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岩という名の要

最後の一人はガレスと名乗った。

護衛の長、として来た。岩のような男だった。背が高く、肩が広く、口数がひどく少ない。立っているだけでその場の空気が不思議と、鎮まる。声を荒げず、急がず、ただ、そこに在る。——山がそこに在るように。

これで八人。雇った覚えのない男が八人、揃った。

揃った、はずだった。

なのにアリシアの右手の薬指だけが——白いまま、だった。七つの指には文字が刻まれているのに。最後の一人が目の前に立っているのに。八人目の指だけが灯らない。

その白さが彼女をざわつかせた。なぜ。八人、揃ったのに。なぜ、この指だけ。

ガレスはよく、働いた。だがほかの七人とは何かが違った。

セオは傍にいると、彼女の頭が冴えた。ジュリアンは思考の檻を破らせた。ブルーノは拳を盾にマルコは鼻を、エドガーは作法を、ニコは末席を、シリルは手を——みな、彼女の傍でその徳を反転させ、彼女自身の何かを引き上げた。

ガレスは違った。

ガレスの傍にいると、彼女は——冴えなかった。むしろその逆だった。

ある夜、執務室で書類に追われていた。気づけば、扉のそばにガレスが音もなく、立っていた。護衛として、ただ、そこに。

何も言わなかった。何もしてこなかった。ただ、岩のように静かに立っている。

——なのに。

アリシアはふと自分の肩から、力が抜けているのに気づいた。

いつも気を張っていた。誰の前でも。揺らげば、舐められる。隙を見せれば、食い潰される。だから、片時も面を緩めなかった。十何年。眠るときでさえ。

なのにこの男が後ろに立っているというだけで——その、張り詰めた糸がほんの少し緩んだ。

(……見られていても怖くない)

そんな感覚は初めてだった。

見られることは暴かれることだった。彼女にとって、ずっと。なのにガレスの岩のような目で見られていると——暴かれる、という怖さがしない。この男の前では面を被っていなくてもいい気がする。

慌てて彼女はその緩みを引き締めた。何を馬鹿な。気を抜くな。——だが一度味わった、その緩みの、心地よさは。喉の奥の塊の、すぐ隣に小さな灯りのように残った。

北の管はもう隠れもしなくなっていた。

トマのような者が領内にぽつぽつと、現れ始めた。夜ごと、北へ歩き出す者。焦点の合わない目。掘り返した土の匂い。——孝の物流網は北からの不審な荷を片端から、堰き止めていた。智とミラは北へ通じる管の太さを測っていた。悌の末席の目が見慣れぬ影を報せてきた。

何かが来る。北から。屋敷へ。——その予感が日に日に濃くなっていた。

アリシアは屋敷の守りを固めることにした。夜番の編成。

「門を二重に閉ざします」彼女は配下に命じた。「夜は誰も出すな。入れるな。北の方角の窓はすべて、塞ぎなさい。灯りは最小に。物音を立てるな。——怯えている者は奥へ。役立たずは邪魔です。下がらせて」

恐怖で締める。隙を見せない。それが彼女の知る、守り方だった。固く、冷たく、誰も信じず、すべてを自分の采配の下に。

そのとき、ガレスが口を開いた。

ほとんど、初めて、聞く、長い言葉だった。

「……怯えてる者を奥に押し込めて、灯りを消して、物音を立てるな、と」ガレスは低く、言った。「それで固くはなる。だが脆く、なる」

「……何が言いたいの」

「恐れてる者をもっと恐れさせて、どうなる」ガレスの声は責めなかった。ただ、岩のように揺るがなかった。「闇の中に押し込められて、震えてる人間は一人で勝手に壊れる。トマみたいに。——北はそれを待ってる。あんたが内側から、勝手に崩れるのを」

