第3話 できました
翌日の昼休み、教室で開いた動画に映っていたのは、白髪交じりの男だった。
六十代半ばくらいだろうか。探索用ヘルメットはまだ新しく、灰色のジャケットも買ったばかりに見える。腰には、初心者講習で勧められる警報笛と救難ビーコン。カメラを回しているのは別の誰かのようだった。
『本当にやるの?』
女性の声だった。
『出会ったら、試してみようか。わざわざ探すつもりはないよ』
男が答える。画面の左上には、東京西部F級迷宮・公開区画、と位置情報が出ていた。透はイヤホンを付け直した。
七分ほどの動画だった。最初の五分、二人はただ歩いている。途中で薬草を一株摘み、すれ違った初心者パーティーと挨拶を交わす。見せ場を意識した編集はどこにもない。
六分十二秒、通路の奥から小柄な影が現れた。ゴブリンだと分かった途端、男の肩がはっきりと強張った。
『いた』
『戻る?』
『いや……まだ距離があるな。慌てなくていい。やってみよう』
透は画面に顔を寄せた。男は足元の石を拾ったが、すぐには投げない。一度振り返って、逃げ道を確かめている。そのあいだにもゴブリンの歩調は速くなっていく。
石が右手の岩壁に当たり、乾いた音が鳴った。ゴブリンがそちらを向く。その瞬間に男は走り出した。十数秒後にカメラが振り返ったとき、ゴブリンはもう追ってきていなかった。
『……できたな』
息を切らしたまま、男が笑った。
『本当に、できるものだな』
動画はそこで終わらなかった。最後に、男がカメラへ向き直って話し始める。
『去年、ここでゴブリンに追われましてね。転んで手首を折ったんです。それ以来、どうにも足が向かなかったんですが、孫があの動画を見つけてくれまして。毎回同じようにいくとは思っていません。ただ、何を見て、いつ離れればいいのかが分かると、ずいぶん違うものですね』
そう言って、照れくさそうに頭を下げた。
『動画を作ってくださった方、ありがとうございました』
開けかけたパンの袋を持ったまま、透は動けずにいた。再生数はもう一万二千を超えている。自分の動画より二桁多い。
「お前より伸びてるじゃん」
隣の席からのぞき込んだ榊の、第一声がそれだった。
「そこを見るのか」
「いや、いい動画だと思うよ。でもお前、そこ気にしないだろ。だから俺が代わりに気にしとく」
「競争しているわけではない」
「知ってるって」
榊は自分の椅子を引き寄せた。
「コメント見た?」
透は画面を下へ送った。
『こういうのでいいんだよ』
『討伐動画ばっかり見てたけど、逃げ方って大事だな』
『元動画の人、登録した』
『ゴブリン倒せない人が探索者やる意味ある?』
『F級なら採取目的の人もいるから普通にあるだろ』
『うちの母親にも見せた』
議論まで始まっている。透はそこで管理画面に切り替えた。
〈山歩き再開〉の動画の説明欄には、元になった透の動画へのリンクが貼ってある。昨夜は二百台だった再生数が、更新するたびに増えていく。六百、八百、千二百。登録者数も、見たことのない速さで入れ替わっていった。
それでも、透の目は数字の上に留まっていなかった。探索部で自分のノートが使われていたころは、誰かがうまくやれば「神谷が強かった」「澄川の索敵がよかった」という話になった。それを不満に思ったことはない。戦っていないのは自分なのだから、当然だと思っていた。
今度も、生きて帰ってきたのは男自身の判断だ。後ろを確かめ、怖さの中で石を投げる瞬間を自分で決めた。その判断のどこかに、透がノートに書いた一行が混じっている。去年は同じ魔物に追われて手首を折った人が、今度は自分の足で歩いて帰ってきた。透は剣を振ってもいないし、迷宮を踏破したわけでもない。それでも、自分の情報が、知らない誰かの生還に使われた。
透には、そちらのほうが自分の再生数よりずっと面白かった。
次の日の夕方、家に帰った透のスマホに、別の通知が届いた。件名は短い。
〈できなかった〉
