第2話 再生数83
動画一本に四時間かかった。攻略を考えるより編集のほうが長かったのは、透としては不本意だった。
「だから説明が長いんだって」
通話の向こうで、榊が三度目の修正を求めてきた。
「必要な前提を抜く方が危険だ」
「抜けとは言ってないって。最初の四十秒でゴブリンの生態史をやるな、って話」
「生態史ではない。行動傾向だ」
「見る側には同じ。そこ、マジでどうでもいいから」
透は編集画面を睨んだ。最初の原稿は十二分あった。ゴブリンの身体能力、視野、聴覚、過去の事故例と積み上げて、ようやく「正面から走って逃げるのは危険」にたどり着く構成だ。榊はそれを五分四十八秒まで削った。
『ゴブリンに遭遇した初心者が、生きて逃げる方法を説明します。倒す必要はありません』
画面の左上には、小さく〈暫定版 0.1〉。用意するのは硬い石か金属片を一つ。ゴブリンとのあいだに遮蔽物があること。逃げ道を先に確かめておくこと。
距離が三メートルを切ったら、行きたい方向とは逆へ石を投げる。岩壁などに当たって硬い音が鳴った瞬間に動く。ただし反応しない個体もいるので、投げてすぐ走り出してはいけない。ゴブリンが音のほうへ顔を向けたのを見届けてから離れる。
地味だった。
剣も振らなければ魔法も使わず、派手な効果音を入れる隙もない。最後の十秒には〈分かっている失敗条件〉と〈未確認〉を映し、その下に、榊が「本気?」と聞き返した一文も残した。
『試してうまくいかなかった場合も、状況が分かる範囲で送ってください。手順を修正します』
「普通、成功報告を募集しない?」
「成功例だけ集めても、どこで失敗するか分からない」
「攻略動画で『失敗した人募集』は初めて見たわ」
投稿したのは日曜の午後十一時十三分だった。再生数が一桁のままでも、透は困らないつもりでいた。もともと、探索部で使っていた情報を整理した延長のようなものだ。
翌朝七時に三十一。昼休みに五十六。放課後には八十三まで増えていた。
「八十三」
教室で、榊がスマホの画面を向けてきた。
「思ったより多い」
「いや、どの立場で言ってんだよ」
「教室二つ分くらいはいる」
「普通そこは『全然伸びなかった』って凹むとこだろ」
「八十三人が、知らない人間の五分動画を見た。充分多い」
「そういう変なとこだけ前向きなんだよな、お前」
スマホを返して弁当に箸を伸ばしながらも、透には再生数より気になるものがあった。コメントが一件ついている。
『これ、本当にできますか? 去年ゴブリンに追われて転んだので怖いです』
アカウント名は〈山歩き再開〉。透は返信欄で三度書き直してから送った。
『動画と同じ状況なら再現できます。ただし、音に反応しない個体もいます。石を投げる前に逃走経路を確保してください。最初から試す目的で近づくのは勧めません』
榊が横から画面をのぞいた。
「固っ。役所の返信かよ」
「命がかかっている。曖昧に返す方がまずい」
「でもちゃんと返すんだな。偉いぞ」
「質問には答える」
その日、透は部活に顔を出さなかった。
正式な退部手続きはまだだったが、大会練習の邪魔をする理由もない。放課後に向かったのは学校の探索資料室だった。学校が契約している国立探索安全協会の教育用アーカイブには、事故例や訓練用に整理された探索映像がたまっている。それを、D-Liveに公開された実地映像と見比べるつもりだった。
次に作ろうと考えていたのはスライムだ。初心者用F級区画の負傷原因としては、それほど多くない。動きは遅く、攻撃性も低い。ただ刃物が通りにくく、初心者が倒せるまで攻撃し続けて時間を食い、そのあいだに別の魔物と出くわす事故が起きている。
三十本ほどの映像を倍速で流し、途中で一本だけ通常速度に戻した。初心者の女性探索者が、スライムに短剣を突き立てている。刺さりはした。だが抜こうとすると、粘液が絡んで動かない。撮影者が叫んだ。
『手放せ! 武器より命だ!』
女性は一瞬ためらってから、短剣を放した。
透は再生を止めた。武器を抜かずに済む方法があればいい。スライムは地面の細かな振動へ寄っていく傾向がある。液状に見えても、中心核が移るには時間がかかる。だったら――
ノートに書き始めたところで、スマホが震えた。
D-Liveの通知ではなかった。
動画を出した夜、榊に「告知くらいしろ」と言われて作った短文SNSのアカウントだ。D-Liveと同じ名前にして、プロフィールに動画のURLを置いただけで、自分ではまだ一度も投稿していない。そこへ、知らない利用者からメンションが届いていた。
『昨日この動画見たんだけど、誰か試した人いる?』
透の動画へのリンクの下に、返信が三つついている。
『理屈は分かる』
『初心者にやらせるの危なくない?』
『今日F級行くから、ゴブリン探して試してみる』
