第27話 正しい攻略には金がかかる
アークラインとの提携から二か月が経ったころ、透は初めて検証費の一覧を見せられた。
「……こんなに?」
D級の攻略手順を一つ公的検証まで持っていくのに、平均で百万円を超える。個体の確保、施設の使用料、安全員と医療担当の人件費、保険、映像解析、報告書の作成。危険度が上がれば、要る人員も設備も増えていく。
『C級なら数百万。B級は内容次第で千万単位だ』
「全部は無理ですね」
『最初からそう言っている』
久世は費用表を閉じないまま、別の資料を二枚並べた。
一枚目は、都市部のD級迷宮で使われている回避手順だった。月の利用報告は一万件を超える。失敗率は低いが、利用者が多いぶん軽傷の報告も途切れない。
二枚目は、地方のD級迷宮にある採取帰還ルート。月の利用者は四十人余りで、直近で二件の負傷報告が出ている。代わりになる手順は、まだ一つも登録されていなかった。
『今月、協会の施設へ回せるのは一件だ。どちらを先にする?』
「両方」
『一件分しかない』
透は二枚を見比べた。利用者の多い方を先にすれば、事故を減らせる人数は大きい。けれどもう一方を後回しにすれば、情報の乏しい土地で、ほかに頼る手段もないまま待たされる人が出る。
端末に二件を打ち込み、利用者数で並べてみる。都市部の手順が上に来た。直近の負傷件数で並べ直すと、今度は地方の手順が上がる。代替手段の有無を足すと、差はさらに開いた。
「利用者数だけでは決めたくありません」
『では、二件の負傷を理由に、四十人の方を選ぶ?』
「それだと、一万人を後回しにすることになる」
『そうなる』
透は画面を閉じた。数字にすれば決めやすくなると思っていたのに、どの数字を先に置くかで答えがひっくり返る。
『明日の正午までに決めてくれ。決めない、という選択はない』
会議室を出るときも、透の手には二枚の資料が残っていた。
帰り道にその話をすると、九条はまずそこを聞いてきた。
「で、どっちにしたの?」
「まだだ」
「締切、明日なんでしょう」
「分かっている」
「珍しく逃げてるわね」
透は否定しなかった。利用者の多い方を選べば、少ない方を切り捨てた気がする。負傷報告を優先すれば、今度は人数の多さから目を逸らした気がする。どちらにも理由はあって、理由だけでは決めきれなかった。
九条は駅の自動販売機で水を買い、透が抱えている資料に目を落とした。
「二つともやりたいなら、検証に回せるお金を増やせばいいんじゃない?」
「簡単に言うな」
「あなた、企業研修ずっと断ってるでしょう」
「一般向けと同じ内容で金を取るのはおかしいだろ」
「一般の人から取らなければいいじゃない。払える会社から取って、その分を無料公開に回すの」
透は返事に詰まった。無料で出していることと、お金がかからないことを、いつの間にか一緒にしていた。
その夜、榊と二人で収支を出し直した。広告収入に寄付、提携金。そこからサーバー費や機材、保険、検証費を差し引いていく。
「地方の手順十件、公的検証したら赤字」
「十一件目から、ではなく?」
「一件目から普通に赤字」
「なら、何で十件と言った」
「絶望に助走をつけてやったんだよ」
榊が企業案件の一覧を開いた。以前に断った上位ギルドや装備会社からの研修依頼が、未処理のまま何件も溜まっている。求められているのは個別の攻略情報ではなく、映像の見方や失敗記録の取り方、手順を更新するときの基準だった。
「一般に公開している内容も入っている」
「そりゃ入るよ。でも会社向けなら、そこに所属してる探索者の映像を使って、その場で分析するわけだろ。そこは別料金でいいって」
榊は依頼額に目を走らせ、さっきの二枚の資料を横に並べた。
「これ二件受けたら、今月の検証、両方回せるぞ」
「二件で?」
「法人価格を舐めるな」
透は依頼額の数字を見つめ、それから一件目の返信欄を開いた。
最初に引き受けたのは、物流系ギルドの研修だった。会議室に集まった十二人に一般公開している観察項目を配り、所属チームが持ち込んだ過去の映像を、透は一本ずつ止めていった。
「この場面、何を記録しました?」
班長は討伐時間と負傷者数を挙げた。別の隊員は、盾役が足を滑らせたことを口にした。けれど同じ床材で三週間前にも転倒があったことは、誰一人把握していなかった。映像は保存されているのに、班が違うだけで失敗同士が繋がっていない。
転倒を挙げた隊員が、配布資料に目を落とした。
「一般向けの講義と、どこが違うんですか」
「教材が違います。いま見ているのは、あなたたちが実際に失敗した記録です。公開動画では一つ一つの記録までは確かめられませんし、社内の記録の形式に手を入れることもできません」
研修の後半は攻略法の講義にならず、十二人がばらばらに付けていた記録の欄を揃える作業に費やされた。榊が請求書を送り、入金予定額から会場費と人件費を引く。それでも、地方の採取帰還ルートを一件、公的検証へ回せるだけの額が残った。
数週間後、COMMON ROUTEは企業向け研修と専門データの提供を有料にした。一般向けの基礎攻略は無料のまま据え置き、収益の一部を、利用者の少ない地域の検証に回す。
久世は企画書を読み終えると、通話越しに言った。
『採算はかなり悪い』
「分かっています」
『だが、前よりは続けられる』
初回の検証予定表には、あの日の二件がどちらも載っていた。透は日付を確かめてから、〈検証待ち〉の一覧を開いた。
百八十七件。




