第17話 机上の攻略
試験の六日前、チームは初めて模擬区画を最後まで踏破した。所要時間は二時間四十七分で、規定の三時間を切っている。六人が歓声を上げ、透もこれで形になったと思った。
翌日、まったく同じ区画で、二十分も進まないうちに訓練は中断した。
「なんで?」
観察室で透の隣に座っていた榊が、画面を見たまま呟いた。
前日と違ったのは照明だけだった。本番を想定して、協会側が一部の明かりを落としたのだ。それだけで、最初のストーンリザードから動きが乱れた。河野は盾を出す位置を誤り、片岡は杭を取り落とし、高梨は温度を変える対象を取り違えた。
佐伯は、重なった反響音を敵の接近と聞き違えた。
「撤退!」
三島の判断で訓練は打ち切られた。戻ってきた六人は、昨日の成功が嘘だったように黙り込んでいた。
「照明だけですよね。それで、こんなに変わるんですか」
透は再生中の映像から目を離さずに答えた。
「昨日は、全員が次に何が起こるか知っていた」
「今日もルートは同じでしたよ」
「見え方が違った」
「それだけで?」
透は口を開きかけて、止まった。その「それだけ」で崩れたのだ。照明のことは、視認できる距離が縮む問題としか考えていなかった。暗いならライトを足せばいい。それで済むと思っていた。
だが暗さは、人の頭の中まで変えていた。河野は敵を見失うのが不安で、盾を早く出しすぎた。片岡は周りを確かめる回数が増えたぶん、手元がおろそかになった。佐伯は、見えないなら音に頼るしかないと考え、拾わなくていい音まで拾おうとした。透はそれを一つずつ記録に書き込んだ。
訓練のあと、廊下で九条と行き合った。協会に頼まれて、本番の安全要員候補として別の区画で訓練しているのだという。
「顔、ひどいわよ」
「普通だろ」
「寝てない顔」
「昨日は四時間寝た」
「普通に寝不足ね」
九条は、透の手にある端末を覗き込んだ。
「失敗したんだって?」
「照明を変えただけで崩れた」
「それ、当然じゃない?」
「どこが当然なんだ」
「怖いもの」
透は九条の顔を見た。
「暗いだけで?」
「真壁君、本物のC級に一人で入ったことある?」
「……ない」
「私はある。安全だって分かってる訓練区画でも、暗いだけで嫌よ」
「九条でもか」
「またそれ言う」
九条は壁に背中を預けた。
「あなた、魔物のことはあんなに細かく見るのに、人間は時々すごく雑に見るわよね」
「雑?」
「この人はこれができる、この人はこれが苦手って表にして、その通りに動くと思ってるでしょ」
「訓練で確かめている」
「怖くなったら?」
「それは前に佐伯で――」
「一人ずつなら見たんでしょうね。六人一緒に怖くなったらどうなるの」
透は答えられなかった。九条はそのまま続けた。
「一人が焦ったら、周りも焦る。誰かが叫んだら、さっきまで聞こえてた指示が飛ぶ。昨日できたことが今日はできない。そういうの、計算に入ってる?」
「入っていない」
「……でしょうね」
「なぜ嬉しそうなんだ」
「〇・二秒のとき散々言われたもの。やっと言い返せた」
九条は満足げに腕を組んだ。
その日の反省会で、河野と三島がぶつかった。
「暗くても前に出るしかないだろ」
「見えないのに出たら、後ろがついていけない」
「止まってたら敵が来るって」
透が二人の間に入った。
「だから、確認に使う時間を決めるんです」
河野は苛立ちを隠さずに言った。
「真壁さんは外から全部見えてるから言えるんですよ」
透は言い返せなかった。明かりが落ちても、観察室の画面には赤外線映像と位置情報が映っている。六人のいる暗さを、透は同じようには味わっていない。
「では次は、俺も中に入ります」
「え」
「同じ照明で見ます。指示はしません」
翌日の訓練で、透は隊列の最後尾についた。暗い。映像で何度も見た通路なのに、数メートル先が見えないだけで距離の感覚が狂う。物音がすれば、何の音か見当がついていても、そちらへ首が向いた。
後で映像と聞き取りを突き合わせると、手順を忘れていた者は一人もいなかった。暗転した直後、何をするか決めるまでに一秒から数秒の空白ができ、その間に隊列が詰まっていたのだ。透の手順書は、その判断できない数秒を、最初から無いものとして書かれていた。
透は、人が毎回最短で判断するという前提を外した。誰かが止まったら、後ろの者は一歩下がって距離を取る。その決まりも手順に足した。
その夜、透は攻略表を開いたまま、何時間も机の前から動かなかった。魔物には行動の型がある。人間にもある。ただ、人間の方が揺れ幅がずっと大きい。恐怖、疲れ、焦り、隣の誰かの失敗。どれも前もって読み切れるものではなかった。
六人に予定通り動けと求めるのは、もうやめることにした。
翌朝、透は六人から手順書を回収した。三島が身構える。
「え、覚え直しですか」
「減らします」
「減らす?」
「一つの場面で覚えることは、三つまでにします」
透はホワイトボードに書いた。一、今の目的。二、やめる目安。三、誰に判断を渡すか。
「細かい動きは?」
「練習で体に入れてください。ただ、本番中に思い出そうとはしない。思い出せなかったら、失敗したときの手順へ移ります」
河野が眉を上げた。
「失敗する前提なんですか」
「失敗します」
「言い切られちゃったよ」
「六人が二時間、一度も間違えない方が不自然です」
森が笑った。
「それはそう」
透は訓練の中身にも手を入れた。予定ルートの一部は当日まで伏せる。照明を変える。装備を一つ使えなくする。途中で、害のない偽の警報を鳴らす。六人からの評判は、最初はさんざんだった。
佐伯が真顔で聞いてきた。
「これ、嫌がらせですよね?」
「訓練だ」
「嫌がらせを訓練って呼んでません?」
「本番の方がもっと嫌がらせをしてくる」
「迷宮に意思があるみたいに言わないでください」
佐伯は、不満そうな顔を最後まで引っ込めなかった。