最後の一つで、透の眉が寄った。試すために遭遇しに行くのはやめろ、と打ちかけたところへ、同じアカウントの新しい投稿が流れてきた。
『いた。今からやる』
添えられていたのはD-Liveのライブ配信URLだった。登録者数は三百人にも届かない小規模な探索配信者で、画面の中では二十代くらいの男が二人、F級迷宮の公開区画を歩いている。一人がカメラを持ち、もう一人は透の動画を開いたスマホを手にしていた。透は椅子に座り直した。
通路の先にゴブリンが一体。配信者は一度後ろを確かめてから、足元の石を拾った。ここまでは動画のとおりだった。
『逆へ投げる。で、向こう向いたら走る』
石は右の壁に当たった。けれど、あの乾いた音がしない。壁の下半分を湿った苔が覆っていて、石は岩肌まで届かず、鈍い音を立てて落ちただけだった。ゴブリンは振り向かない。
配信者の足が止まった。動画では、反応を確かめてから離れろと言っている。止まったところまでは手順どおりだ。だが、音が鳴らなかったら次にどうするのかを、透は何も示していなかった。
『下がれ!』
カメラの男が、金属の水筒をむき出しの岩壁に叩きつけた。甲高い音にゴブリンが顔を向ける。その隙に二人は駆け出し、通路を二本戻ったところで配信を切った。画面が暗くなる直前まで、コメントだけが流れ続けていた。
『今の危なかっただろ』
『元動画、硬い音って言ってなかった?』
『でも失敗した後どうすんの』
『これ真似して大丈夫か?』
最後の一行を見たまま、透は画面から指を離せなかった。手順を守れば安全になるように書いたつもりだった。実際には、想定から一つずれた途端、その先に渡せるものが何もなかった。
数分後、配信者本人が短文SNSに投稿した。
『俺が音出せてなかった。二人とも無事。元動画の人を責めるつもりはないです』
アカウントを作ってから初めて、透は返信を書いた。
『無事でよかったです。今後、試すために魔物を探すのは控えてください。こちらも、音が出なかった場合の中止条件を追記します』
送ってからノートを開き、起きたことを順番に書き留めた。
翌日の放課後、校内の模擬区画を借りた。ゴブリン型訓練機の索敵設定を聴覚優位に切り替え、硬い岩面、ゴム材、湿らせた布を貼った面に、同じ角度から石を当てていく。
岩なら振り向く。ゴム材では反応が遅れ、濡れた布にはまったく反応しない。
「表面でも変わるのか」
配信で起きたことは、少なくとも模擬環境では再現できた。透は動画の概要欄に〈苔・土・柔らかい素材など、硬い音が充分に出ない面では使用しない〉と書き足した。映像に焼き込んだ〈暫定版 0.1〉は直せないので、概要欄の先頭に〈最新:暫定版 0.2〉と置く。
〈0.1→0.2 硬い音が出ない面で誘導失敗を確認。使用中止条件と失敗時の撤退を追加〉
固定コメントにも同じ内容を載せ、近距離で音が出なかったらそれ以上続けず、確保しておいた退路へ戻ることを加えた。古い記述は消さない。何を見落としていたのかも、残しておくためだ。
ライブ配信の切り抜きから流れてきたのか、再生数は二百を越えていた。コメント欄には〈危ない攻略〉という言葉もあれば、〈失敗を追記したのはいい〉という声もある。
自分がまだ見つけていない穴を、知らない誰かが先に踏む。それを画面越しに目にしたのは、初めてだった。0.2の表示を確かめてから、透は榊に配信のURLを送った。
『見た。だから言ったろ、見る側はお前の頭の中まで読めないって』
『分かっている。なんとかする』
『今日は珍しく素直じゃん』
『事故になりかけたからだ』
その夜、透は視聴維持率というものを初めてまともに見た。榊に言われて管理画面を開くと、石の選び方を説明している途中で、視聴者の三割近くが離脱している。失敗したときにいちばん大事な「投げた音に反応しない場合は走らない」は、その先にあった。
「見られない注意書きって、ないのと同じじゃん」
通話の向こうで榊が言う。
「ただ、注意を先に並べれば離脱はもっと増える」
「だから順番なんだって。動画も説明なんだからさ」
納得しきれないまま、透は同じ内容を二分四十秒に縮めた短縮版を作った。情報は削らず、石の大きさを見せるために三種類を机に並べていた二十秒と、同じ動作を角度を変えて二度映していたところを落とす。概要欄には詳細版へのリンクを残した。
投稿の前に、二本を続けて見た。短いほうにも必要な注意は残っている。ただ、なぜそうするのかという説明は薄くなっていた。
「短い方を入口にして、詳細版へ誘導する」
『それでいいって。全員に教科書一冊読ませる前提、やめようぜ』
「教科書ではない」
『いや、お前の三十分動画、ほぼ教科書だから』
透は言い返さず、短縮版を予約投稿した。
関連動画の欄に、見覚えのない動画が一本出ていた。タイトルは短い。
【できました】




