第30話 あいつらも攻略している
三件の事故映像は、アークラインの解析室で再生された。窓のない部屋に集まったのは透と久世、九条、それに協会から来た二人の研究員だ。高校生の透と九条がここにいられるのは、事態の緊急性を考えて、学校とアークラインが特例で出席を認めたからだった。誰も話さないあいだ、空調の低い唸りだけがやけに耳についた。
「怪我をした人たちは?」
再生の前に九条が聞いた。久世は手元の報告書から目を上げずに答えた。
「三人とも命に別状はない。ただ、北海道の探索者は左の大腿を深く噛まれている。元の仕事に戻れるかどうかは、まだ分からないそうだ」
九条はそれ以上聞かなかった。透は報告書の年齢欄に目を落とした。二十三歳、三十一歳、四十六歳。三人とも、これまで何度もCOMMON ROUTEへ利用報告を送ってくれていた利用者だった。
「一件目」
久世が再生ボタンを押した。北海道のフロストウルフ。COMMON ROUTEの手順では、正面へ小さな熱源を投げ、嗅覚と熱感知の判断が一瞬食い違う隙に左へ抜ける。
画面の中で探索者が発熱具を投げ、ウルフの鼻先がそちらを向く。そこまでは、何千回と報告されてきた通りの動きだった。探索者が左へ踏み出す。
同じ瞬間、ウルフも左へ跳んでいた。そこへ来ることを、最初から知っていたような跳び方だった。
「二件目」
九州のレッドゴブリン。高い金属音に顔を向ける習性を使い、音と逆の方向へ抜ける手順だ。金属音が鳴り、ゴブリンが振り向き、探索者が走り出す。
ゴブリンは音の方を向いたまま、腕だけを逆側へ伸ばして探索者の足を払った。
「三件目」
関東のグレイオーガ。右後方へ回り込む手順。オーガがわずかに右肩を下げ、そこに死角ができたように見えた。探索者が踏み込む。肘が落ちてくる。
映像が終わったあと、口を開く者はいなかった。透は三本を頭から見直し、魔物が動き出したフレームでそれぞれ止めていった。三本とも、探索者の足が地面を離れる前に、魔物の重心がもう移っている。
「行動が変わっていること自体は、もう疑いようがありません」
白髪交じりの研究員が言った。
「問題は仕組みの方です。個体が学習した、と考えるのが一番簡単ですが、記録で追えるかぎり、事故を起こした三体とも、同じ手順を以前に受けた形跡がない」
「……魔物同士で、避け方を伝え合ってるってこと?」
「群れで動くウルフなら、ありえなくはない。ですが同じ反応が、別の地域のオーガやゴブリンにも出ています。種も生息域も違うとなると、伝達では説明がつきません」
透は手元の資料をめくった。迷宮研究の基礎文献を、アークラインの研究室が会議用に束ねたものだ。討伐された魔物は、一定の期間を置いてまた現れる。とはいえ同じ個体が生き返るわけではなく、迷宮の魔力構造が似た個体を作り直しているにすぎない。探索の初期から知られ、教本にも載っている話だった。
「再生成された個体は、元の個体と完全に同じですか」
「多少の差は出ます」
答えたのは若い方の研究員だった。
「環境に合った特徴が残りやすい、という論文もあります。ただ、ずいぶん時間のかかる変化ですよ。最初期から追跡している迷宮で、十年近くかけて差が開いた例がある程度で。寒い迷宮だと、同じ種でも毛皮が厚くなるとか、そういう話です」
「それは倒された個体に限った話ですか。倒されずに逃げられた個体が受けた刺激も、次に残るんですか」
「分かっていません。再生成後の個体の分布が、直前まで残っていた個体群の特徴に寄る例はあります。でも、個体の経験まで残るのか、迷宮が周りの魔力情報を参照しているのか、そこは未解明なんです」
透は席を立ち、壁の大型画面にCOMMON ROUTEの利用回数のグラフを映した。公開した日を起点に、右肩上がりの線が三本並ぶ。
「十年近くかかっていた変化を、利用回数が一気に縮めた可能性はありませんか」
空調の音が、また耳に戻ってきた。
「……どういう意味だ」
「これまでは、同じ方法を同じ魔物へ何万回も使うことはなかったはずです。探索者ごとに、戦い方が違ったので」
透はオーガのデータを開いた。
「右後方ルートは公開から数か月で、報告があっただけでも八千回。報告しない人を含めれば、もっと多くなります。フロストウルフの左誘導は推定で数万回。レッドゴブリンの音響回避も、同じくらいです」
若い研究員が顎に手を当てたまま、画面の前まで歩いてきた。
「……討伐の手順なら、その手順に弱い個体から死んでいく」
「回避の手順でも、同じ刺激と同じ逃げ方を、何千回と経験させていることになる」
久世は言いながら、討伐記録の表を横に並べた。
「どちらにしても、迷宮へ同じ情報を繰り返し渡しています」
言い終えたとき、透の手のひらは冷たくなっていた。倒した個体が減っていくだけなら、話はまだ分かりやすい。だが倒さずに抜ける方法でも、同じ刺激を浴びせ続ければ、反応が変わるのかもしれない。そしてCOMMON ROUTEは、全国の探索者に同じ動きをさせてきた。
「仮説の段階で公表するのは――」
「検証が先です」
二人の声が重なったところを、久世が遮った。
「事故の出たページは止める。関連する手順にも警告を出す。真壁君、異論は?」
「……ありません」
透は画面の隅に、最初のゴブリン動画のページを開いた。石を投げる。音へ振り向く。走る。更新履歴をいちばん下までたどると、あの一行はまだそこにあった。
〈湾岸第四:音刺激への反応低下報告あり。原因不明/要追加確認〉
報告は三件しかなかった。うち二件が雨の日だったから、雨音のせいだと考えた。消しはしなかったが、履歴の奥に沈めたままにしていた。あのいちばん単純な方法でさえ、今では何十万回と使われている。音へ振り向く個体が倒されて減ったのか、倒されないまま同じ音と同じ逃げ方を浴び続けたのか、今はまだ判断できない。ただ、音に釣られない個体が増えていることは、数字がはっきり示していた。
「俺たちが攻略したから……」
九条が横目で透を見た。透は事故映像を三件目に戻し、オーガが右肩を下げる直前で止めた。どう見ても、誘っている姿勢だった。
「向こうも、俺たちを攻略している」
否定する声は、どこからも上がらなかった。
会議が終わると、透は廊下で年長の研究員を呼び止めた。
「COMMON ROUTEがなければ、これは起きなかったと思いますか」
研究員は資料の束を抱え直し、廊下の先へ目をやった。答えはすぐには返ってこなかった。
「同じ速さでは起きなかった可能性が高い。ただ、攻略動画を共有しているのは君たちだけじゃない。ギルドの間でも、戦い方の標準化は何年も前から進んでいた」
「では、いずれは」
「分からない。科学者に『いずれ』を聞かれても困るよ」
突き放すような口ぶりが、透にはかえって信用できた。
「でも、速めたのは事実ですね」
「……否定はできない」
帰りの電車で、九条からメッセージが届いた。
『今日は寝ること』
『努力する』
すぐに『どうだか』と返ってきた。透は返事を打たずに、スマホを上着のポケットへしまった。
その夜、COMMON ROUTEの主要な攻略ページに、赤い警告が表示された。
〈大規模な行動変化を確認。既存手順を使用しないでください〉
公開ボタンを押したあとも、透は机の前から動けなかった。警告の下には、これまで積み上がってきた成功報告の件数が、そのまま並んでいた。




