第18話 怖くなったら
その日から、透はわざと「失敗する訓練」を繰り返した。順調に進んでいる最中に警報を鳴らす。予定経路を閉鎖する。装備の一部を使用禁止にする。二回目には「また何か壊すんでしょう」と疑われ、三回目は何も起こさなかったせいで、六人とも最後まで身構えたままだった。
「これ、普通に性格の悪い訓練ですよ」
「本番は予告してくれない」
「分かってますけど」
それでも回数を重ねるうちに、変化が出てきた。何か起きた瞬間、誰か一人が必ず声に出すようになったのだ。
「止まった」
「右が見えない」
「怖くて動けない」
最後の一言だけは、初めのうち誰も口にしたがらなかった。弱いと思われるからだ。だが、〈怖い〉と申告した者は前列から下げる、という手順を決めてからは、気持ちの吐露ではなく、隊の状態を知らせる情報として扱えるようになった。透は記録欄に〈恐怖申告〉の項目を足した。
「数値にはしないんですか」
「五段階とか?」
「先輩ならやりそう」
「本人が三か四かで迷っている間に、遅れる」
六人が笑った。実際、一か月前の透なら本当に五段階の表を作っていたはずだった。
最後の訓練では、参加者の一人にわざと「怖い」と申告してもらい、隊列を崩さずに交代できるかを試した。うまくいったあと、その本人が「本番でも言えそうです」と言った。透はその一言を、成功率の欄の横に書き留めた。
本番三日前、透は六人に「今日は成功しなくていいです」と告げた。何を言っているのか分からない、という顔が並んだ。
「その代わり、崩れ方を見ます」
模擬区画の設定は、これまでで一番悪かった。照明は通常の六割。途中の一か所で通信の雑音を再現し、予定していた補給箱は撤去してある。さらに第三区域では、安全装置付きの大型模擬個体が出る。
「聞いてないです」
「今言いました」
河野が頭を抱えた。
「真壁さん、性格悪くなってません?」
「前からですよ」
佐伯が横から口を出し、周りが笑った。透は否定しかけて、やめた。これで肩の力が抜けるなら、それでいい。
訓練が始まった。第一区域は何事もなく抜けた。
第二区域で、補給箱がないことに三島が気づいて足を止めた。
「予定外です。水の残量、確認」
全員が残量を申告する。最低量を割っている者はいない。
「続行。次の補給点まで三十分」
判断にかかったのは二十五秒だった。最初の訓練では、似たような分岐の前で二分半止まっていた。
第三区域で、大型の模擬個体が現れた。牛に似た四足型で、体高は二メートルを超える。安全装置があると分かっていても、突進の足音は本物に近かった。
「でっか……」
河野が呟いた次の瞬間、佐伯が一歩下がった。観察室の透には、それがよく見えた。以前の実地試験で見たのと同じ、驚いたときに出る一歩だった。
「私、怖いです!」
佐伯は大声で言った。それが決めてあった手順だった。怖さを隠さず、自分の判断が鈍っていることを仲間へ知らせる。
三島がすぐに返す。
「了解。音の担当、森さんに一時交代」
「俺、残響ないけど」
「目で見る担当で」
「了解」
河野が盾を構えた。大型個体が突っ込んでくる。だが河野は受けなかった。想定より大きい。〈硬皮〉で止めていい相手ではなかった。
「撤退ルートC!」
六人は左右に散らず、一列になって側路へ入った。個体が追ってくる。片岡が〈重量変化〉で軽くした障害物を運び、最後尾の森がそれを固定した。完全には止まらないが、二秒は稼げる。二秒あれば、扉を閉められる。扉は閉まった。
本当の失敗は、第四区域で起きた。
高梨が足を滑らせた。怪我はない。ただ、手にしていた温度操作用の金属片を落とし、それが深い溝の底へ転がっていった。予定していた仕掛けが一つ、使えなくなった。全員の足が止まる。
「予備、ないですよね」
「ない」
三島の声が硬くなった。本番を想定しているから通信は禁止で、透には何も言えない。
「すみません、私が――」
「謝るのは後!」
遮ったのは佐伯だった。年上相手に強い言い方をすることなど、普段はまずない。
「ここの目的って、魔物を倒すことじゃないですよね。通ることですよね」
三島が顔を上げた。予定では、温度の変化に寄ってくる虫型魔物を金属片で誘い出し、その隙に通り抜けるはずだった。
「誘い出せないなら……」
森が辺りを見回した。
「壁、登れますよ」
二・五メートルほどの段差を、三島が見上げる。
「全員?」
「ロープを使えば。片岡さん、フック軽くできます?」
「五キロ以下なら」
「じゃあ、投げます」
どの手順書にも載っていないやり方だった。十分後、六人は虫型魔物を一体も倒さないまま、上の岩場を回って第四区域を抜けていた。
訓練が終わると、透は映像を止めて六人に向き直った。
「今日一番よかったのは、予定通りに動けたところではありません」
六人の視線が集まる。
「高梨さんが装備を落としたあとです。俺の手順には、あそこの代わりのルートがなかった。それを、みなさんが自分たちで作った」
高梨はまだ引きずっている様子だった。
「でも、原因は私の失敗ですよね」
「そうです。だから、その失敗を抱えたまま戻れたのがよかった」
透は六人の顔を順に見た。
「本番でも失敗はします。怖くもなる。何か落とすかもしれないし、覚えていたことが飛ぶかもしれない。そのときは隠さないでください」
佐伯が小さく頷いた。
「『怖い』って、言っていいんですよね」
「言っていい。判断が鈍ったと思ったら、言ってほしい」
河野が笑った。
「じゃあ俺、ずっと怖いって言ってるかもしれないですよ」
「それなら役割を変えます」
「はは、相変わらず容赦ないな」
最後に透は、六人に「今日いちばん危なかった場面」を一人ずつ紙に書いてもらった。答えはばらばらだった。三島と森は大型個体と出くわしたとき。河野は高梨が装備を落としたあと。高梨は、落とした瞬間よりも、謝ってばかりで動けなくなりかけたときだと書いた。佐伯は「怖い」と口に出す直前で、言えば足手まといだと思われる気がしたという。
怖さが出てくる場所は、人によって違っていた。透は全員の答えを六人で共有した。
「これ、本番前に見せるんですか」
「誰かが止まったとき、理由を決めつけないためです」
六人は互いの紙を回し読みした。河野は高梨の欄を見て「謝ってる暇あったら次のこと言って」と笑い、高梨は「じゃあ落としても怒らないでくださいね」と返した。
その夜、透は手順書の最後に一文だけ書き足した。
〈予定通りに進むことを成功条件にしない。全員で戻ることを成功条件とする〉




