盾という名の血
闇は、退かなかった。
夜ごと、青白い群れは屋敷の門へ押し寄せた。一度退けても、また満ちた。耐えるだけでは、もう足りなかった。
ブルーノが門の前に立った。
たった一人で。岩のような巨体で、押し寄せる群れの最初の波を受け止めて。殴るためではない。あの流民の夜と同じように、その拳は止めるために構えられていた。誰も門の内へ一歩も通さぬために。盾として。
だが、相手は人ではなかった。痛みを知らぬ群れは退かなかった。何十という手がブルーノに殺到する。掴み、引き、押し潰そうと。
ブルーノの腕が軋んだ。
肩から肘へ、太い筋が縄のように浮いた。両の足は敷石を噛み、踵が半ば、石の継ぎ目へめり込んだ。一歩でも退けば、その隙間から群れが門の内へ雪崩れる。だから退かなかった。汗が顎を伝い、首筋から白い湯気が立ちのぼった。それでも、拳は開かれなかった。
押し返しても、押し返しても、群れは尽きなかった。爪が岩のような腕を裂いた。血が門の敷石に滴り始めた。
滴りはやがて点から筋になり、敷石の目地を黒く伝っていった。それでもブルーノは、呻きひとつ漏らさなかった。掴みかかる手のひとつを拳の側面で押し返し、また次の波へ構え直す。腕の裂け目から覗いた肉が夜気に晒されても、その両足は門の前から寸とも動かなかった。
◇
血を流していたのは、ブルーノだけではなかった。
東の崩れでは、マルコが裂けた石壁の穴を自分の体で塞いでいた。群れの爪がその背を裂いた。血が滲んだ。マルコは笑わなかった。ただ、歯を食いしばって、穴を守った。
背を石へ押しつけ、肩で崩れの縁を支える。崩れた石の角が肉に食い込み、息を吐くたびに傷の縁がひらいた。それでもマルコは、体を動かさなかった。この穴が背ひとつぶんだけ塞がっていればいい——そう構えたまま、群れの爪を背で受け続けた。
セオが物見から流れを読み——どの崩れが先に抜けるか、群れのどの塊が次にうねるか、その目だけは闇の中で一度も休まなかった。声を張り、東だ、次は北だ、と隊へ落とした。
エドガーが隊を回し——削れた隊列の穴へ走り、退く者と出る者を入れ替えた。その足は一晩じゅう門の内を往復し、草鞋の裏が擦り切れて踵に血が滲んだ。
ジュリアンが崩れかけた者の肩を掴んだ。「まだ立てる。お前は、まだ立てる」。指が食い込むほどに肩を握り、よろめいた背を門の側へ引き戻す。その手は、誰ひとり倒れさせなかった。
ニコは戦わずに走った。年寄りの手を引き、子供を背負い、奥の蔵へ、何度も。背の子供の重みで膝が鳴っても、脚は止めなかった。負ぶった小さな腕が首にしがみつくたび、もう一度、駆けた。
誰ひとり、人ならぬ力は使わなかった。
軋む腕で、裂けた背で、血に濡れた膝で——それでも、退く者はいなかった。
群れはそれでも引かなかった。八人がどれだけ血を流しても、闇は晴れなかった。倒しても、倒した数だけまた満ちた。——これは、討って終わる戦ではなかった。
だが、八人は倒れなかった。
膝をついても、また立った。血を流しても、盾を解かなかった。一人がよろめけば、隣の一人がその分を受けた。——地面より先には、倒れない。誰も口にはしなかったが、その意志が八人の背に貫かれていた。
◇
アリシアは物見から、八人の血が敷石を黒く濡らしていくのを、氷の目で動かずに見ていた。
采配は緩めなかった。門を固め、灯を抑え、弱い者を奥へ、崩れの薄いところへ人を回す。為すべきことを冷たく的確に彼女はその夜を捌いていった。氷の令嬢のまま。
自ら群れの中へ躍り出ることはしなかった。徳を振るって闇を薙ぐこともしなかった。彼女の手は采配のための手であり、盾は八人の役目だった。
——ただ、一度。
マルコの背から血が噴くのを見たとき。ブルーノの腕が裂けて、なお盾を解かぬのを見たとき。彼女の胸の奥で、何かがひとつ、疼いた。
シリルの言ったあの伏せられたもの。氷の下に布の下に十何年押し込めてきたもの。それが八人の血を前に、ほんの一度、疼いた。
だが彼女はそれをいつものように布の下へ戻した。今は采配がある。疼いている暇はなかった。慈悲は伏せられたまま、采配は緩まぬまま。
その夜も、闇は晴れなかった。八人は血を流し、なお倒れなかった。アリシアの采配は夜を捌き、なお緩まなかった。
代償だけが——血の値が、守るということの本当の重さが、見え始めていた。
だが、その血が何のために流されているのか。討つのでも晴らすのでもないなら、八人はいったい何を待っているのか。——その答えだけは、まだ誰も知らなかった。




