崩落という名の門
夜会の招きが途絶え始めた。
最初はひとつ、ふたつ。やがて堰を切ったように、どの家も灯を落とし、門を閉ざし、奥へ引きこもっていった。怯えが社交界の絢爛を内側から食い始めていた。
縁談が流れ、舞踏会が止まり、貴婦人たちの扇は閉じられたまま開かなかった。あれほど磨かれていた俗世の輝きが夜ごと一枚ずつ剥がれていった。
その絢爛は、嘘ではなかった。
オルブライト侯爵家の夜会も、氷の令嬢の采配も、八人を侍らせた輝きも、どれも本物だった。撒き餌でも、まやかしでもなかった。ただ、世界がそれを許さなくなっただけだった。
闇が満ちていく世では、絢爛は、もうただの絢爛ではいられなかった。
◇
レナード・ハーグレイヴ侯爵子息は、最後まで正確だった。
世が傾き、縁談の価が崩れ、オルブライトの家とて安泰ではないと——彼は寸分の狂いもなく読んだ。そして、その読みに従って、静かに身を引いた。
「惜しいことです」別れの席で、彼は言った。「あなたほどの令嬢は、そういない。だが、時勢が悪い。——またいずれ世が落ち着いた頃に」
彼は何ひとつ間違っていなかった。家格も、時勢も、損得も、寸分の狂いなく測り終えていた。——ただ、その別れの席にも、彼が測り損ねたものは最後まで彼の目に映らなかった。世を傾けていく闇の本当の重さも。氷の令嬢の面の下の、ただ一人の人間も。そして、自分が今何から追い越されて去っていくのかも。
レナードは満足して去っていった。正しく測り終えた、男の顔で。
有能な男だった。正確な男だった。だからこそ、彼は最後までいちばん大きなものを無いものとして——気づかぬまま、世界の外へ歩いて出ていった。
縁談は霧のように消えた。あとには何も残らなかった。未練さえも。
◇
絢爛が剥がれていくと、その下のものが少しずつ透け始めた。
かつて八人は氷の令嬢を彩る見目麗しい従者たちだった。社交界の華やぎの一部であり、逆ハーレムの戯れだった。だが、夜会が絶え、輝きが落ちていくにつれ、その軽やかな上辺が薄れていった。
代わりに滲み始めたものがあった。
うまくは言えない。ただ、八人の立ち方が変わった。怯えて奥へ引きこもる屋敷の中で、彼らだけが引かなかった。北の方角へそれぞれの持ち場から、静かに目を向けていた。何かを待ち、何かに備えるように。
彼らが本当は何者で、何のためにここに在るのか——その重さが剥がれた絢爛の下から、ほんの少し覗き始めていた。まだ輪郭だけ。だが、確かに。
そして、その間も。世界は傾いていった。
北の空の昏さはもう夜ごとのことではなかった。昼さえどこか翳っていた。掘り返した土の匂いが風に乗らぬ日はなくなった。北の村はいくつも灯を落とした。夜ごと北へ歩き出す者の噂はもう噂ではなくなっていた。
だが、それは誰か一人を狙うのではなかった。北の闇は、寄る辺を失った者を、村も人も、ただあてもなく引いた。名もなく、無人称に。アリシアの屋敷もその傾いていく世界の、ただ一部にすぎなかった。
僧の確信はその崩落に乗じて広がっていった。怯える者が増えるほど、その静かな声に縋る者も増えた。屋敷の底に領の隅々に、その確信は根を伸ばしていった。
◇
アリシアは崩れていく世界を氷の目で見ていた。
うろたえはしなかった。夜会が絶えても、縁談が消えても、世が傾いても、彼女は采配を緩めなかった。為すべきことを冷たく的確に為していった。門を固め、灯を抑え、怯える者を奥へやり、役立たずを下がらせた。崩落の中でも、氷の令嬢のままだった。
これが何を意味するのか、彼女は問わなかった。世界がなぜ傾くのか。なぜ今なのか。自分がその中で何者なのか。——そんな問いはまだ胸の戸の向こうにあった。彼女はただ、目の前の崩落を令嬢として捌いていた。
あの絢爛は、崩れ落ちた。
その瓦礫の向こうにひとつの門が開いた。
その門の奥は暗かった。何かが来ようとしていた。まだ姿はなかった。名もなかった。——ただ、長く息を潜めていた闇がいま、ゆっくりとこちらへ——いや。こちらへ、ではない。
世界そのものへ、満ちようとしていた。
長い夜が明けようとはしていなかった。
これから、本当の夜が始まるのだった。




