鎧という名の嘘
戦いが終わって。屋敷は奇妙なほど、静かだった。
傷ついた者たちは手当てを受け、眠った。シリルは庭のいちばん日当たりのいい場所にトマを埋め、その上にまだ名も知らぬ花の種を蒔いた。北の群れは退いた。次の夜を待つように。——だが今夜だけは青白い灯りも遠かった。
アリシアは自室で一人だった。
そして、もう——蓋ができなかった。
◇
十何年、彼女は、「決めて、見ない」で生きてきた。
帳簿の誤差も。爪の線も。胸の塊も。八つの声も。——見ないと決めれば、たいていのものは消えてくれた。消えなくても見なければ、ないのと、同じだった。それが彼女の、いちばんの、得意技だった。
だが今夜。
布を被せてもその下から、ぜんぶが覗いていた。もう見ないではいられなかった。彼女は生まれて初めて、自分から、その布をめくった。覗き込むために。
——縄。市の広場で誰も触れていないのに切れた、樽の縄。鞭から、子供を救った。
——印。却下したはずの慈悲が彼女の印を借りて、村まで歩いていった。
——帳簿。一晩で誰の手も借りず、正しく組み変わった、数字。
——問屋。本人にも理由の分からぬまま、正しいほうへ寄っていった、足。
——八人。雇った覚えもないのに当たり前のように屋敷に収まり、誰もが疑わず受け入れた、男たち。
——そして、爪。
アリシアは震える手で右手の手袋を脱いだ。
七つの指に刻まれた、古い文字。一つの白い、薬指。——灯りのせいでも疲れのせいでも幻覚でもなかった。ずっと知っていた。知っていて、見ないふりをしてきた。
ぜんぶ。ぜんぶ、繋がっていた。一本の線で。
その線をたどっていくと。横合いの「誰か」ではなかった。その線のいちばん奥、いちばん中心に——
私がいた。
◇
(……私が源だったの)
握り潰したはずの慈悲が横合いから叶っていったのは。誰かが拾っていたのではなかった。私が——見ないふりをした、私自身の慈悲が私の手を離れて、勝手に叶えていた。
八人を呼んだのも。私。爪に文字が灯るのも。私。——いや。それなら、トマは。北は。それも私が……いいえ。それは違う。違うはずだ。でもどこまでが。どこまでが私なの。
恐怖がせり上がってきた。
だがその恐怖は——彼女が思っていたものとは違った。
自分に得体の知れぬ力がある。それも怖い。だがいちばん怖いのはそれではなかった。
もし、私が源なら。
私は——「必要悪の令嬢」ではなくなる。
◇
情けは弱さ。弱さは死。冷たくなければ、家は守れない。舐められれば、食い潰される。自分は鎧でなければならない。——それが彼女のすべてだった。十何年、その一点だけを信じて、生きてきた。胃の腑が灼けるほど、完璧に冷酷を演じてきた。
その鎧が彼女のすべてだった。鎧の下に何があるのか、彼女自身、もう覚えていない。鎧こそが自分だった。
なのに。
もし、私が救う者だとしたら。握り潰してきた慈悲こそが私の本当のものだとしたら。——ではこの十何年は何だったの。
私が必要悪だと、信じて、被ってきた、この鎧は。
——嘘、だったというの。
足元が抜けた。
「お前は本当は救う者だ」——それは救いの言葉のはずだった。なのに彼女にはそれがいちばん、恐ろしかった。なぜなら、それは彼女の十何年をまるごと、否定する言葉だったから。鎧が嘘なら。冷酷が要らなかったのなら。——では私は誰。鎧を脱いだら。その下に何が残るというの。
何も残らない、気がした。
鎧が自分だと、思っていた。鎧の下には——空っぽの何者でもない、誰かが、ただ震えているだけの気がした。
アリシアは自分の両手を抱きしめた。七つの文字と、一つの白を。崩れそうな、自分を抱きしめるように。
「……違う。私は必要悪よ。冷酷でなければ、ならない。救う者なんかじゃ……そんなもの私は……」
崩れかけながら、彼女はなお鎧にしがみついた。それを手放したら、自分が消えてしまう気がして。
◇
気づくと、扉のそばに八人がいた。
いつから、そこにいたのか。セオもジュリアンも、ブルーノも、マルコも、エドガーも、ニコも、シリルも——そして、ガレスも。みな、傷つき、包帯を巻いた姿で。何も言わずに。ただ、彼女の崩れかける姿を静かに見守って。
急かさなかった。問い詰めもしなかった。慰めることすら、しなかった。ただ、傍にいた。彼女が自分を拒んでいる、まさにその時に。
「……来ないで」アリシアは震える声で言った。「見ないで。——見られたら、ばれてしまう。私が必要悪なんかじゃ、ないと。この鎧が嘘だと。……その下に何もないことが」
声が掠れた。
「私は冷酷な、必要悪で……それでいいの。それでなければ、困るの。だから……見ないで。お願い、だから」
ガレスが一歩、進み出た。岩のように。
「お嬢」低い声だった。「俺たちはそのために来た」
「……何のために」
ガレスは答えなかった。まだ告げなかった。ただ、その目が——八人の目が彼女を見ていた。咎めず、急かさず。彼女が自分を何者でもないと、拒んでいる、その時に。
八人は彼女を信じていた。彼女が自分を信じられない、その時に。
その非対称が部屋の中に満ちていた。彼女が拒むほど、八人の沈黙は深く揺るがなかった。まるで——彼女が自分を受け入れる、その日を。ずっと待っているかのように。
◇
アリシアは八人から、逃げるように窓辺へ寄った。
夜気に額をつけて。乱れた呼吸を整えようと。考えない。見ない。——もう効かないと、知りながら。それでも最後の力で布を被せようと、して。
そのとき。
窓辺にふわりと、何かが止まった。
蝶だった。
こんな季節にこんな夜更けにいるはずのない、蝶。見たことのない、淡く光る翅を持っていた。月の色とも北の青白さとも違う、——温かい、金の光。
蝶は窓の桟にしばらく止まっていた。まるで彼女を待つように。やがてひらり、と、舞い上がり、窓の外の闇へ滑っていった。少し行っては振り返るようにまた、戻り。
ついて、来い、と。いうように。
あの、樽の縄。あの、印。あの、偶然たち。——いつも彼女の傍らで誰にも触れられずに起きた、小さな兆し。その系譜のいちばん新しいものが今、初めて、彼女を導こうと、していた。
アリシアはまだ何も受け入れて、いなかった。源を拒んだまま。鎧にしがみついたまま。自分が何者か、分からないまま。
それでも——彼女は立ち上がった。
蝶に誘われるように。窓の外へ。夜のその先へ。
何かが待っている気がした。拒みながら。怯えながら。それでも行かなければ、ならない気がした。
八人が静かにその後に続いた。
金の蝶は北でも南でもない、ある一つの——丘の方角へ淡く光りながら、飛んでいった。




