第1話 役立たずの攻略係
「今年から、補助要員の枠が一つ減った」
放課後の青海ヶ丘高校探索部室で、神谷蓮はそう切り出した。
机の真ん中には、全国高校探索競技会の地区予選要項が広げてあった。去年まで六人だった登録枠が五人になっている。うち四人は実地探索に入る選手で、残る一人にも負傷時の交代要員として戦闘能力を求める、と赤字で書き足されていた。
真壁透は要項に一度目を通してから、神谷の顔を見た。何を言われるかは、もう分かっていた。
「つまり、俺が外れるんだな」
「そうなる。悪い」
謝りはしても、神谷は言葉を濁さなかった。三年生で探索部部長。A級適性〈剣圧〉を持ち、昨年の大会では個人撃破点で都内上位に入っている。気まずい話を副部長に押しつけるような男ではない。
透は椅子の背にもたれ、机の端の紙束に目をやった。昨日、自分が印刷してきた予選ダンジョンの地形図だ。出現が確認されている魔物十二種、過去三年の遭遇地点、補給地点までの平均所要時間。狭い通路では神谷の剣圧が使えないことを見越して、経路は第三候補まで引いてある。
それを作った本人が、登録枠からこぼれた。
「ノートは?」
「使わせてもらいたい。もちろん嫌なら――」
「構わない。大会に出るなら必要だろ」
神谷の眉がわずかに寄った。返事が早すぎたのかもしれない。横で装備を磨いていた二年の部員が、場をほぐすように笑った。
「今は攻略情報も大体ネットにあるしな。真壁には悪いけど、枠一つなら戦える奴を入れるよ」
悪気のある口ぶりではなかった。
「そうだな」
それだけ答えて、地図の束を神谷のほうへ押しやった。
話が済むと、透は自分の席に戻った。いつもなら練習前の十分で誰かしら質問に来るのに、今日は誰も寄ってこない。気を遣われているのが分かって、かえって落ち着かなかった。
机の向こうでは、神谷が一年生に剣圧の使い方を教えている。戦闘の不得手な透の目にも、踏み込みから剣を止めるまでに無駄がないのが分かった。枠が一つ減り、残った補助枠にまで戦える人間が要るのなら、自分が外れるのは当然だ。
だから、腹を立て切れなかった。理不尽なら怒ればいい。けれど実力差も規定も本当で、ただ自分の仕事だけが登録資格に数えられない。その中途半端さのせいで、怒りの持っていき場がなかった。
透は地図の余白に、予選会場で起こり得る異常を三つ書き足した。出ないからといって、昨日までに気づいたことを消す理由はない。のぞき込んだ神谷が「そこまでやらなくても」と言いかける。
「途中で気づいたことを放置する方が気持ち悪い」
「……自分が出ないのに、最後まで直すんだな」
「何が」
神谷は答えず、地図を受け取った。その日の部活は、透の組んだ攻略予定で進んだ。
第一区域のコボルトは正面から相手にしない。第二区域は魔力霧が濃いので、部内で索敵を担当する澄川を中心に歩く。第三区域の岩棚では剣圧が落石を招くおそれがあるから、神谷も通常の剣技だけで進む。
透はいつもどおり説明し、神谷もほかの部員もいつもどおり聞いた。ただ、説明が終わっても「じゃあ本番も頼む」とは誰も言わなかった。
六時を回ったころ、透は部室を出た。廊下の窓から、校庭の向こうに湾岸の高層建築が見える。そのさらに先、肉眼ではもう見分けのつかないあたりに、東京湾岸第三迷宮の管理塔が立っている。十二年ほど前に最初のダンジョンが現れてから、管理塔のある景色はあっという間に日常の一部になった。
探索者用の細長いバッグを、透は肩に掛け直した。
「で、切られた?」
階段の踊り場に榊悠斗がいた。同じクラスの友人で、探索部員ではない。運動部にも入っていない。スマホを横向きに持ったまま、壁にもたれている。
「言い方が悪い」
