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過去、吸血鬼への変貌(二)

 俺は吸血鬼になった日から数日はほとんど自室にこもっていた。昼間に出歩けば、陽光に皮膚を火で炙られるような地獄を味わうのだから仕方ない。

 

 そんな誰も知らない吸血鬼デビューを果たした翌晩。妹のエミリアと弟のトリスタンが心配して俺の部屋を訪ねてきた。

 

 吸血鬼として俺はもうひとつの症状に苛まれ始めたところだった。こんなときに来るな。こいつら余計な気を回すな。そう思ったが、必死の形相で追い払うとかえって怪しまれかねない。不承不承、部屋に入れることにしたのだ。

 

 一応俺にはまだ平静を装うだけの余裕が残されていた。

 

 俺が刺客に襲撃されたことは二人とも聞いていたようだ。


「怪我はないようでよかったけれど、体調が悪くて朝からずっと横になってると聞いて心配になったのよ」

 

 この体調不良は侍女に伝えたことで、表向きは熱が出たからベッドで安静にするということにしていた。


「お前の不器量な顔を見ると、体調がますます悪化するだろ。本当に俺を不快にさせる天才だな、エミリア」

 

 ベッドで横になりながら俺はろくでもない返事をした。


「またそういうこと言って……」

 

 妹は薄紅色の可憐な唇を尖らせた。

 

 もちろん今の発言は悪い冗談にすぎない。十九歳の妹の顔は、瞳が大きく、輪郭は小ぶりで、天使と妖精のあいだにできた子かと思うくらいに美しい。十三歳の弟も同じ系統の可愛らしい顔立ちである。俺だけ顔面の完成度が数段落ちるのは、二人とは母親が違うからというより父王の遺伝子を俺は色濃く受け継いでいるからなのかもしれない。兄弟三人に共通するのは、王家特有のシルバーブロンドの髪に、エメラルド色の瞳だった。


「でも、兄さんが無事でよかった」

 

 蚊の鳴くような声でそう発したのは弟だった。


「なぜだろうな、エミリアと同じようなことを言ってるのにお前の言葉には素直に感謝できるよ、トリスタン」

 

 そう返すと、弟は静かに微笑んだのみ。この少年にとって、二往復以上やりとりをするのは長すぎる会話だった。

 

 唯一の王家直系男子のトリスタン。第一王位継承者であり、本来、大声で家来を罵りながら王宮を闊歩していても誰にも注意されることがない立場にいながら、つねに葬式であるかのように物静かな弟で、声を荒らげたところなど一度も目撃したことがない。これは一般には美徳ともされる性格だろうが、大国の第一王子ともなると事情が少し変わってくる。気弱で武の才も乏しきトリスタン王子より、慧眼けいがんで知に富むいとこのルークや庶子でも剣の腕前は国内屈指の俺のほうが次期国王にふさわしいのではないか、という声もあがっている。

 

 仮に今、父王陛下が崩御でもしたら、十三歳のトリスタンより二十歳の俺や二十三歳のルークを推戴する声はより大きくなるかもしれない。


「――私だって、刺客に襲われたなんて事情でもなかったら、シオンの部屋になんて来ないわよ」

 

 俺の意識は不毛な会話に戻された。まあ今このときは、王位継承――俺の野望に思いを馳せているときではなかった。 


「そりゃ、わざわざご足労いただき恐縮ですな」


「また皮肉な言い方して……それはともかく、襲ってきたのが吸血鬼だったというのは本当?」

 

 ぎくりとしたが、表情には出さないよう努める。


「そうだけど、大した相手じゃなかったしな。俺は斬られても噛みつかれてもいないぜ」


「そう……それなら本当によかったわ」

 

 このときばかりは普段あまり仲がよくない俺のことをエミリアも本気で心配しているようだった。しかし――


「……吸血鬼なんてこの世からいなくなればいいのに」

 

 こうつぶやいたときのエミリアの声音には、吸血鬼に対する根深い怨嗟がこもっていた。母親が吸血鬼に殺された過去があるから当然の感情。口にはほとんど出さないものの、トリスタンも同じ思いだろう。

 

 やはり、二人には話せない……。

 

 ふと。

 

 まだ色々と話し続けるエミリアの首すじを見たときだった。白い肌にかすかに透けて見える静脈。それに視線が吸い寄せられた瞬間、俺の口内に生唾が大量に発生した。

 

 俺は慌ててエミリアたちに背を向けた。


「――もういいだろ。本当に熱があるんだよ。さっさと出てけ。閉店だ」

 

 約一名は軽く文句を言いながらも二人は去っていった。

 

 俺は今の欲求が何であるか確信を深めた。

 

 血への飢え。

 

