第5話 S級探索者の酷評
探索実習室の壁には、大型モニターが六枚並んでいる。授業で探索映像を解析するための部屋で、放課後は申請さえすれば生徒も使える。透が扉を開けたとき、九条はもう一番奥の席にいた。
制服の上に、薄手の黒いジャケットを羽織っている。配信の画面越しには華やかに映る顔も、学校では化粧が薄いぶん輪郭がはっきりして、近寄りがたいほど整って見えた。
「真壁君?」
「ああ」
「座って」
同じ二年生のはずが、面接に呼ばれた側の気分になる。透は向かいの椅子を引いた。
「最初に確認させて。あの攻略動画、作っているのはあなたで間違いない?」
「間違いない」
「学校の探索映像を勝手に使ったりは?」
「していない。公開資料か、自分で撮ったものだけだ」
「なら、そこはいい」
九条は手元のタブレットを裏返して置いた。
「昨日の配信、見た?」
「切り抜きで」
「あのタイトル、付けたのは私じゃないから」
「知っている」
「怒っていないの?」
「何に?」
九条の唇が、次の言葉の形のまま止まった。
「……危険だって批判したこと」
「妥当な指摘だと思う。前提を書き切れていない動画もある」
「修正履歴を付けているのは見た。でも、一度切り抜かれた0.1は、あとから0.2に直らない」
「分かっている」
「だったら、どうして公開したの」
「……自分一人では見つけられない抜けがあるからだ」
九条の眉が寄った。透の頭には、最初のゴブリン動画がある。自分の検証では拾えなかった床面の違いが、他人に使われて初めて表に出た。公開すれば危険は残る。けれど、手元で閉じていれば塞げない穴もある。
音に反応しないゴブリンがいることは、最初の動画でも説明した。逃走経路を確保しろとも書いたし、見つかった抜けは0.1、0.2と直してきた。それでも、視聴者がどこを取り違えるのか、古い説明がどこまで生き残るのかは、透にも読めなかった。
「修正版を作っているところだ。成功例より先に、中止の目安を出す」
「それで全部防げる?」
「無理だと思う」
「なら――」
「九条の初心者向け動画も、危険だと思う」
九条の声が途切れた。透はスマホを出し、保存しておいた一本を再生する。一か月前の配信で、D級迷宮の犬型魔獣を前に、九条が初心者向けの回避方法を説明している場面だった。
『正面へ突っ込んできたら、引きつけて横へ避けます。怖くても早く動かないこと』
「これだ」
「何が?」
「常人には無理だ」
九条の顔から温度が引いた。
「私は実際にやっているけど」
「だからだ」
透は画面をフレーム送りに切り替えた。
「魔獣が踏み込んでから九条が回避を始めるまで、平均〇・二三秒。人間の単純反応時間より短い。踏み込む前の肩か腰を見ているはずだ」
「見てる」
「動画では、そう言っていない」
九条の視線が画面へ移った。透は続けた。
「九条にとっては、『引きつけて避ける』で正しい。でも初心者が同じ距離まで引きつけたら、間に合わない。九条が無意識に拾っている情報まで渡さなければ、再現できない」
「……私が才能で避けているって言いたいの?」
「逆だ。才能だけで避けているわけではないと思う」
九条が顔を上げ、透を正面から見た。
「何百回も戦って、見る場所を身体が覚えた。だから九条にとっては当たり前になっている。初心者はそれを持っていない、という話をしている」
実習室から音が消えた。言い方がまずかったかもしれない、と透は思う。ただ、引っ込める中身でもなかった。九条は動画を二度見直すと、自分の指でフレームを戻した。魔獣の肩が下がる。次のコマで前脚に力がこもる。そのさらに次で、画面の中の九条はもう重心を横へ移していた。
「……ほんとだ。足じゃなくて、肩を見てる」
「いつから?」
「覚えてない」
「そこが困る」
九条は画面から目を離さなかった。三つ数えるほどの間があった。
「なら、今ここで確かめてみる?」
「何を」
「私の説明どおりにやって、あなたが避けられるか」
実習室の奥には、授業用の小型訓練機を走らせる短い模擬レーンがある。九条は教員用端末から犬型の訓練機を呼び出し、速度を実物より落とした。接触は機体先端のセンサーで判定される。
「距離はあの動画と同じでいい?」
「変えたら比較にならない」
「そう言うと思った」
透は指定の位置に立った。旧動画の説明どおり、突進を充分に引きつけ、走り出されてから横へ避けるつもりだった。訓練機の肩が沈む。透が足を動かそうとしたときには、胸元のセンサーが赤く点っていた。接触判定。二回目も同じ結果に終わった。
「遅い」
「知っている」
「そこは、もう少し悔しがってほしかったんだけど」
「悔しがって反応時間が縮むなら、そうする」
九条は訓練機を元の位置へ戻した。今度は、透が指摘した肩の沈みを合図にする。訓練機が踏み込むより先に透は岩柱の陰へ動き、判定を外した。二度目は靴の先が引っかかって遅れたものの、正面から受けることはなかった。九条は端末の記録に目を落とした。
「……少なくとも、前の説明よりはましね」
