女探偵、登場す
この人、危険な香りがする。
彼女がそう思ったのは、
「シオン王子殿下でいらっしゃいますか」
と、彼女が声をかけて彼が振り向いたときだった。明確な理由はなかった。その王子の顔つきや雰囲気から、直感が彼女の頭蓋にそうささやいたのだ。
といっても、この時点ではまだ仄かな予感めいたものにすぎなかった。
「そうだが?」
今の予感を表情に微塵も出さず、彼女はそのまま会話を始めた。
「初めてお目にかかります。私は名をペイシェンスと申しまして、この度のギルバート国王陛下の事件の調査に協力させていただくことになった者です」
王殺事件。
二日前、国王の執務室にてギルバート国王が胸を刺されて殺害された事件が起こり、この国を緊迫の黒雲が覆っていた。宮廷のあいだでは俗に“王殺事件”と呼ばれ始めている。
犯人はまだ捕まっていない。
ペイシェンスは、その事件のことを聞くためにシオン王子に話しかけたのだ。
声をかけた王宮の回廊から、二人はすぐ横手の庭園に移動する。鮮やかな花々の咲き乱れる庭園には、秋の陽光が降りそそいでいた。
「それで、父上が殺された事件の調査っていうと、君は検死官か何かなのか? 見たところ、だいぶ若いようだけど」
「殿下と同じ二十歳です。職業に関しては、私は検死官ではなく、探偵でございます」
「タンテイ? 何だそれ?」
「最近できたばかりの仕事ですので、ご存知でないのも当然ですね。一言で申し上げるなら、特定の人物や事象について隠された事実や情報を調べる職業です。私の場合は特殊で、それに加えて、殺人事件を調べることもあるのです」
「へえ」
「なんでしたら、そのご依頼を頂いた際の大臣との契約書をお見せいたしましょうか?」
「べつにいいよ。とっとと話を進めてくれないか」
シオン王子はやや不機嫌そうというか気だるげだった。父王が殺されたばかりだから当然なのだが、もしかしたらこれが常態なのかもしれない、ともペイシェンスは感じた。
「どなたかの質問の繰り返しになるとは存じますが、犯人に心当たりなどはおありでしょうか?」
「そりゃあ、明らかな心当たりがあれば、そいつを捕らえて締め上げてる真っ最中だけど、あいにく今のところ特にはね。まあ、一国の王なんだし動機なら複数思いつくよな。敵国による暗殺。家臣の企てた謀殺。はたまた従者の突発的な犯行」
「おっしゃる通りです」
「その中でも、特にくさいのはルークかな」
ルークとは、シオン王子やエミリア王女のいとこであり、つまりギルバート国王の甥である。王殺事件のあった夜、ただ一人、国王を護衛していた人物だ。
「陛下のいた執務室の前で見張りをしていた際、向かいの回廊に不審な人物を見かけて、あとを追いかけていた。その間に、陛下は殺されていたなんて、あいつが拵えた嘘のにおいがぷんぷんするね」
と、シオン王子が言った通り、ルークは事件当夜の自分の行動をそう説明している。嘘かどうかまではまだ何とも言えないが、仮に嘘だとすると、ルークがギルバート国王を刺し殺した犯人である可能性が出てくる。
「そうお思いになる理由がおありなのですか?」
「ルーク、あいつはそんな鈍くさい人間じゃないんだよ。不審な奴がいたからって持ち場を離れて追いかけて見失い、あげく主君を殺害されるヘマを犯すなんて。ポンコツな人間なら可能性がないとは言わないけど、あいつに限ってはどうもピンとこない」
「頭の良い方だとご評判のようですね」
「頭の良し悪しで言えば、もっと優れてるのは何人かいると思うが、あいつの気味悪いところは洞察力と言ったらいいのか、人を見抜く眼識のようなもんかな。何にせよ、そんな失敗を犯す奴ではないだろうさ。それに、ルークには動機もあるしな」
どうにも、シオン王子はルークに敵意があるようにもペイシェンスには感じとれた。
「動機?」
「玉座だよ。父上は第二王位継承者のルークに王位をゆずる気は毛頭なかった。継がせるなら、やっぱり直系男子のトリスタンにしたかったんだろうな。それはルークも気づいてたし、今回、父上が崩御なされたことで、またあいつにも即位の可能性が出てきたわけだよ」
「そうなのですね」
それは畢竟、第三王位継承者のシオン王子にも好機が到来したということでもあり、動機という面では、そのまま彼にも当てはまるということ。だがそれを今、ペイシェンスは口に出しはしなかった。
ペイシェンスはごますりのためにシオン王子に話しかけたわけではない。丁寧な口調ながら少しは異を唱えることにした。
「ただ、その洞察力と眼識の優れたルーク殿下が、ご自分がすぐに疑われるような嘘をおつきになるでしょうか?」
「知るかよ。それを考えるのが検死官や君の役目なんだろう」
おそらく、もうペイシェンスは王子に嫌われてしまったことだろう。だが、構わず質問を投げかける。
