【4/27】仕事がヒマな時ほど本が読めない、映画が観られない。なぜ?
おおよそフリーランスの人にしか伝わらないだろうが、「本が読めなくなる」「映画が観られなくなる」という症状が現れることがある。ぼくみたいな、ライター業にとっては、クライアントの数こそ命綱みたいなものだ。仕事自体が終了しても、クライアントとつながっていれば大丈夫、みたいな硬直した安全神話をリュックに詰め込んで、安心しがちだ。
クライアントとつながっていても、仕事は途切れる。
認知 → 想起 → 検討 → 行動(購入) → 継続
みたいなマーケティングファネル(ファネル=じょうご)では、圧倒的に認知獲得と第一想起が大切だ。
だが、ぼくみたいなフリーランスが、そこそこたくさんあるクライアント(担当者に)
「〇〇といったご提案もできますので、またお声かけください」
「今手持ち案件が少なく動きやすいので、ぜひお声かけください」
「こういった事案のお仕事もしていますので、ご興味あればお声かけください」
と申し伝えるにも、限度がある。相手は自分が思っているほど、自分のことをさほど思い描かないからだ。
とまぁ前置きが長くなったが、手持ちの仕事が少ないと道具を磨くみたいな仕事が増える。
・実績整理・パソコン整理・書類片付け、この辺も業務として終わってくると、さぁ何しようかとなる。
「あ、気になっていた本を読もう」「あの映画観ておこう」と思いこそすれ、なぜか腰が重い。(ちょっとしたシナリオや台本を書く仕事もしているので、映画を観るのも勉強になるのです)
仕事をしていないというのは、依頼がない状況なので、どうにもならないことが多い。だから、本を読んだり映画を観て、得るものは得たらいいのだが、これが罪悪感にさいなまれてしまうのだ。
本を読まなくても、映画を観なくても、時間は過ぎるし、何もしないより断然にいいのだが、行動が止まる。これは一体何なのだろう。
フリーランスって、全ての行動と時間が売上(お金)に変えられる、と錯覚する。錯覚だ、幻想、幻視、夢現、マボロシ、桃源郷。
俯瞰でメタ的にこの錯覚感は重々わかっているのに。
でも、心囚われてしまう。だから、どんな些細な時間も全部お金に変えたい、という錬金術師衝動がなお走るのだと思う。少なくとも僕はそうだ。
愚か者なのだ。
だが実際は、全ての時間がお金には変わらない。それは、より時給に近い仕事でしか成り立たないのだ。
時間をお金に変えないと
この焦りが、直接的にお金には変わらない「読書」「映画鑑賞」といった行動にブレーキをかけているのだなぁと。
と言う点で、読書も映画鑑賞も、必ずアウトプットして公開していかないとだと思うのだ。
さて、手始めにあの本でも読むか。




