第13話 倒さない攻略
協会との正式な検証日程が決まるまで、三週間ほど間が空いた。透はその間に、前から引っかかっていた魔物を一種類、調べてみることにした。
グリーンスライム。
薄い緑色をした小型の軟体魔物で、危険度はF。傷ついた探索者にまとわりつき、皮膚から何かを吸い取るとされている。初心者向けの教本には、こう書かれていた。
〈負傷者を優先的に襲うため、発見次第排除すること〉
透も一年生の授業でそう教わった。
ところが事故映像を集めているうちに、妙な例に行き当たった。グリーンスライムに覆われた探索者の傷が、数時間後には浅くなっている。最初は、何かを吸われて痛みが鈍っただけかと思った。だが、同じ報告が一件ではなかった。
「吸っているのではなく、何かを出している?」
放課後の理科準備室で、透は粘液の分析結果に目を通した。生物の教員に頼み込み、正規の研究サンプルを使わせてもらっている。
「再生を促す作用はあるな」
教員はデータの一行を指で叩いた。
「ただし弱い。傷口の細胞の働きを数パーセント上げる程度だ。医療に使うには不安定すぎる」
「何を吸っているんですか」
「魔力を吸ってるのは確かだ。ただ、それだけなのかは分かっていない。健康な皮膚にはほとんど反応しないんだよ」
「傷のあるところにだけ、ですか」
「正確には、傷口の周りに集まる。漏れ出した魔力に反応している、という説もあるが、断定まではされていない。論文ならあるぞ」
透は資料から顔を上げた。
「教本と違いますね」
「教本は安全が第一だからな。怪我人に寄ってくる魔物を『放っておけ』とは書きづらい」
実地で確かめる前に、透は協会に残っている探索初期からの事故報告を読み返した。グリーンスライムが直接の死因になった例は、一件もない。その一方で、負傷者に群がったスライムを火属性の魔法で焼き払い、火傷を悪化させた事故が二件あった。
「怖いから倒す。それで二次被害が出ています」
教員は報告書の写しを手に取り、苦笑いを浮かべた。
「知らない生き物が傷に寄ってきたら、普通は怖いだろ」
「だから教本が『排除』になったんですか」
「責任を負う側は、単純な決まりを好む。現場で迷わせないためにな」
透にも、その理屈は呑み込めた。探索が始まったばかりのころなら、細かい判断を初心者に任せるより、触るな、倒せ、と一律に教える方が安全だったはずだ。
論文を読み、実地の映像をさらに集めるうちに、一つの仮説がまとまった。グリーンスライムは、傷口から漏れる魔力に引き寄せられている。そのとき自分の身体を守る粘液が傷口に触れ、結果として治りをわずかに早めているらしい。
厄介なのは、長く張りつかせておくと、本当に魔力を吸われて衰弱してしまうことだった。
予備検証には佐伯が付き合ってくれた。訓練用の人工皮膚へ、グリーンスライムを誘導していく。
「十分で剥がせばいいんじゃないですか」
「吸う速さには個体差がある。十分と決めてしまうのは危ない」
「じゃあ、どうするんですか」
「調べてみよう」
透は録画した映像を何本も並べた。張りついた直後は薄い緑色。魔力をある程度吸い込むと、中心の核が黄色へ寄っていく。
「この色になったら剥がす」
「信号みたいですね」
「色の見え方が違う人には使えないな」
「先輩、すぐ注意事項を増やしますよね」
「増えるから書く」
排除のほかに取れる判断の材料が、こうして少しずつ揃っていった。透はここまでの結果をまとめ、本検証の計画書の冒頭に〈利用推奨ではなく、攻撃しなくてよい場面の確認〉と書き入れた。
本検証の前に、グリーンスライムの捕獲には九条が加わった。
「本気でこれを救護に使う気?」
「使えるなら」
「魔物よ」
「それは知っている」
「そういうことじゃなくて……」
九条は露骨に顔をしかめ、手袋越しにグリーンスライムを持ち上げた。粘液が指の間でだらりと伸びる。