 俺は妹の首すじに食らいつきたくなったのだ。恐怖と衝動によって、心臓が早鐘を打ったようにばくばくしている。

 

 どうにかしなければ……。

 

 現時点では、おそらく誰も俺が吸血鬼にされたとは疑っていないだろう。そもそも吸血鬼は希少種で、血を吸われて死んだとしても、吸血鬼として生まれ変わる確率は低い。

 実は吸血鬼と戦ったことが以前にも二回あってそのとき俺は何事もなかった。それはエミリアたちも知っている。なら今回も同じだと思うはずだ。というか思ってくれ。

 

 だが、このままずっと昼間は外に出ない生活を続けていたら、いずれ発覚する。

 

 吸血衝動と日光に対策をとらなければ。


 

 2

  


 その日の夜、俺はロバートの屋敷を訪ねた。主人の贅沢嗜好を反映させた豪奢な邸内にうんざりしながらも、俺は廊下を通り、その主人のいる執務室に入った。

 

 ロバートはマホガニーの机を前に椅子に座って書類仕事をしていた。

 

 すっかり禿げあがった頭に、突き出た腹。四十代後半のその男は、これでも暁王国有数の財力を誇る伯爵である。 入室した俺へ、ロバートはいつも通りの狡猾そうな目を向けた。


「よからぬ話なのだろうな」

 

 無駄に鋭い観察力によって、俺の表情等からそう察したようだ。


「……ああ、大変なことになった」

 

 俺は事情を説明し、吸血鬼になったことを打ち明けた。


「なんということだっ……」

 

 話し終えると、ロバートは頭をかかえて溜息をつき、困惑と苛立ちを盛大に表明した。


「この国では吸血鬼になると、よくて追放、悪ければ死罪だぞ。王子ならば前者で済むかもしれんが、しかしそうなると……」

 

 そうなると、俺を次の王に擁立して自分の権力を拡大するという素晴らしき夢が木っ端微塵に吹き飛びますってか?

 

 権力と利己主義に満ちた野心家としての焦りをロバートは顔いっぱいに滲ませた。


「なっちまったもんは仕方ないだろ」


「ぬけぬけと言うな。お前はとてつもないヘマをしたんだぞ」

 

 庶子とはいえ王子である俺にここまで横柄な話し方をする人間といえば、王族以外ではこの男くらいだ。普通なら許されることではない。だが、十三歳まで市井の人間だった俺を見つけ出して、父王の落としだねであると証明してくれたのがロバートだ。それ以降、後見人的な立場にあるロバートだから俺も許容している。他に誰かがいるときは一転、うやうやしい言葉遣いに変わるが、二人きりの場面ではこうだ。まあ俺にとってそんなことはどうでもいいが。


「……とはいえ、切り抜けることができぬわけではない。吸血鬼になったことは、わし以外には誰にも話していないんだな?」


「ああ」


「それでいい。誰にも話すな。知る人間が増えれば増えるほど露見する危険性は高まるからな。国王陛下にすら話してはならん」


「わかってるさ。で、緊急の問題として、まず血を吸いたい衝動がおさまらないんだよ」

 

 言うやいなや、ロバートは警戒の色を表情にのぼらせた。


「安心しろ。今すぐ人間にかぶりつきたいわけじゃない。あんたを襲おうなんて考えてないよ。――ただ、時間が経てば、誰かの血が吸いたくなるのは間違いない」


「……動物の血を吸え。それで血の渇望を満たしている吸血鬼もいると聞く」


「でも、それで飢えをしのいでる吸血鬼はかなり少数なんだろう? みんな我慢できなくなってやがて人間に手を出す。そうなる前に、人の死体を調達してくれないか」


「死体?」


「殺してこいってわけじゃないぜ。病気や事故で死んだ誰かの血を吸う。それなら実質、誰を苦しめるわけでもない」


「だめだな」ロバートは首をふった。「いくらわしでも何度も死体をすぐに用意するなど簡単にはできんし、時間の経った死体となると血液も腐敗していて、それは吸血鬼からすれば動物の血を吸うのと変わらぬ程度の味だと聞く。そもそも、死体を何度も調達などしていれば、嫌でもそこから足がついて、わしからお前へと繋がるだろう。そのときどう説明する? 短期的な場合ならともかく、長期的にはボロが出る」

 

 ロバートは嘲笑めいた表情を見せ、皮肉をつけ加えた。


「死体から摂取するなど、大した天才的吸血計画だな。お前は利口ではないが馬鹿でもないだろう。もう少し頭を使え」

 

