世界に蔓延る伝染病
俺の素体の名前は雨宮琢磨。世命消失点はこのトレイス体と同じ12歳。兵庫県の小学校に通う小学生だったんだ。
今はこんな性格だけどそん時の俺には友達なんかあんまいなくてさ。でも手嶋勇太っていう仲のいい友達が一人だけいた。
でも子供の世界では輪に馴染まず一人でいるのを好むような少数派は良くも悪くも目立っちゃうみたいでさ、いつからかいじめが始まったんだ。
物を隠す。教科書に落書きされる。話しかけても無視される。
ドラマなんかで見たようなことが自分に起こるんだ、なんて考えたりして嫌だなとは思ったけど辛抱強かったから我慢は出来たし何より俺は一人じゃなかった。その心の支えは座り込む俺の心に手を差し出して何度も助けてくれたんだ。
転天には何か恥ずかしくて素体の記憶とか言ってなかったけどあいつがその友達に見えることが結構あってさ。懐かしいとか嬉しいとか良く分かんない気持ちを意地悪だったりダル絡みだったりっていう形で転天に押し付けてたんだ。今となってはもう出来ないけどさ…。
それでさ。いじめが数週間続いたある日、それはなんの躊躇いもなく一線を越えた。体育館の壇上から突き落とされたり、階段を降りるときに後ろから突き飛ばされたり。あいつらは"面白いから"っていう軽い理由だけで俺の命を奪おうとしてきた。授業中に背中をカッターで刺されたり、図工の時間にすれ違いざま彫刻刀で腕を刺されたこともあったなぁ…。
頭の良い勇太はそんなときでも冷静に対処してくれた。先生は助けてくれないの分かってたしね。喧嘩の強かった勇太はいじめてきた奴らを片っ端からぶん殴って俺のいじめをやめさせてくれたんだ。
でも頭が良いって言っても所詮俺らは小学生。頼るべきなのは力じゃなくて親や警察、民意だった。確かに俺へのいじめは無くなったけどそれは俺らの世界から無くなったわけじゃなくて勇太に感染っただけだった。
バカにされたっていう歪んだ自尊心を傷付けられた子供の考えることは怖くてさ。今度は始めから一線を越えてた。刃物で刺されることも多分俺以上にあっただろうし、階段から突き落とされるのも何度も見かけた。でも俺はもう一度感染るのが怖くて見て見ぬ振りをしちゃったんだ。
いじめが感染って一ヶ月くらい経った頃、塾から帰る途中で河原にいるアイツらを見かけた。勇太はズボンを降ろされて、両腕を二人に掴まれて砂利道の上を引きづられてた。太陽もほとんど姿を隠した薄暗い河原に響く笑い声。それがやけに俺の心に噛み付いてきて怖くなった俺はまた見えないふりをして家路を急いだ。
次の日両膝を包帯でぐるぐる巻きにして黒のサポーターでそれを隠すようにしている勇太を見かけた。たまらず話しかけると"河原で走ってたら転んだー"なんてあいつはいつもと変わらない無邪気な笑顔を見せたよ。
俺とは違うその強さに恥ずかしくなって俺は顔を背けたんだ。でも今思えばいつもと変わらないように見えたあいつの顔ももう限界に近かったんだと思う。あの笑顔はいじめを感染してしまった俺が罪悪感を感じないようにする頭の良いあいつなりの心遣いだったんだなって。どっちがどっちを心配してんだよってさ。
次の日勇太を見たのはテレビの中だった。
"昨夜未明、大和川沿いの河川敷で子供が倒れているとの通報があり警察と消防が駆けつけたところ死亡しているのが確認されました。死亡したのは西明星小学校に通う手嶋勇太くん12歳。──肺には水が溜まっており、警察は溺死の可能性が高いと見て捜査を進めています"
よく父ちゃんが"どんな方法でもいいからテレビに出られるくらい有名になれ"なんて言ってたけど、目の前のこれはその方法の一つじゃないってことは考えなくても理解出来た。
学校へ行くと校門の前に餌を求める鳩のように群がったカメラマンや記者が手当たり次第に生徒にカメラとマイクを向けていた。それを横目に校内へ入る。朝の会が始まると担任が淡々とニュースの内容を繰り返す。こいつには心が無いのかって思うほど無機質に事実だけを告げた。
"──はい、ということで分かりましたか?一人で川で遊ばない。先生との約束です。"
……そうじゃねぇ……そういうことじゃねぇだろ。お前は今まで何を見てたんだよ。子供が好きだから教師になったんじゃねぇのかよ。止め処なく湧き上がるどろどろとした憎悪と嫌悪の感情が涙になって溢れ出た。
それと背反した数個の嘲笑が後ろで微かに漏れた。間違いない。勇太は死んだんじゃない。あいつらに殺されたんだ。
俺は家に帰ってからSNSを開いた。案の定この事件が大きな話題になってて、"真相を究明しろ!"とか"少年の遺族に支援を!"とかみんなが一体となって勇太の事を気にかけていた。こんなにも仲間がいるんだと思ったら俺は嬉しくてまた勝手に涙が溢れてた。
翌日学校へ行くとそいつはまた俺に感染っていた。感染ったというよりも元いた巣へ戻ってきたという方が正しいのかな。
前と同じ痛みはあったけど不思議と辛くは無かった。だって俺には仲間がいたから。勇太を気にかけてくれる何千、何万の仲間がいた。それを思うと目の前の数人の敵なんて可愛く見えた。
家に帰り再びSNSを開くと今度はいじめの主犯格を見つけろという話で盛り上がっていた。晒されるあいつらの名前や家族構成、住所。それら全てに火がつき延焼して行く。可哀想なんて思わなかった。勇太の魂がこれで漸く救われたなんて本気で思ってたんだ。