添付の映像は二十秒ほどで、場所は北関東のF級迷宮だった。投稿者は手順どおり石を岩壁に当て、音も充分に出している。それでも近くを流れる地下水の音に紛れたのか、ゴブリンは振り向かなかった。投稿者はそのまま引き返している。
文面の最後には〈失敗でも送っていいと書いてあったので〉と添えてあった。成功の動画を見たときより早く、透は返信を打った。
〈ありがとうございます。撤退した判断も含めて使わせてもらえますか〉
十分ほどで許可が返ってきた。
その夜、透は〈暫定版0.3〉の変更履歴に「流水音・機械音など背景音が大きい場所では使用しない」を加えた。履歴の一行目には成功した男性の動画を、二行目には失敗した投稿者の映像を並べて貼る。更新を終えてその画面を榊に送ると、ほどなく返事が来た。
『次、スライムだったよな?』
『ああ』
『じゃ、今週撮り行く?』
『実地映像が足りない。公開資料では手元が見えない』
『じゃあ決まり。見学区画までなら俺も入れるし、撮影係やる』
『お前、探索者登録していないだろ』
『だから見学区画。撮影するだけ』
透は予定表を開き、土曜なら空いている、と返した。数秒もしないうちに『おっけ』と届いた。
◇ ◇ ◇
週末、二人は湾岸第四迷宮の初心者公開区画へ出かけた。管理棟で入場手続きを済ませる。透の探索者ランクはE。適性〈観察〉はF級だが、探索者ランクは実地の技能と活動実績をもとに別に評価される。単独で許可されているのはF級区域までだった。
「ほんとに弱いんだな、その適性」
入場前、透の登録証をあらためて眺めて、榊が言った。
「いきなり失礼だな」
「〈観察〉って名前だけ聞くと強そうじゃん。弱点とか見えるのかと思ってた」
「見えない。見落としが減る程度だ」
「どれくらい?」
「分からない。比較対象がない」
「で、F判定なんだ」
「測定側も評価しづらかったんだろ」
公開区画に入って二十分ほどで、最初のスライムが見つかった。青白い半透明の塊が、通路の真ん中をのろのろと這っている。透は手を出さず、距離を取ってまず様子を見た。
「撮れているか」
「撮れてる。で、どうする?」
「石」
「また石かよ」
「どこにでもある上に、有用だからな」
透は小石を一つ、スライムの左前方へ転がした。かすかな振動に引かれて中心核がそちらへ寄り、その分、反対側の縁が薄く伸びる。
「今」
柄の長い採取用フックを伸ばし、薄くなったところに引っかける。粘液が切れ、中心核を傷つけないまま、塊が二つに分かれた。
「今ので倒した?」
「いや、分けただけだ」
片方を通路の端に寄せて、人が通れるだけの幅を空ける。
「スライム相手なら、戦う必要がない場合も多い」
カメラの向こうで榊が笑った。
「お前、ほんと倒さないな」
「今日は討伐が目的じゃない」
撮影のあと、管理棟の休憩所で榊がカメラの映像を確かめているあいだ、透はスライムの残した粘液を観察した。採取は禁止されているから、触れはしない。ただ、通路の中央に残った跡を見ると、核が寄った側ほど粘液が厚い。
「動画、もう一本作れる?」
「同じ内容なら必要ない」
「いや、初心者が短剣刺して抜けなくなるやつ。あれと比較したら?」
「失敗例を勝手には使えない」
「許可取ればいいじゃん」
透は、あの映像を公開していた投稿者に連絡を取った。事情を説明すると、思いがけずその日のうちに返事が来た。
『使っていいです。あの短剣、結局回収できませんでした。初心者が同じことをしなくなるなら、どうぞ』
動画には、自分の方法と並べてその失敗例も入れた。なぜ抜けなくなるのか。どこで見切りをつけるべきか。武器より撤退を選ぶべきなのは、どういう場面か。
「成功例だけ並べるより、こっちの方が分かりやすくね?」
編集画面を見ながら榊が言い、透もうなずいた。しくじった経緯まで見せたほうが、なぜその手順なのかが伝わる。
その映像を使った第二弾は、投稿初日で五千再生を超えた。
翌日には二万。引っ張られるように、ゴブリン動画も伸びた。そして三日後、透の動画を紹介する投稿に、一言が添えられた。
『この人の攻略、才能前提じゃないのがいい』
その短い一文が、数千回共有された。




