冷笑の檻
漸く人の居なくなった"ある研究室"の扉を叩く。最早来るのにも慣れた場所だったがいつもと違い陰鬱な感情に潰されそうになっていた。
「あらトト所長。一人…なんて珍しいわね?先程までルルさんもいらっしゃってたのにタイミングが悪かったわね。お茶会ならもう終わってしまったの…。そうだ!苺のタルトケーキが残ってたわ!トト所長もお一ついかが?」
ったく…この人は俺の苦悩も知らないで…。いつもと変わらない明るさが余計に俺を苦しめる。あー。なんでいっつも俺ばっかりこんな仕事を…。意を決して口を開く。
「いや、その気持ちだけで結構です。今日はヨノマリアさんに折り入って話が……。」
俺の言葉を待たずしてガラス張りの研究室の廊下側のガラスが真白に凍りついていく。あー。言い終わるまで待ってくれねェのかよ。心の臓まで凍り付きそうなその"能力"を初めて体感したが、これを喰らう敵はたまったモンじゃねぇな。口をぽかんと開くヨノマリアさんの目の前に、背丈ほどの土蔵門のような漆黒の扉が現れる。
「いやー、こんな形でゴメンねー。何せ僕等も大事なお仕事中なモンでね。」
その扉の中から現れた二つの影。口を開いたその人は柔和な口調とは裏腹に細い目の奥が酷く冷たく濁っている。側には蜂浦さんが何も言わずに立っていた。成程ね。この人が最上位保全戦闘者で保全戦闘ランク不動の1位ってのも納得だわ。
「蜂浦ちゃんと…倉木さん、よね?一体これはどういうことなのかしら?…トト所長は何か知っているの?」
倉木さんは悪戯な目で俺に合図を送ってくる。はいはい、お前が説明しろって言いたい訳ね。分かってますよ。クソっ、あー、だからなんで俺ばっかりこういう立ち回りしなきゃなんねぇんだよ…。再度意を決してヨノマリアさんに要件を伝える。
「ここ最近、壊変者が使ってくる痕跡生物に大きな変化があったんですよ。これまでの奴らの技術力はそんなに高いもんじゃ無いってのはアンタも知るところだろうがこの一ヶ月で急激に向上した。それは痕跡生物の例が特に顕著だった。」
自前のウインドウを操作し先日の保全戦闘の映像を見せる。
「これは……。」
目を丸くするヨノマリアさんを倉木さんや蜂浦さんと確認して話を続ける。
「そう。見た目こそ少し違うが痕跡索組換研究所で開発してた未発表の新作痕跡生物に酷似してる。まァ…何だ…。俺が何を言いたいかって言うと…。」
渋る俺を見兼ねたのか倉木さんがそれを話す。
「痕跡生物の技術が壊変師団へ流出している。そしてその犯人がヨノマリアさん、貴女じゃないかと僕は疑っている。」
「そんな私は…。」
突き付けられた疑惑に対して漏れた声に堪らず口を差す。
「別に疑われてたのはアンタだけじゃねェよ。俺だってこの一ヶ月間ずっと監視されてたらしい。今さっき知らされるまで微塵も気付かなかったけどな……。」
口籠るヨノマリアさんと俺を見兼ねて再度倉木さんが割って入る。
「ヨノマリアさん。貴女は日中の大半をこの研究室で一人で過ごし、夜も殆ど家に帰らずここで寝泊まりしているらしいですね。」
「それは単に帰るのが面倒ですし、何よりここが心地良いからで……。」
その反論に耳を貸さずに話を続ける。
「勿論この研究所の職員全員を調査済みですよ。この部屋に頻繁に出入りする"部外者"の彼らもね。少し前に丁度南戸くんに会ったので彼もこれから調査予定です。情報漏洩があったとなると真っ先に疑われるのは研究所の人間でその次が立ち入りのある部外者。お茶会の名目で外部の人間を招き、彼等に疑惑の目を向けようとした。という線も考えられますしね。」
倉木さんは卓上に置かれた"俺用"の苺のタルトケーキを頬張り、ある程度呑み込み終わると再度言葉を紡ぎ出す。
「壊変師団が住む世界への行き方は未だ分かっていない…。だけど貴女程の技術力と知識が有れば彼らと連絡を取るのは不可能では無いんじゃないですか?」
開いた門の先にある空間から何かを引きづる音が響く。目を向けた先に現れたのは移動卵殻に良く似たものだった。だが見慣れた真白な移動卵殻とは違い、乾いた白シャツに満遍なく墨を垂らしたようにその殆どが黒く染まっていた。縦横それぞれに入った緑のラインが妖しく光を放つ。
「移動卵殻の開発も手掛ける技術職の貴方達なら噂くらいは知っているんじゃないかな。対壊変者用捕縛卵殻…通称"常闇の揺籠"。」