「事件のあった時間帯、シオン王子殿下はどちらにいらしたのですか?」
「これは尋問か?」
王子は眉をひそめながら口もとに微笑を浮かべるという、努と楽を同時に表現する離れ業をやってのけた。怒っているのかわからない。
「形式的な質問でございますので」
「その時間帯は、自室でくそしてるか寝てるかだったな」
「それを証明できる方は?」
「おいおい、自分の部屋でくそするたびに、今からしますね、なんて誰かにいちいち報告するのかい? いねえよ、証明できる奴なんて」
ああ、少し苦手なタイプの人だ、とペイシェンスは心中で頭をかかえて天を仰いだ。
が、この少し荒っぽい話し方とは異なり、容姿はわりあい整っている。背が高く、均整のとれた体つき。顔は若干くせがあるというか、角度によって美しく見えるときとやや歪んで映るときがあるが、均せば美男の部類に入るだろう。宮廷の人間たちの話では、この顔が若き頃のギルバート国王に酷似しており、それもシオンが王の子である証明のひとつとなったのだ。
「……ご自分の部屋にいらしたことを証明できる方は、という意味です」
「部屋に帰る直前に、廊下ですれ違った侍女くらいだな」
侍女なら偽証も強要できるし、もし本当のことを証言するとしても、国王が殺害された時間も完全に厳密に判明してはいないから、事実と齟齬は生まれるかもしれない。
「そもそも、王族や王宮の人間以外の可能性もあるんだろう」
「とおっしゃいますと、何か心当たりがおありでしょうか?」
「ないさ。でも例えば、全くの外部の人間がおよそ見当もつかない理由で王宮に入り込み、拗らせていた殺人衝動を今こそ発散すべだとかなんとか思って、たまたま目をつけた執務室に入って陛下を殺めてしまった……なんて可能性もゼロではないんじゃないか?」
「独創的な仮説ですね」
この人どうかしているのではないか、という感想をペイシェンスは婉曲的な言い回しに変化させておいた。
「その可能性――全くの赤の他人による犯行という可能性は、ほぼ退けることができます」
「ほう?」
「私は、犯行時とほぼそのままの犯行現場を見たのですが、争った形跡が見られませんでした。もし、全くの外部の人間なら、陛下が自ら部屋に入れることはなかった。入ることができたのなら、進入者が強引に入った場合。しかし、それなら争った痕跡は残るはずですが、なかった。それに、ご承知の通り外部の人間が衛兵の警備する王宮内に進入することも難しいですからね。やはり、顔見知りの犯行の可能性が高いかと存じます」
「そうかよ。結局、ほとんど何も分からずじまいってことか」
「もうひとつ申し上げられるとすれば、犯人は非常に高い戦闘能力を持っている、ということでしょうか」
「というと?」
「犯人と陛下は向かい合って椅子に座っていた可能性が高いですが、陛下はほぼ座った状態で胸を刺されておいででした。剛腕無双と謳われたギルバート陛下を立ち上がらせることなく、そのような状態にしたとすれば、相手は刹那の速さで剣を抜いて刺突を放ったことになる」
「…………」
「つまり、相当な手練れの人間。あるいは、人間をはるかに超える身体能力を持つ存在、例えば――吸血鬼」
瞬間、シオン王子の瞳の奥を何か不穏めいたものがよぎった気がした。が、それは雷のように一瞬だった。
「吸血鬼?」
「最近この王都には、ある吸血鬼が跳梁していますよね。仮面をつけ、フードをかぶり、悪評のある貴族を襲う。アルセイスの吸血鬼と言われているらしいですね」
「まさか、そいつが父上を殺めたと?」
「それに関しては何とも。お血を吸われた形跡はありませんでしたから。――実は、もともと私はその吸血鬼の正体を暴くよう、依頼を受けておりまして、そんな折、こたびの父王陛下の事件が起きたので、こちらにもご協力することになった次第です」
「……へえ」
「シオン殿下は、その吸血鬼のことをどうお思いですか?」
「唾棄してるさ。いくら後ろ暗い貴族だからって、血を吸って懲らしめるなんて許しがたい暴挙だろ」
「同感です」
「でも、父上が殺された件とは無関係じゃないか? アルセイスの吸血鬼は殺しはしてないからな。それに、たしかに父上は強かったが、もう四十八歳だったからな……実力も衰えていただろうし、人間でも可能な奴は多いと思うが」
「そうなのですね」
「ああ。――なあ、もういいか? これから予定があるんだよ」
「承知いたしました。貴重なお時間を頂きまして、大変ありがとうございました」
ああ、とだけ言って王子は庭園をあとにした。
その後ろ姿を見ながら、ペイシェンスの頭蓋骨の内部では警告のようなものが響いていた。――シオン王子は何か嘘をついている。あるいは、何かを隠している、と。




