第6話 〇・二秒
◇ ◇ ◇
九条の動画の作り直しは、透が考えていたよりずっと大がかりになった。
「最初に言っておくけど、撮り直すなら中途半端にはしたくないの」
翌週の土曜、湾岸第四迷宮の訓練区画で、九条はまずそう切り出した。校外撮影の引率として学校の安全管理教員も来ているが、区画の中へ入るのは透と九条、それに撮影係の榊の三人だけだ。高校生が現地で撮影するには安全管理責任者を置く決まりがあり、教員は入口の管理棟で待機して、何かあればそこから動く。
「前の動画では、犬型魔獣の突進を充分に引きつけてから横へ避ける、だったな」
「そう。その方が、相手の方向転換が間に合わないから」
「ただ、九条は〇・二秒台で反応している」
「何回も言わなくていい」
「数字で確認しておきたい」
「……分かってる」
九条は苛立ちをぶつけるように髪を結び直した。カメラの設定を確かめていた榊が、透の横で声を落とす。
「お前、S級相手でもいつも通りなんだな」
「同級生だ」
「いや、S級を『同級生だから』で片づける奴、そういないって」
透は答えず、通路の奥へ目をやった。岩陰から、灰色の毛並みのハウンド型魔獣が一頭、姿を見せる。体長は一・二メートルほど。D級指定の中では危険度が低く、訓練でよく相手にされる個体だった。
「一回、いつも通りに避けてくれ」
「了解」
九条が前へ出た。魔獣が低く唸り、後脚を沈める。肩がわずかに内へ入った瞬間、九条の右足はもう動いていた。突進。九条は紙一重で横へ滑り、すれ違いざまに魔獣の脇腹を掌で軽く叩く。雷撃は使わない。訓練用の接触判定だけを取って、すぐに距離を空けた。
「やはり肩だ」
「見えてる?」
「映像なら分かる。実物を前にして、俺が同じタイミングで拾えるかは分からない」
九条が戻ってきた。
「じゃあ、次は?」
「肩を見ること自体は教える。ただ、初心者は見えても判断が遅れる。だから距離を倍にする」
「倍?」
「九条のやり方より安全な側へずらす。相手が走り出してから避けるのではなく、予備動作が出た時点で退避を始める」
「でもそれだと、途中で追いつかれることがあるわよ」
「だから遮蔽物を使う」
透は床面の図を差し出した。区画内にある腰の高さの岩柱を使い、魔獣が回り込むあいだに距離を稼ぐ。九条は図に目を走らせ、すぐに指を置いた。
「左利きの人は?」
「何が変わる?」
「武器を持ったまま岩柱の右を回ると、左手が内側に来るでしょ。詰められたとき振れない」
透は返事の代わりにペンを取り、図へ書き込んだ。
「それは動画で言う」
「今まで言っていなかったの?」
「今気づいた」
「それで、人の動画を自信満々に危険扱いしたわけ?」
「俺の動画も絶対に安全ではないと、最初から言っているだろう」
九条は呆れたように息を吐いた。それでも、書き足された図を横からのぞき込むのはやめなかった。
撮影に入ると、もう一つ予想外のことが起きた。説明を意識した途端、九条の動きが崩れたのだ。
「今の、遅かった?」
「〇・三一秒」
「そんなに?」
九条は不満げに構え直した。ところが今度は、肩の動きを視聴者に見せようとするあまり、足が半歩遅れる。
「説明しようとすると、いつもの動きにならないわね」
「なら、先に普通に動いて、解説はあとにする」
「それじゃ、私がどこを見ているか映らないじゃない」
結局、頭部カメラと固定カメラを両方使うことにした。いつもの動きを先に撮り、同じ場面をあとから低速で再現しながら説明する。まったく同じ動作にはならないので、再現映像には〈説明用〉と表示を入れる。
「面倒」
「だから最初に言った」
「あなたが面倒なんじゃなくて、説明が面倒なの」
「同じではないのか?」
「違うでしょ」
二人のやり取りを聞きながら、榊が「そこ使える」と勝手にメモを取っていた。撮影には三時間かかった。
仕上がった動画では、九条が以前の説明に足りない部分があったと自分で認めたうえで、初心者が見るべき予備動作と必要な距離、遮蔽物を使う理由とその選び方、しくじったときにどこで撤退するかを順に説明した。
透は声で補足する予定だったが、榊の判断で字幕に回された。
「お前が喋ると情報量が増えすぎる。字幕でいこう」
「必要な情報だから増えるんだが」
「見る側にも処理速度ってもんがあるんだよ」
公開された動画は、当然のように伸びた。九条の知名度を考えれば、数字そのものに驚くところはない。透が目を留めたのはコメントの方だった。
『前の動画より分かりやすい』
『前の動画、タイミングだけ真似して失敗した。肩を見るってこういうことか』
『才能ある人の動きを分解する企画もっと見たい』
『監修の真壁って誰?』
変化は九条の古い動画にも及んだ。コメント欄で、視聴者が肩の動きや足場の確かめ方を指摘し合うようになったのだ。的外れな分析も混じっていたが、本人が気づいていなかった癖を言い当てたものもあった。
「これ見て。私が毎回、左手を一度開くって書いてある」
九条が透の前に画面を差し出した。
「本当か?」
「知らない。意識したこともなかった」
二人で過去の動画を十本確かめた。魔法を撃つ直前、九条はたしかに左手の指を一度伸ばしている。
「魔力の制御に要るのか?」
「ううん、たぶん昔の癖。今は開かなくても撃てると思う」
「なら、ここは真似しても意味がない」
「そうね」
透はノートに〈理由のない癖も混じる。本人にも分からない場合がある〉と書き、次の動画で触れる項目に加えた。
それから数日して、探索者向けの掲示板に妙なスレッドが立った。
『上位探索者の動画を真壁式で分解してみるスレ』
有名探索者の戦闘映像を持ち寄り、本人が説明していない予備動作や位置取りを探す。そういう遊びが始まっていた。画面をスクロールする透の眉間に、皺が寄った。
「本人の許可もなく断定するのは、まずい」
「そこを気にするのかよ」
榊は笑った。
「お前の名前、もう方式名になってんぞ」
「勝手に付けられた名前だ」
「普通、もうちょい喜ぶだろ、そこは」
「間違った分析が広まる方が問題だ」
透は掲示板を閉じた。
その日の放課後、下駄箱の前で一年生の女子に呼び止められた。小柄で、探索部のジャージを着ている。顔には見覚えがあるが、名前が出てこない。
「真壁先輩」
「何?」
彼女は一度、胸元に下げた探索者登録証を握りしめた。ランクはF。適性欄には〈残響・E〉とある。
「私にも、できますか」
何を聞かれているのか、透には掴めなかった。
「何が?」
「戦うことです」
少女は目を逸らさずに続けた。
「私、探索部ではずっと補欠なんです。だから……私にもできる方法、ありますか」
すぐに返せる問いではなかった。透は、登録証を握ったまま白くなっている彼女の指先を見た。