 いつもの俺ならここで椅子でも蹴り飛ばすところだが、今はそんな気力もなかった。


「じゃあ、どうしろってんだよ!」


「普段は動物の血を吸うんだな。戦の際に敵の血を吸ってしのぐ」


「しばらくは戦乱の兆しなんかないんだよな……」


「だが、死体を調達するのは最終手段だ」


「日光はどうすればいい? ずっと夜だけ生活するわけにもいかないじゃねえか」


「それに関しては手立てがある。数日待て。わしがなんとかするから、それまでは体調の悪いふりをしていろ」

 

 数日後、俺はロバートから指輪を与えられた。特殊な魔術が施された指輪であり、これを指にはめていれば、日光に当たっても肌がただれることはなく、昼も外を出歩けたのだ。


「この指輪の存在を知っている者はそうおらん。極めて珍しいものだからな。特殊なルートで大金をはたいて手に入れてやったんだぞ、死んでも無くすな」

 

 このときばかりは俺もこの狸親父に感謝の念を表した。

 

 しかし、血の飢えだけは自分で処理しないといけなかった。


 森に入ってリスを仕留めた。動物を殺すのは気が咎めたが、それを言い出したら食事もできないし仕方がない。

 

 リスにかぶりついてその血を吸った。最初は高級料理に匹敵するほど甘美だった。だが動物の血は何回か吸うと、やがて飽きて最低限の飢えをしのぐのが精一杯だった。

 

 人間の血を味わいたくて、どうしようもなかった。

 

 誰かに頼んで少しだけ吸わせてもらうというのは危険のほうが大きい。ロバートが言ったように、俺の正体を知る人間が増えるほど露見する可能性も高まる。それにもし、吸ったときに俺が欲求をおさえきれなくなって、その人物を過剰に傷つけてしまったら? やはりこの方法は却下するしかない。

 

 ……いや、待てよ。傷つけてもいい相手なら問題ないんじゃないか?

 

 俺は思考をめぐらせる。

 

 いるじゃねえか。この王都にはそういう人間が何人も。

 

 貴族ども。貧民から搾取して自分の私腹を肥やすしか能が無い連中。その中からとりわけ悪質な奴を見つけ、正体がばれないようにして食らいつく。

 

 思いついた瞬間、自分の顔に狂的な笑みが広がるのを感じた。

 

 

 3

 


 青白い月が空にかかってはいるものの、大きな雲で部分的に隠されており、その路地には、ちょうどよいくらいの闇が立ちこめていた。

 

 一人目の獲物ヴァージル子爵は、娼館から出た帰りだった。護衛が一人だけなのは、娼館通いをなるべく人に知られたくないからか。事前に下調べはしていたとはいえ、なんとおあつらえ向きの場所。

 

 ヴァージルは鼻持ちならない傲慢な貴族というだけではない。三ヶ月前、ヴァージルが乗った馬車の前を足の不自由な老人が歩いていた。奴はそれに気づいていながら、御者に急ぐよう命じた。結果、馬と老人は接触して老人は頭部を打って死亡。ヴァージルはその責をすべて御者になすりつけ、己はのうのうとそれまで通りの暮らし。急いでいた理由も情婦に早く会うためときている。

 

 なんとおあつらえ向きの人物。

 

 俺は仮面をつけ、フードをかぶり、闇の中でヴァージルを待った。そして、奴が路地に入った直後、人外の速度をもって背後から軽くだがヴァージルを斬りつけた。


「ぎあぁぁァァァァ」

 

 獲物が耳障りな叫び声をあげる。適当に蹴り倒して地面に転倒させた。護衛が慌てて剣を抜いて俺に向き合う。刹那、俺は人間を超越した速さで剣を一閃。護衛の剣は真っ二つに折れて弾き飛ぶ。そいつの首すじに剣を突きつけて、極力いつもと違う声で、消えろ、とだけつぶやく。護衛はあっさりと身を翻して逃亡した。人望のなさも織り込み済み。

 

 俺は倒れているヴァージルに体を向ける。


「や、やめろ……」

 

 ヴァージルは身をよじって後退しようとするが、俺は片手で首根っこをつかんで強引に立ち上がらせた。ヴァージルは両手で俺の腕をつかみ引きはがそうとする。俺は膂力まで強化されていて、びくともしない。

 

 頸静脈を視認する。俺はすでにだらだらとよだれを垂らしていた。剥き出しにした牙を獲物の首すじに突き立てて初めて人の血を吸いあげた。

 

 瞬間。

 

 俺は人生で感じたこともないほどの快感を味わった。それは甘美などという言葉だけで表現できるものではなかった。魂が脳天を突き抜けていくような感覚。体じゅうの毛穴が開き、全血管が歌声を張り上げるのを感じた。

 

 この先、これをやめられるはずがなかった。

 

 狩りの始まりだ。

 

 こうして、俺は“アルセイスの吸血鬼”と化したのだ。


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