第31話 原因
翌朝には、COMMON ROUTEの更新停止がニュースになっていた。
『人気攻略サイト、主要手順を緊急停止』
『魔物が攻略法へ適応か』
『高校生発の共有サービスに安全性問題』
「適応」はまだ仮説にすぎない。それでも見出しに載ってしまえば、どこまでが仮説でどこからが事実なのか、読む側には見分けがつかなくなる。透は登校前に、公式サイトへ追記を入れた。
〈現時点で確認されているのは、複数の種の行動変化と、利用回数との相関です。原因は確定していません。既存の手順は、安全を優先して停止しています〉
十数分後、その文章を引いて「運営が適応説を否定」と書いた投稿が流れてきた。
「否定もしていないんだが……」
台所で味噌汁をよそっていた母親が、お椀を食卓に置いた。
「ネットの記事、全部直そうとしない方がいいんじゃない?」
「間違っている」
「間違いを正すことの全部が、透の責任じゃないでしょう」
透は箸を持ったまま手を止めた。この数日で、似たようなことを何人から言われただろう。
駅の改札を抜けると、榊が待っていた。片手にスマホ、もう片方の手には食べかけのパンを持っている。
「取材の問い合わせ、朝だけで四十件。全部俺の方に回せ」
「技術的な質問なら、俺が答えた方が早い」
「早いけどさ、お前が答えると一件に三千字書くだろ。で、そのうち一行だけ切り取られると」
言い返しかけて、透は口を閉じた。昨夜の追記は、十数分で逆の意味に引用されている。
「広報は俺の仕事。お前は原因を調べる。分担な」
榊はパンの残りを口に押し込み、先に歩き出した。
学校では校長と顧問から、当面は外部の取材に直接応じないよう勧められた。アークラインに広報窓口があるので、透は技術的な説明を確認するだけでいいことになった。教室に入ると、クラスメイトはいつもと同じ調子で話しかけてきた。昨日のドラマの話が出て、週末の予定の話が出た。誰もニュースに触れないのが気遣いなのは分かっていたが、今はそれがありがたかった。
昼休み、九条が教室まで来た。
「今日アークラインに行くんでしょ。私も行動変化の検証で呼ばれた」
「S級側の比較要員か」
「たぶん。それと、あなたを一人で行かせない方がいいって、久世さんに言われた」
「監視役まで要るのか」
「昨日からその件しか考えてない顔してるもの。研究室に着く前に、仮説を三つは増やしそう」
「増えたらメモはする」
「それを見張れってことでしょうね」
久世の読みは当たっていた。地域の差と利用頻度の差をどう切り分けるか、透の頭はもうそちらへ向かっていた。
アークラインの研究室には、過去三年分の魔物の映像が集められていた。壁一面の画面に、同じ種の個体の動きが年ごとに並んでいる。グレイオーガ、フロストウルフ、レッドゴブリン。それに、COMMON ROUTEで利用の多い十二種。
「行動の変化量を数値にしてみました。まだ粗い指標ですが、公開手順の推定利用回数と、はっきりした相関が出ています」
画面に散布図が出た。利用回数の少ない魔物の点は、左下に固まっている。数万回使われた攻略の対象になるほど、点は右上へ伸びていく。
「地域差は?」
「あります。同じ魔物でも、COMMON ROUTEの利用率が低い地方では、変化が小さい」
「同じ手順を受ける回数が少ないからですか」
「その可能性が高いですね」
「逆に、ほかの戦い方が主流の地域は?」
「変わる方向そのものが違います」
研究員はオーガの映像を二つ並べた。東京の公開迷宮の個体は、探索者が右後方へ回った瞬間に右肘を引く。槍の集団戦が主流になっている北陸の迷宮の個体は、右後方への反応が鈍いかわりに、正面から伸びてくる長物にだけ一歩退いた。
「ウルフは左側の動きに敏感になり、ゴブリンは音と逆の側を警戒するようになっています。どれも、その地域で一番よく使われている手順の裏をかく方向です」
「迷宮が、繰り返された遭遇を、次の個体へ残している」
「そこはまだ断定できません。討伐された個体の偏りなら、再生偏向で説明がつきます。ただ、回避の手順でも変化が出ている。生き残った個体の経験か、遭遇したときに残る魔力情報が、再生成に反映されているのかもしれない」
一つ、透の知らない言葉が混じっていた。
「再生偏向?」
「学会の用語です。一般の教本にはほとんど出てきません。同じ迷宮でも、環境に応じて、再生成される個体の形質が徐々に偏っていく現象のことです。これまでは、気候や地形への適応だと考えられてきました」
渡された論文は、探索の初期から継続して観測されてきた個体群をまとめたものだった。寒冷区画のラット型魔物が数年かけて毛量を増やした例。高所区画の鳥型魔物の翼幅が変わった例。どれも変化が遅く、そのせいか、探索者の戦い方と結びつけて調べた人はほとんどいなかった。
「COMMON ROUTEが、同じ戦術との遭遇を、短い期間に集中させた。そういうことだな」
いつの間にか、久世が研究室の入口に立っていた。久世は透の顔を見て、言葉を継いだ。
「ただ、君が一人で起こしたと考える必要はない。動画の共有も、探索者人口の増加も、攻略情報の標準化も、君が始める前から進んでいた。原因と責任は分けて考えろ」
「でも、俺が速めた」
「おそらくな」
久世は慰めの言葉を足さなかった。透の方も、それを待ってはいなかった。
「元に戻すには、どのくらいかかりますか」
「戻す、という言い方が正しいかも分かりませんが……」
研究員は散布図から目を離さなかった。
「同じ攻略が使われなくなれば、その形質が有利ではなくなる。長い目で見れば、偏りは弱まる可能性があります。どこまで影響が残るかは不明です」
「では当面、同じ手順を広めない」
「安全を取るなら、そうなります」
透はその場でCOMMON ROUTEの管理画面を開き、主要手順の表示を「停止」から「旧版使用禁止」へ切り替えた。説明欄には、仮説にもとづく措置であることも書き添えた。
その夜、サイトのアクセス数は過去最高を記録した。使うなと告知した日に、いちばん多くの人が見に来ていた。
透はアクセス解析の画面を閉じて、地図アプリを開いた。COMMON ROUTEの利用報告がほとんど届いていない迷宮を、北から順に探していく。長野県の山あいに一つだけ、報告件数がゼロに近いまま何年も過ぎている迷宮があった。