アリシアは息を呑んだ。

「あんた一人で全部、守ろうとしてる」ガレスは続けた。「いつもそうだ。何もかもあんたの采配の下に置こうとする。——でもな、お嬢。あんたはもう一人じゃ、ない」

その言葉が彼女の中の何かを解いた。

道筋が灼ける——のとは違った。今度は灼けなかった。代わりにふっと、視界が開けた。冴えるのでも解くのでもなく。——託す、という、回路が。

そうだ。私はもう一人ではない。

セオがいる。ジュリアンがいる。ブルーノがマルコが、エドガーが、ニコが、シリルが、いる。物流はマルコが握っている。数字はセオが読んでいる。末席の目はニコが配している。門はブルーノが守れる。トマはシリルが診ている。——私が全部を抱え込まなくて、いい。

私が采配するのは。一人ですべてを背負うことではない。

七人を——いや、屋敷じゅうの者を信じて、束ねること。それぞれの持ち場をそれぞれに託すこと。そして、自分はその、要として、後ろに立つこと。

「……編成を変えます」アリシアは言った。声は震えていなかった。けれど、いつもの冷たさとは違っていた。「灯りは消しません。怯えている者ほど、近くに」

そして、彼女は生まれて初めて、自分が一人ではないことを数え始めた。

門なら、ブルーノに託せる。糧道なら、マルコに。報せの差配はセオに。末席の目はニコに。病んだ者はシリルに。心の折れぬよう支えるのは、ジュリアンに。皆の動きが乱れぬよう整えるのは、エドガーに。——一人で抱え込まなくて、いい。託せる手がもうこんなにある。

その事実が恐怖の只中で奇妙なほど、温かかった。

「——私は皆を信じて、待ちます」

恐怖で固めるのではない。誇りで束ねる。一人で抱えるのではない。八人と、屋敷じゅうに託す。——采配の人が初めて、采配を手放す采配を覚えた。

その時、右手の薬指が疼いた。

熱く。これまででいちばん、強く。——だが刻まれはしなかった。

爪の根もとは白いまま。文字は立たない。七つの指が灼けるように熱を持つのに最後の一本だけが白く、疼いて、灯らない。

(……どうして)

アリシアはその白い指を見つめた。

八人、揃った。七人には私の中の戸が開いた。セオには頭の戸がジュリアンには思考の戸がブルーノには、マルコには、エドガーには、ニコには、シリルには——みな、開いた。なのに。

この、ガレスという男にだけ。最後の、戸が。

開かない。

なぜ。八人の中でこの男の前がいちばん、緩むのに。いちばん、安心するのに。——なぜ、この男にだけ、私は最後の何かを開けないのだろう。

その答えにもう少しで手が届きそうだった。届きそうで——届かなかった。彼女はいつものようにその問いを布の下へ押し込めた。考えない。見ない。

夜が更けていた。

ガレスはまだ扉のそばに立っていた。岩のように。

「お前は」アリシアはふと訊いた。「ほかの七人とは違うのね。あの者たちは私の傍で変わると言った。徳が反転すると。——お前は変わらないの」

「俺は変わらねぇ」ガレスは即座に言った。「俺の役目は変わらねぇことだ。あいつらはあんたの傍で化ける。俺は化けねぇ。ただ、あんたが——いや、あいつらがあんたの周りで存分に化けられるように後ろで地面になってる。それだけの男だ」

「……地面」

「要ってのはそういうもんだ」ガレスは初めて、ほんの少し口の端を上げた。笑い、と呼ぶには岩がわずかに欠けた程度の。「派手な働きはしねぇ。手柄の一つも立たねぇかもな。——でもあんたがいつか、倒れそうになったとき。後ろに何もなかったら、人は倒れる。だから、俺はあんたの後ろにいる。あんたが安心して、倒れられるように」

安心して、倒れられるように。

その言葉が彼女の胸の、塊の、すぐそばにまた、小さな灯りを灯した。

倒れていい、と言われたのは。後ろに誰かがいる、と言われたのは。——生まれて、初めてだった。ずっと後ろには何もなかった。だから、倒れられなかった。倒れたら、終わりだった。

なのにこの男は自分が地面になる、と言う。

その夜、アリシアは久しぶりに深く眠った。扉のそばの岩のような気配を背中に感じながら。——白い薬指はその眠りの間も静かに疼き続けていた。灯らないまま。何かを待つように。

北の空のずっと奥で。何かがゆっくりと、こちらへ動き出していた。

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