純白の侍
「パパもこっち来て一緒に見ようよ!」
パジャマ姿のままの末っ子のチェスカに手を引かれてリビングのソファに座らせられる。画面には侍が主人公の日本のアニメが映っていた。炎の刀を持った主人公が必殺技で敵を倒すシーンにチェスカは目を輝かせている。
「あーあ。パパもサムライなら良かったのにねー。」
ソファの中心に座った私の右側では、チェスカのお姉ちゃんであるライザが少し冷めた目で私を見つめている。
「可愛いプリンセスのお願いは何でも聞いてあげたいけどそれは流石に難しい…かな。それよりも先にパパにはお腹すいたー、っていう君達のお願いを叶えなくちゃいけないしね?ほら、二人共!早く学校へ行く準備をしておいで。」
「はーい!」
「はーい。」
朝食を食べ終えた娘二人をそのまま学校へ送るため、雪かきのあと暖気していた車へとエスコートする。隣人のペトロフさんはどうやらこれから雪掻きのようだ。
「おぉ、イェーヴァさんおはようございます。一晩で酷く積もったようですね。雪掻きもして送り迎えして一人だと色々と大変でしょうなぁ。」
「おはようございます。いやいや、かれこれ五年ですから慣れたもんですよ。毎年恒例の純白で美しくも憎たらしいこの雪景色にもね。それにお姫様たちには私の苦労なんて関係の内容ですしね。ほら、もう行くよ。」
チェスカとライザは車から出て雪玉を投げあっていた。大きく外れた一つが私の顔にぶつかり気まずそうにする二人。学校の前まで送り届け二人を見送る。
「それじゃあパパは今日も刀の代わりにナイフを持ってお仕事頑張ってくるよ。」
私のジョークに大きく笑うチェスカと小馬鹿にして笑うライザ。いつもの光景に幸せを噛み締め職場へと向かう。
私の名前はイェーヴァ・バラバノヴァ。そしてこれはバートンテイルに流される前の私の記憶。こっちに来てから炎の刀も手に入れたしサムライみたいな見た目にもなったけど、そうしたところでその姿を見てほしい二人にはもう会えない。
チェスカの出産後に妻であるルサールカは命を落とした。死因は羊水塞栓症。なんでも、羊水が母体血中内へ流入することによって肺毛細管の閉塞を原因とする肺高血圧症と、それによる呼吸循環障害を引き起こすことによって引き起こされる疾患らしい。難しいことは分からなかったが、妻が帰ってこないという事だけは痛いほど心で理解した。そしてその命と引き換えにチェスカを与えてくれたということも。
それから私は男手一つで二人を育てた。長女であるライザが生まれた後に建てたリストランテの経営も好調で、資金の面では二人に不自由なく生活をさせてあげることが出来ていた。忙しい事は悩みだったが二人の笑顔を見るだけで新雪を掬ったときのようにほろほろと解けていった。
親が父親の私しかいないという懸念もあったが、娘達は他愛もない雑談からちょっとした悩みまで気軽に相談してくれた。片親なりに支えになってあげられていると思っていた。あの日までは。
そんな二人もすくすくと育ちチェスカが高等部に入って数ヶ月のこと。チェスカがいつになっても帰宅しなかった。時計の針は11時を指している。そもそも夜遅くまで遊ぶなんてことは滅多に無かったし遅くなるとしても必ず連絡をくれていた。ライザに聞いても帰りは一緒じゃなかったとのこと。家の中を右往左往する私を見てライザが呆れ気味に声をかける。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって。チェスカも子供じゃないんだしたまには内緒で遊びたいこともあるんでしょ。」
その言葉が耳に入らないほどに焦っていた私は警察へ連絡しようと携帯を開きその番号を押す。二つ目を押そうとする私を邪魔するかのように店から電話が入る。
「……あぁ、分かってるが今はそれどころじゃないんだよ。……だから分かってるって!用事が済んだらすぐに向かうから。」
その内容は来月の販売会議についてだった。二ヶ月前に私の店の近所にミシュラン星付きのリストランテから独立したシェフが手掛ける店ができ、そのせいでうちの店の売上は著しく落ちていた。その対策として開かれる会議が今日だった。四面楚歌でただ待つしか出来ない私の苛立ちと不安が零れそうになるのを見計らったかのように玄関の扉が開く音が耳に入る。
「ほら、愛しのチェスカ姫がご帰宅だよ。」
「チェスカ!どれだけ心配した……と…、」
駆け寄った先にいたチェスカの目からは光が消えていた。今まで見たこともない表情に思わず掛けようとして言葉を忘れ空いた口をそのままにただ見つめる。
「ごめん。大丈夫だから。」
「そう…か…。ならいいんだ。」
言葉に込めようとしていた怒気は霧散し尻すぼみになる。何があったのか聞くべきなのか?それともライザが言っていたように恋愛とかの悩みなら私が深く立ち入るべきではない?そんな問答の先に私が選んだ答えは販売会議へ向かうことだった。チェスカのことは勿論心配だったが職を失い家族を不安にさせてしまう事の方が心配だった。だが今思えば、何もしてあげられない自分を説得するための言い訳だったのかもしれない。
その日から私の知っている明るく元気なチェスカは消えた。言葉をかけても偽りの笑みを浮かべて"大丈夫だから"と答えるだけでそこに心は籠もっていなかった。ライザに聞いても"本人が話したくないなら私が話す訳にはいかない"と何か知っているような口ぶりで話すだけで何があったのかは決して口にしなかった。