「じゃあ、円満に戦力外通告ってことで?」
「余計に悪い」
榊は笑って、透のバッグを指さした。
「それでも持って帰るんだな」
「家で整理する。予選用に集めた映像が残っている」
「出ない大会のやつ?」
「資料は資料だろ」
榊は数秒黙り、それから、理解の及ばないものを見る顔になった。
「お前さ、去年からそのノート何冊作った?」
「紙なら七冊。データは別だ」
「七冊? マジで?」
「一冊目は、今見るとかなり雑だ」
「そこまでは聞いてないって」
並んで昇降口まで歩いた。下駄箱の前で、一年生が探索用ブーツの泥を落としている。高校生の探索活動はもう珍しくなく、決められた講習を受ければF・E級ダンジョンの指定区域に入れる。優れた適性を持つ生徒が探索部で大会を目指すのも、野球や陸上とさほど変わらない眺めになっていた。
「それ、動画にしたら?」
外履きに替えながら、榊が言った。
「何を」
「それ。攻略ノート」
「誰が見る」
「少なくとも俺は見る。紙七冊渡されるより、十分の動画の方がずっとマシ」
「お前は探索者でもないだろ」
「だからだって。探索者向けの動画って、初心者向けって書いてあるくせに『ここは感覚で避けます』とか普通に言うじゃん。あれ、説明になってないだろ」
靴紐を結ぶ透の手が止まった。その手の説明が嫌でノートを作ってきたのだから、言い返しようがない。
「……だが、俺の適性はF級の〈観察〉だぞ」
「動画に適性欄なんかないって」
「そういう意味ではない」
「強い奴の強いやり方は、もう腐るほど上がってる。弱い奴が死なない方法なら、むしろ需要あるんじゃない?」
言うだけ言って、榊は先に外へ出ていった。透は靴紐を結びかけたまま、その背中を見送った。
◇ ◇ ◇
帰宅すると、机の脇に黒いノートが七冊並んでいる。透は一冊目を開いた。最初のページは、二年前に書いたゴブリンの走行記録だった。
平均時速二十四キロ。右足を前に出して跳びかかる割合、十六回中十三回。正面から逃げた場合、人間の短距離走では振り切れない。視界の外で硬い音を出すと、正体を確かめるために一度立ち止まる。その下に、当時から使っている四つの見出しが並んでいた。
〈確認できたこと〉
〈成立する条件〉
〈失敗した例〉
〈未確認〉
あとで見返したときに取り違えないよう、二年前の透は記録を四つに分けていた。〈失敗した例〉には、石を投げた直後に走り出したせいで、振り向かなかったゴブリンに追いつかれた映像。〈未確認〉には「雨天でも音へ反応するか」「複数個体のうち狙った一体を誘導できるか」「聴覚器官を損傷した個体にも通じるか」と、まだ試せていない状況が書き並べてある。うまくいった手順を残すだけなら、こんな欄はいらない。どこまで確かめたかと、何がまだ分からないかを、一緒くたにしないための区分だった。
欄外の一行には、大きく二重線が引いてあった。
『倒そうとする必要はない』
透はスマホを取り出し、動画投稿配信サイト「D-Live」の投稿画面を開いた。チャンネル名の欄には、ひとまず〈攻略条件ノート〉と入れる。自分が誰なのかより、何を載せる場所なのかが伝わればいい。
タイトル欄で一度指が止まり、それから打ち込んだ。
【剣術不要】初心者でもゴブリンから生還する方法
概要欄にも、ノートの四つの見出しを移した。動画にすると、どうしても「この通りにやればいい」という顔になる。雨の日はどうか。二体以上いたらどうか。そこはまだ試していない。知らないことを、知っているような顔で書きたくはなかった。
最後に、いちばん上へ小さく書き添える。
〈暫定版 0.1〉
そこまで入力して、ようやく気づいた。肝心の動画は、まだ一秒もできていない。