「気持ち悪い」
「S級でも、そこの感覚は普通なんだな」
「何だと思ってたの」
「雷帝」
「適性で人の感性まで決めつけないで」
本検証は、安全管理員と医療担当の立ち会いのもとで行った。九条と佐伯も同行している。治療訓練用の生体素材にごく浅い傷をつけ、そこへグリーンスライムを接触させた。
十四例。全例で感染の兆候はなく、そのうち十例で、傷口の縮み方が対照群より早かった。ただし、個体によるばらつきが大きい。
結果を受け取った協会の担当者は、慎重な姿勢を崩さなかった。
「救護の手段として公式に勧めるのなら、治癒効果の上限を出してください」
「上限、ですか」
「擦り傷の治りが早くなるとしても、重傷が治せることにはなりません。どこまで効くのかを示さないまま勧めれば、本来やるべき処置が後回しにされるおそれがあります」
透は言葉に詰まった。傷の治りが早まることと、命が助かること。自分はその二つを、同じ言葉のまま頭の中で扱っていた。
追加の検証では、人工皮膚の裂傷のほかに、打撲と熱傷のモデルも使った。浅い裂傷にはグリーンスライムもはっきり反応するが、深い損傷には寄っていくだけで、効き目は弱い。毒にはほとんど何の効果もなかった。
「万能の回復役ってわけじゃないのね」
「最初からそうは思っていない」
「先輩、これ動画にしたら『無料ヒーラー発見』って切り取られそうですよ」
透は頭を抱えた。
公開する動画のタイトルは、予定していた【倒すな】をやめた。
【グリーンスライムを排除しない方が安全な場合があります】
榊には引きが弱いと言われたが、透は譲らなかった。【倒すな】の三文字だけが切り抜かれて広まれば、毒を受けた人の傷口にスライムを乗せる者が出かねない。
追加検証の結果と、効かなかった範囲まで本文に入れてから、透は動画を公開した。中心に据えたのは三つの注意だ。負傷者に寄ってきても、慌てて攻撃しない。深い傷や毒の治療手段としては当てにしない。見たことのない個体で、自己判断で試さない。
それでも反響は大きかった。数週間後には、一部の管理迷宮で、救護区画の近くにいるグリーンスライムをむやみに討伐しない運用が試験的に始まった。
大がかりな設備ではない。透明な低い柵と、小さな標識が一枚あるだけだ。
〈保護観察個体。攻撃禁止〉
透はその写真を、学校帰りの電車の中で見た。柵は、膝の高さにも届いていなかった。
動画は充分に伸びた。コメント欄でいちばん多かったのは戦い方の話ではなく、〈敵だと思っていたものに助けられるのが面白い〉という声だった。
翌日その話をすると、九条は写真をもう一度見直してから言った。
「あなた、だんだん探索者より研究者っぽくなってきたわね」
「九条は、俺をどちらだと思っていたんだ」
「面倒な動画投稿者」
「評価が下がっていないか」
「最初よりは上がってるわよ」
その言い方が妙に可笑しくて、透は吹き出した。九条の口元も一瞬ゆるんだが、すぐに元の顔へ戻る。
「ただ、公開のやり方には、まだ思うところがあるけど」
「……そこは理解している」
次の問題は、その日の夜にやってきた。九条の過去の動画と、透が公開した分析部分を並べた切り抜きが、D-Liveで急に伸び始めたのだ。
【S級の才能、凡人にどこまで盗める?】
コメント欄では、〈努力して身につけた技術まで無料でバラすのか〉という声と、〈再現できるなら共有した方が安全だ〉という声がぶつかり合っていた。
盗む、という言葉が透の目に引っかかった。技術を説明できる形に直したら、それは誰かの努力を奪ったことになるのか。画面を見つめたままでいると、九条からメッセージが届いた。
〈これ、曖昧なままにしたくない。ちゃんとやりましょう〉
翌日の撮影予定には、九条が普段使っている接近戦の動作が書き加えられた。




