第7話 私にもできますか
少女の名前は佐伯千夏といった。青海ヶ丘高校の一年で、探索部に入っている。適性〈残響〉は、数秒以内に鳴った大きな音の方向を、視界の外でもおおまかに捉えられる能力らしかった。
「便利だな」
透がそう言うと、佐伯は困ったように眉を下げた。
「そう言ってくれた人、初めてです」
「普段は何に使っている」
「授業だと、迷路で先生が鳴らしたベルを探したり……」
「実戦では?」
「ないです」
「試したことは?」
「先生に、前衛向きじゃないって言われて」
放課後の資料室で、透は佐伯の適性測定記録に目を通した。残響の保持時間は平均三・四秒。方向の誤差は左右におよそ十五度。距離の推定はできない。連続した音がある環境では、精度が急に落ちる。
派手な能力とは言えない。それでも、三秒前に鳴った音の方向が分かるなら、視界の悪い場所で使いようはある。
「『戦う』というのは、どのくらいを考えている?」
「同じ一年の人たちと、一緒に探索できるくらいです」
「一人で魔物を倒したいわけではない?」
「できるなら、倒したいです。でも……」
佐伯は言いかけて、口の中で言葉を選び直した。
「私だけいつも後ろで荷物を持ってるの、嫌なんです」
透は記録から顔を上げた。理由としては充分だった。大会に出たい、ランキングを上げたい、稼ぎたい。そういう目的なら、それに見合う効率を考えればいい。佐伯が望んでいるのはもっと手前の、仲間と同じ場所まで行くことだった。
「まず、戦っているところを見せてほしい」
「今からですか?」
「訓練室が空いている」
校内の模擬戦闘室には、低級魔物の動きを再現する訓練機が置かれている。佐伯は貸出用の短槍を手に、ゴブリン型の機体の前に立った。
「普通にやってみてくれ」
「普通って言われても分からないんですけど」
「授業で習った通りでいい」
開始音が鳴る。佐伯が槍を構えると、ゴブリン型機は斜め前へ走った。佐伯は身体ごとそちらへ向き、槍先もついていく。その隙に機体は逆へ切り返し、佐伯の脇をすり抜けた。背面を取られた判定で、警告音が響く。
「もう一回」
二回目は正面からの突進だった。佐伯の槍が早く出すぎ、訓練機はその手前で止まって、穂先の外側から回り込んだ。
「もう一回」
「先輩って、慰めたりしないんですね」
「必要か?」
「いえ。ちょっと気になっただけです」
三回、四回、五回と続けた。反応そのものは遅くない。ただ、敵を目で追い続ける癖が強い。相手が視界から外れると、身体ごと振り返って探そうとする。その一瞬が、実戦なら命取りになる。
「佐伯」
「はい」
「目で追うのをやめてみろ」
「それ、無理じゃないですか?」
「訓練機に、一度だけ床を鳴らしてもらう」
透は設定画面を開き、機体が向きを変えるたびに脚部から短い打音が出るよう書き換えた。
「音が鳴ったら、どうするんですか?」
「〈残響〉で方向を取る。振り向く前に、槍をそっちへ置く」
「置く?」
「刺さなくていい。近づけない場所を作る」
再開する。訓練機が佐伯の右後ろへ回り込み、カッ、と床が鳴った。佐伯の顔は正面に向いたまま、槍だけが右へ流れる。機体が進路を変えた。
「今のを、もう一回」
二度目、三度目と繰り返して、成功は七割ほどだった。佐伯は槍を下ろし、自分の右手をじっと見た。
「これ、私の能力ですよね」
「ああ。佐伯のだ」
「今まで、迷子になったとき便利なくらいだと思ってました」
「それも充分な使い道だ」
「先輩、褒めるときまでその調子なんですね」
「何が?」
「たぶん褒めてくれてるんでしょうけど、全然褒められた気がしないんです」
何を言われているのか掴めないまま、透は記録を付けた。課題はいくつもある。本物の魔物は、訓練機のように都合よく足音を鳴らしてはくれない。〈残響〉は連続音に弱く、敵が何体もいる場所では役に立たない。耳栓を使う手もあるが、普通の聴覚まで塞いでしまう危険がある。
佐伯から借りた能力判定書も開いてみた。適性の公的な測定を受けたあとに渡される書類で、評価欄には「索敵補助への限定的利用」とだけあった。
「これを読んで、どう思った?」
「弱いなって。三秒前の音ですし、強い人なら今いる場所が分かるので」
「だが、足音が鳴った時点では、相手は確かにそこにいた。今を映す能力でなくても、次にどこから来るかを絞る材料にはなる」
透は訓練映像を止め、ゴブリン型機が床を蹴った位置に線を引いた。
「先輩、判定書に書いてある使い方まで疑うんですか?」
「そこまでは言っていない。『限定的』の中身を、まだ使い切っていないかもしれないというだけだ」
佐伯は探索者登録証へ目を落とし、裏返して適性欄を隠した。
「ランクを見ないで考えたら、変わります?」
「ランクは見ていない。何ができるかを見ている」
「……そうですか」
口の端をわずかに上げて、佐伯は登録証を表に戻した。
それからの一週間、透は佐伯の歩き方まで測った。廊下を十メートル歩く。小走りする。右へ二歩、左へ二歩。三日目には、佐伯ははっきり嫌そうな顔を見せるようになった。
「私、魔物より先輩に観察されてる方が怖いです」
「歩幅は必要な情報だ」
「身長と靴のサイズまで聞きましたよね」
「歩幅に関係する」
「体重も」
「止まれる距離に関係する」
「……他の女の子には、絶対やらない方がいいですよ」
「何の話だ?」
「いいです、もう」
呆れながらも、佐伯は最後まで付き合った。そのあいだに透は〈残響〉そのものの限界も確かめていく。体育館、廊下、屋外、狭い訓練室。同じ音でも、壁の材質によって方向の誤差が変わった。能力値だけ見ればE級の一行で終わる。使う場所まで含めると、その性質はずっと込み入っていた。
魔物ではなく、一人の人間に合わせて攻略表を作るのは、透にとっても初めてだった。集めた記録をもとに、佐伯のためだけの手順を組んでいく。
相手はF級魔物の〈ホーンラビット〉。突進の前に、後脚で地面を二度蹴る習性がある。倒すことは狙わない。突進を外させ、転んだところへ拘束具を掛ける。それなら佐伯の力でも届く。
「本当に、私用ですね」
渡された紙を見て、佐伯が言った。
「身長と歩幅も測ったからな」
「こんなの初めて見ました」
「俺も作るのは初めてだ」
実地試験は週末に決まった。透は成功を疑っていなかった。訓練では十二回のうち十回うまくいった。ホーンラビットの速度も、地形も、必要な距離も計算してある。
当日、佐伯は指定の位置に立った。ホーンラビットが現れる。後脚が地面を蹴る。一度、二度。佐伯が動いた。
そして、転んだ。