確かに噂では聞いたことがあった。
今でこそ向こうのログアウトの技術も進化しその身を捕えたことは出来なくなったが、その昔は捕えた壊変者をバートンテイルに連れ帰って色々と実験をしていたらしい。その時に使用されたのが"常闇の揺籠"と呼ばれる移動卵殻を改造して作った拘束装置。
移動手段として使われる移動卵殻の耐久性はそこまで高くない…まぁ有る必要も無いが…。それに比べてその常闇の揺籠はかなり頑丈な作りになっているらしく、なんでもその中では時の瓦礫とかの能力は使えないって話しだ。
だがあくまで噂。どっかのバカが吐いた法螺話だと思って話半分に聞き流してた。実際に目にする今の今までは。目の前にある"それ"は緑のラインからそれぞれ四つに分かれ、獲物を待ち構えるかのように口を大きく開けて待っている。元々は白い外殻だったが壊変者を運んでく内に奴らの悪意が染み付いて黒く変わっていった。っつう話もなんだか本当に思えてきた。呆気に取られる俺たちを他所に卓上の紅茶を飲み終えた倉木さんが笑顔を崩さずにヨノマリアさんへ言葉を向ける。
「さぁヨノマリアさん乗ってください。少し狭いですが旧式なのでね…そこの所は勘弁してね。」
噂で聞いてた常闇の揺籠をお目にかかれた思ったら、まさか"こっち"が乗るハメになるとはな……。渋るヨノマリアさんを見てその目が少しだけ大きく開く。
「別に力づくで押し込んでもいいんですよ?そんなことをしたくないからお願いをしている訳で。手足を千切って詰め込もうが後で星鐵さんに頼んで治して貰えば良いだけのことですしね。勘違いしないでくださいよ?別に貴方が犯人だと言っているわけじゃない。"限りなく黒に近い"という話をしているんです。それを白に塗り替えるために貴女を隔離するんですよ。」
ヨノマリアさんは覚悟を決めたのか常闇の揺籠へ向かって静かに歩みを進めていく。その外殻へ手をかけると俺の方を振り返る。
「トト所長…。私に何かあったら…その時は研究所をお願いね?」
震える声でそう呟いたヨノマリアさんの顔には笑顔が浮かんでいたがそれには似合わない涙も溢れていた。それを拭うと再度笑顔を取り繕う。
「なーんて、所長代理の私が所長の貴方にお願いするのも変よね。」
前を向き常闇の揺籠に入ろうとするその背中へ最後の言葉をかける。
「俺は研究所へ来てからアンタを恨まない日は無かった。面倒な仕事、面倒なちっこい部下、面倒な年上の部下。あの日ヘタこいたばっかりに最悪の日々を過ごすハメになったよ。
だけどアンタを疑ったことは一度も無い。誰かを救いたい、その一心で今まで研究に携わってたと俺は今でも信じてる。そしてそれはこの先も続くはずだ。
アンタの帰りをお茶でも入れて待ってるとするよ。」
その人は振り返ることなく上を見上げながら呟いた。
「随分らしくないこと言うのね。……嬉しいわ。折角なら録音でもしておけばよかったわね。」
「準備完了です……倉木さん……行きましょう。」
蜂浦さんの声を合図に完全に閉じられた常闇の揺籠が転移する。それを見届けた倉木さんと蜂浦さんが門の中へと入っていく。
「おっとそうそう言わずもがなだけど、今日のこれは他言無用でお願いね。君もまだ完全に白になったという訳じゃないからね。監視は引き続きさせてもらうけど許してね。」
一人だけ残された部屋に静寂が宿る。凍りついていた通路側のガラスの氷も溶け何事もなかったかのように元の状態へと戻る。いや、"元の"っていうには少し足りねぇか。いつもの賑やかな様子とは違い、淋しさに埋もれたこの部屋を見てるとどうも心がざわめく。
ヨノマリアさんの卓上に置かれたプレートを伏せて部屋を後にした。
■時の瓦礫の保管箱
【曲名】
人形修理屋
【創造地点】現位置換算処理済
正暦分岐点 1213.05.22
フィンランド ヘルシンキ "グリンダール"
エピソード名 "見えるようにしてよ"
【所有者】
倉木乱雪
【効果】
トレイスを持つ物体に感覚共有可能な目、口、耳を作り出す。共有されるのは映像や音のみでそれらが攻撃されても痛みはフィードバックされない。能力の範囲は自身の目の届く場所までだが、この能力で発現した目が届く範囲でも発現可能。トレイスの消費量は口、耳、目の順で大きくなっていく。発現させた対象のトレイスが尽きるか破壊されるまで能力は継続される。




