第19話 実証試験
試験当日の朝、透は予定より一時間早く協会の施設に着いた。一番乗りのつもりだったが、ロビーの長椅子には佐伯が先に座っていた。膝に今日の手順書を載せていて、開いたページには何度もめくり返した癖がついていた。
「早いな。緊張しているのか」
「少し。家にいても落ち着かないので、来た方がましでした」
「なら、始まる前にあまり詰め込むな。直前に入れたものほど、途中で飛びやすい」
「そう言う先輩も、今日はいつもより落ち着いて見えませんけど」
透は言い返そうとして、やめた。監視室に入ってしまえば、自分からは何ひとつ手を出せない。落ち着かない理由は、佐伯とたいして変わらなかった。
午前九時、試験の概要が発表された。模擬C級区画の指定地点まで行き、標識タグを回収して帰還する。制限時間は三時間。途中の魔物を倒す義務はない。透は監視室で映像を見られるが、通信は一切できない。
「手、そこに置かない方がいいよ」
隣の九条に言われて、透は緊急停止ボタンのそばへ伸びていた右手を引っ込めた。
「押すべきときは押す」
「分かってる。だから、今から構えてると疲れるって言ってるの」
危険と判断すれば、協会側が強制的に終了させる。それでも気がつくと、透の右手はまたボタンの方へ戻っていた。
検証委員の一人が、透に確認を求めた。
「成功の見込みは、どのくらいと見ていますか」
「六割ほどです」
「思ったより低いですね」
「訓練で最後まで行けたのが、八回中五回なので」
「今日までに改善したのでは?」
「当日は個体も地形も変わります。数字を上げる根拠がありません」
委員は意外そうな顔をして、手元に何か書きつけた。
九時三十分、試験が始まった。六人が入場し、透の前に六分割の映像が並ぶ。
最初の二十分は順調だった。予定していた魔物をかわし、地形の変化には三島が判断を下す。佐伯も落ち着いている。
問題が起きたのは、第一補給点を過ぎた先だった。
「……個体が違う」
透の口から声が漏れた。訓練で〈ストーンリザード〉がいた場所に、〈ブレードモール〉がいる。振動などで獲物を察知して地中を掘り進み、腕の刃で足元を狙うC級魔物だ。事前資料に候補として名前はあったが、訓練では一度も出ていない。
画面の中で六人が立ち止まった。
『これ、手順ないよな』
『ない。共通手順でいく。まず距離』
最終日に足した簡易プロトコルだった。見たことのない個体に出くわしたら、一、近づかない。二、何に反応するかを一つだけ確かめる。三、撤退路を確保してから試す。
六人は後ろへ下がり、ブレードモールから十五メートルの距離を取った。森が小石を投げる。反応はない。次に片岡が、〈重量変化〉で軽くした空の金属容器を床に転がした。床が震えた瞬間、ブレードモールが地面に潜った。
『振動』
『来る方向、分かるか?』
佐伯はすぐには答えなかった。
『音が多い。待って』
佐伯が目を閉じる。地中を削る音が近づいてくる。
『左前!』
全員が右へ飛び退いた直後、床を突き破って刃が突き出た。
『振動に反応してるなら、走ると追われますよね』
河野が自分の足元を見る。
『じゃあ歩く?』
森が、背負っていたロープに手をかけた。
『もっと静かにできる』
床にじかに足を置かず、壁際の配管の基部に体重を分けて進む。振動をゼロにはできなくても、地面へ伝わる衝撃は減らせる。片岡が荷物を軽くし、一人ずつ渡っていく。予定の三倍の時間を使って、六人はそこを抜けた。
監視室の委員たちがざわついた。
「真壁君。今の方法、あなたの手順書にありますか」
「ありません」
「では、誰が考えた?」
「現場の六人です」
透は画面から目を離さずに答えた。嬉しさより先に、怖さが来た。画面の中の六人は、透の知らないやり方で進んでいる。そうなってほしいと、自分で望んでいたはずだった。
試験は協会の公式配信でも中継されていて、視聴者は十万人を超えていた。透はコメント欄を閉じてもらっていた。現場の判断に、外の反応を持ち込みたくなかった。それでも休憩の間に、橘が一つだけ教えてくれた。
「『地味』だそうです」
「いい意味ですか」
「さあ」
魔物を派手に倒すわけでもなく、立ち止まって相談し、ときには引き返す。娯楽として見れば、たしかに地味だった。
一方で、監視室の検証委員たちの関心は変わりつつあった。始まる前は「低ランクだけでC級区画」という点ばかり気にしていたのに、ブレードモールを抜けてからは、能力の数値より情報のやりとりの仕方を聞いてくるようになった。
「リーダーは誰なんですか」
「経路は三島さん。戦闘になれば河野さんが前。固定は森さん。場面ごとに変わります」
「一人ではない?」
「一人にすると、その人が間違えたときに全部止まるので」
答えながら、透は自分がその「一人」になっていないかを考えていた。
一時間四十分。六人は目標地点に着き、標識タグを回収した。あとは戻るだけだった。
そこで河野が転んだ。足首を捻っている。歩けはするが、速度が落ちた。
『俺を置いて、先に――』
『却下。成功条件は全員帰還』
三島の返事に迷いはなかった。片岡が河野の荷物を引き受け、森が足首を固定し、高梨が患部を冷やす。佐伯はその間、周囲に耳を澄ませていた。
予定より遅れている。残りは四十七分。どのルートなら間に合うか、透には分かっていた。
だが、伝える手段がない。
六人がどの道を選ぶのか、透はただ画面を見ているしかなかった。




