
「サヤ、来て。お願い」
いつもの毒はなかった。
サヤは杖を握る。
緑の光は、まだ細い。ガクへ伸びようとして、途中で折れる。折れた先が、ユウマの方へ戻ってくる。
サヤはユウマを見た。
炎上している男。
食事に、ありがとうと言ってくれた人。
自分の治癒が一番強く届く人。
次に、カメラを見た。
赤いランプ。流れるコメント。守られたい子。かわいそうな子。黒瀬に近づけるな。二階堂と組ませろ。
最後に、ガクを見た。
大きな体を丸めて、ノアをかばったまま倒れている。血の匂いが、石の湿り気に混じっていた。
ユウマは、サヤの視線を追わなかった。
決めるのは、彼ではない。
「俺に選ばれるためじゃなくて、久遠さんが助けたい人を選んでください」
サヤの喉が、小さく鳴った。
「でも、私」
「俺には分かりません。久遠さんの気持ちは、俺には見えない」
ユウマは続ける。
「でも、線がどこで切れているかは見えます。今、久遠さんの治癒は、久遠さんが見ていない相手には届かない」
《罠再起動まで十五秒》
床の魔法陣が赤く脈打つ。
ユウマは短剣を抜き、床に落ちた治癒光の残滓を踏まない位置へ動いた。サヤとガクの間から、ほんの少し外れる。
逃げたのではない。
自分を見なくても、光が通る線を空けた。
「俺は、そこにいません」
サヤは泣きそうな顔で、もう一度ユウマを見る。
ユウマを守りたい。
その気持ちは、消えていない。
消えなくていい。
でも、今、血を流しているのはガクだった。
サヤはユウマから視線を外した。
カメラからも外した。
ガクだけを見る。
「私は、あの人を助けたい」
声は震えていた。
けれど、今度は届いた。
杖の先の緑が、音もなく広がる。
細い糸だった治癒線が、サヤの足元から扇のように開いた。ユウマへ戻りかけていた光がほどけ、床へ落ちかける。
サヤは、息を止めた。
床じゃない。
上。
杖先を、ほんの少しだけ持ち上げる。
光は床を避けて宙へ浮いた。血の上を越え、魔法陣に触れず、ガクの体を包む。
淡い緑ではない。
白に近い、強い光だった。
《治癒出力:急上昇》
《対象:堂島ガク》
《対象固定エラー:解除》
《接続範囲:拡大》
《床面干渉:回避》
《未登録治癒波形:解析中》
【出た】
【サヤちゃん!?】
【黒瀬じゃなくてガクに届いた】
【床避けてる!】
【今の持ち上げたのサヤちゃんだよな】
【治癒で罠踏まないのうますぎ】
【これ、守られ治癒職じゃないだろ】
杭の周囲の出血が止まる。
同時に、ノアの腕に付着していた毒の黒ずみが薄くなった。ガクの呼吸が、少しずつ深くなる。床の魔法陣は治癒光を拾えず、赤い脈動を失った。
《罠再起動:停止》
《シンクロ率 二十%》
《接続範囲:広域化》
数字は上がっていない。
それでも、届く場所が変わっていた。
救護班が到着する。
「生命反応、安定。搬送可能。初期処置がなければ、搬送前に落ちていました」
管制の声が震えていた。
《堂島ガク》
《重傷状態から安定》
サヤはその場に膝をついた。
杖を握ったまま、泣きそうになっている。泣いてはいない。泣くより先に、息が追いついていなかった。
ユウマは近づきすぎない距離で止まる。
「届きました」
それだけ言った。
サヤは小さく頷いた。
【黒瀬、褒めすぎないのいい】
【主役サヤちゃんだ】
【でも黒瀬また泣かせた派もいる】
【ダイジェストでどう切るか怖い】
【サヤ、自分で選んだんだよ】
公式テロップはすぐに動いた。
《久遠サヤ、奇跡の治癒》
《守られ治癒職、初の広域接続》
《黒瀬ユウマの言葉は救いか、支配か》
美談にもできる。
炎上素材にもできる。
どちらにも切れるように、映像は保存された。
共同ハウスに戻ると、サヤはいつもより少しだけ顔を上げて歩いた。
二階堂が「無事でよかった」と微笑む。
サヤは頷いた。
その頷きは、前よりも小さくなかった。
レイナは廊下ですれ違うユウマを見た。
「……怪我は」
「もう治ってます」
「そう」
レイナは一度だけサヤの方を見た。
「いい治癒だった」
サヤが驚いた顔をする。
「ありがとうございます」
「床面干渉を避けたのは、久遠さんの判断ね」
レイナはすぐに視線を逸らした。
「戦力としての評価よ」
ノアが後ろで小さく笑った。
その夜、番組公式が短い速報を流した。
《本日の推しペア反応》
《黒瀬ユウマ×久遠サヤ 急上昇》
《二階堂ユウセイ×久遠サヤ 安定支持》
《黒瀬ユウマ×白銀レイナ 根強い本命票》
【サヤユウ来た?】
【いや二階堂サヤの安心感も捨てがたい】
【レイナ様、本命の圧がある】
【黒瀬、全方位に火種作ってる】
さらに、探索者向けの切り抜きが別に伸び始めていた。
《元Sランク荷物持ち、治癒反応型トラップで床面干渉を回避》
《黒瀬ユウマ、支援職の出力制御まで補助か?》
個人モニターの前で、レンが舌打ちした。
「たまたまだ」
背後にいた元パーティーのサポート役が、画面を見たまま黙っていた。
黒瀬が荷物だけでなく、罠の記録も、支援職の癖も、全部見ていたことを知っている者の沈黙だった。
レンは振り返らなかった。
その沈黙が、いちばん気に入らなかった。
リビングのモニターが自動で点灯した。
久我山トオルが映る。
黒いスーツ。穏やかな笑顔。出演者全員の顔が映るまで、彼は待った。
《特別ルール追加》
「次回から、視聴者投票で最下位の出演者は脱落」
誰もすぐには声を出さなかった。
続けて、画面の端に小さな表示が出る。
《暫定注目度》
《上位:白銀レイナ、桃瀬ミナ、久遠サヤ》
《変動大:黒瀬ユウマ》
《急上昇:久遠サヤ》
《危険圏:橘ノア、堂島ガク、神楽アリス――集計中》
ノアが笑わなかった。
ガクは黙って、自分の脇腹を押さえる。
サヤは、自分の名前と危険圏の表示を何度も見比べた。
ユウマはモニターではなく、出演者たちの顔を見た。
恋をする番組。
攻略する番組。
そのはずだったものが、別の音を立てて形を変える。
カメラの赤いランプだけが、全員の沈黙を逃さず撮っていた。