「九条なら、あのやり方で避けられる。ただ、初心者にそのまま渡すには距離が近すぎる」
「初心者向けのつもりで作ったんだけどね」
そう言ってから、九条は透の方へ向き直った。
「距離は直す。でも、相手が訓練機だからできている部分もあるでしょ。本物を前にして足がすくんだら、同じように動けるかどうかはその人次第よ」
「その通りだ」
「……反論しないの?」
「しない。確かめることが一つ増えただけだ」
九条の口元が、ほんのわずかに動いた。
「……なるほどね」
九条は端末に残った接触判定の記録をもう一度眺め、椅子の背にもたれて腕を組んだ。
「私の説明に必要な情報が抜けていたのは分かった。じゃあ、あなたは何を基準に動画を作っているの」
「分からないところを、『感覚』で片づけたくない」
「全部説明できると思ってる?」
「思っていない。だから撮る。数える。失敗した人にも話を聞く」
「面倒な性格ね」
「ああ」
「褒めてないから」
「知っている」
九条は答えずにタブレットを表に返した。
「私の初心者向け動画、作り直す」
「そうか」
「あなたにも手伝ってほしい」
予想していなかった言葉に、透の返事が一拍遅れた。
「俺が?」
「問題を指摘した人が、そこで逃げないで」
「逃げるつもりはない」
「なら決まりね」
そのあと九条は、自分の失敗映像も出してきた。配信には載せなかった練習記録だという。中学一年のときには犬型魔獣へ近づきすぎて避け損ね、肋骨にひびが入った。二年のときには濡れた床で足を滑らせ、雷撃を壁へ撃ち込んでいる。
「これも使うのか?」
「必要ならね」
「嫌ではないのか」
「失敗していないふりをする方が嫌」
透は返す言葉を探した。数百万人に見られている人間なら、失敗の映像は表に出したがらないものだと、どこかで決めつけていた。
「九条は、意外と――」
「何」
「いや、やめておく」
「そこまで言ったなら最後まで言って」
「面倒なことになる気がする」
「もう充分面倒だけど」
透は結局、続きを言わなかった。九条もそれ以上は聞いてこなかったが、そこから先の説明には、ところどころ棘が混じった。話し合いは一時間ほど続いた。
その夜、自室で、透は新しい動画の冒頭を書き換えた。
『この動画は、成功手順だけを説明するものではありません。途中で動画と状況が違ったら、撤退してください』
堅い文だ。榊が見れば削れと言うだろう。それでも透は、この一文を消さなかった。
続けて、九条の公開動画と失敗映像を交互に並べていく。成功した場面だけを追えば、目につくのは〈雷帝〉の出力と反応の速さだ。失敗の映像を隣に置くと、別の動きが浮かんでくる。滑りやすい床では足幅を広げている。壁が近いときは雷撃の角度を数度落としている。出力の大きさより、しくじったあとに変えた細かな動作の方が、数ではずっと多かった。
透はノートを開いた。
〈強さの中に、能力そのものと、能力を使うために身につけた手順が混ざっている〉
ペン先を紙に置いたまま迷い、その下にもう一行足す。
〈外から見ただけでは、どちらか断定できない〉
努力について、九条自身はまだ何も語っていない。ただ、失敗映像を並べれば、今の動きに至るまでに何度も直してきた跡は見て取れる。その跡を切り落として「S級の動き」と一括りにすれば、能力と積み重ねの区別がつかなくなる。どちらなのかは、本人に聞かないまま決められる話ではなかった。
翌朝、九条から、作り直す初心者向け回避動画の台本が届いた。昨日の話を受けて、あちこちに赤字が入っている。
〈ここは“見れば避けられます”ではなく、“肩が下がるのを確認したら避けます”〉
〈私は慣れているので近くまで待てますが、初心者は待たない〉
二つ目の注記で、透の指が止まった。昨日まで「感覚」の一言で済ませていた本人が、自分と初心者の前提を、もう自分の手で書き分けている。画面を眺めているうちに、D-Liveの通知が重なった。九条が配信予定を更新していた。
【初心者向け回避動画を作り直します】
説明欄には、前回の説明で自分が無意識に省いていた情報があったこと、週末に実物の犬型魔獣を相手に実地で確かめることが書かれている。末尾に一行、透の名前もあった。
〈分析協力:真壁透/D-Live「攻略条件ノート」〉
『本名まで載せるなら先に言ってくれ』
『もう学校では知られてるでしょ』
『知っているのは一部だけだ。それに、確認は必要だ』
『ごめん。次から聞く』
投稿から十分と経たないうちに、コメントが流れ出した。
『本当に一緒にやるの?』
『喧嘩じゃなかったのか』
『S級のやり方をF級が直すってどうなるんだ』
榊からもメッセージが届く。
『お前、今度は四百万人の前で検証することになってるぞ』
『検証なら問題ない』
『すげぇな、お前の度胸』
透は通知を閉じ、九条の台本をもう一度開いた。ネットではまだ、どちらが勝つかという話が続いている。透が確かめなければならないのは、犬型魔獣の突進を前に、九条がなぜ〇・二秒台で動き出せるのか、その一点だった。




