第10話 初心者救出
土曜の午前十一時三十二分。透は湾岸第四迷宮の管理棟にある観察室で、佐伯の位置情報を追っていた。
個人練習といっても、完全な単独行ではない。高校生のF級探索者は、公開区画の中でも監督者へ定時報告を入れる決まりになっている。透は資格の上では監督者ではないが、佐伯が試す手順を書いた人間として、管理棟から観察室の使用許可をもらっていた。画面の一枚には佐伯のヘルメットカメラの映像が、もう一枚には、近くで活動している初心者パーティーの公開配信が映っている。
「この人たち、近いな」
隣で画面を覗いていた榊が指さした。大学生らしい三人組で、探索歴は浅そうだが、配信しながら薬草を採る程度には慣れているようだった。透は地図を拡大した。
「同じ二区画。ただ、通路が一本違う」
「じゃあ大丈夫か」
言い終わらないうちに、配信の方で大きな音がした。画面が揺れる。
『何これ!』
『戻れ、戻れ!』
灰色の大きな影が通路へ飛び出してきた。〈アッシュボア〉。本来はE級の深部に多い魔物で、初心者向けの公開区画に出ることはめったにない。
三人が走る。一人が足を捻り、壁際に倒れた。
「管理員は?」
「一番近い人で三分」
三分。負傷者を置いて逃げれば、残りの二人は間に合うかもしれない。三人まとめて動こうとすれば、突進をまともに受ける。透は佐伯の位置を確かめた。隣の通路だった。
「佐伯」
通話を開く。
『はい』
「近くで事故だ。帰還を優先していい。ただ、救助の補助に入れるか」
返事までに一秒ほどあった。
『行きます』
「無理はするな。危ないと思ったら必ず戻れ」
『分かりました』
透は管理棟の認証を使い、三人組の配信チャットへ音声で割り込んだ。
「聞こえますか。怪我をした人は立たせないでください。アッシュボアは、ほとんど真っすぐにしか突っ込んできません」
『誰!?』
「管理棟の補助です。説明は後で。赤いリュックの人、足元に石はありますか」
『あります』
「大きいのを一つ持ってください。投げずに、通路の右側へ置く」
『置く?』
「そうです。もう一人は怪我をした人のバッグを外して、壁際へ寄せてください。本人は引っ張らない」
通路の奥でアッシュボアが止まり、鼻を鳴らした。透は映像の中の距離を目で測る。十九メートル。走り出してから届くまで、およそ二・八秒。
「佐伯、あと何秒だ」
『着きます。……見えました』
横通路から佐伯の姿が現れた。
「戦わなくていい。あいつが走ったら、音がどっちへ行ったかだけ教えてくれ」
『はい』
アッシュボアが前脚で床を掻いた。
「赤いリュックの人、その石を二メートル前へ蹴って」
『え、今?』
「今です」
石が転がり、アッシュボアの視線がわずかに下がる。その一瞬、透の目は角に止まった。右の角の先が欠けている。左右で頭の重さが違う。
「全員、左へ寄って!」
思ったより早く突進が始まり、画面が大きく揺れた。
『右――!』
「壁沿い!」
アッシュボアは石を踏んで右前脚を一瞬浮かせ、角の重さの偏りも手伝って、巨体ごと右へ流れた。壁に激突する。
それでも止まらない。首を振り、向きを変えようとしている。そのとき、透の背後で観察室の扉が開いた。
「状況は?」
九条だった。別の区画で訓練していて、警報を聞いて引き返してきたらしい。
「アッシュボア一頭。負傷者がいる。雷は使えるか」
「大きいのを撃つには、人が近すぎる」
「そうだな」
「行く」
「現場まで二分かかる」
「私なら一分」
それだけ言い残して、九条は走り出した。透が画面へ目を戻すと、アッシュボアがまた頭を下げていた。
『先輩、また来ます!』
逃げ場は狭い。透は地図に目を走らせた。右手に細い保守通路がある。ただ、入口には崩れた岩が積もっていて、人ひとりがやっと通れる隙間しか残っていない。
「怪我をした人を保守通路へ。赤いリュックの人、入口の岩はどかさなくていい。その隙間を使ってください」
『狭いです!』
「だからです。ボアは入れない」
三人は負傷者を引きずらず、腕と腰を支えて運んでいく。アッシュボアが走り出し、佐伯がその向きを叫ぶ。
「佐伯、今度は盾を床に置いて下がれ!」
『はい!』
訓練盾が通路に倒れた。アッシュボアは踏み越えようとして前脚を取られ、勢いが落ちる。その数秒の間に、最後の一人が保守通路へ滑り込んだ。外に残ったのは佐伯だけになった。
「佐伯も入れ!」
『盾が――』
「捨てろ!」
佐伯が盾から手を離す。アッシュボアが体勢を立て直した。距離、八メートル。佐伯が隙間へ身体をねじ込む。間に合わない。
画面が白く瞬き、轟音が遅れて届いた。誰もいない床、アッシュボアの足元へ、細い雷が落ちていた。直撃ではない。光と衝撃に、魔物が大きく首を振る。
『そこから動かないで!』
九条の声が通路に響く。二撃目は、アッシュボアが人から充分に離れた瞬間を狙っていた。青白い雷が巨体を包み、床へ叩き伏せる。観察室のスピーカーが一瞬だけ無音になり、透は自分の呼吸が止まっていたことに、そこでようやく気づいた。
数分後、管理員が全員を回収した。負傷者は足首の捻挫で、ほかに重傷者はいない。佐伯も無事だった。
公開配信は、途中から十万人以上が見ていた。コメント欄には九条の雷への歓声が流れ続けている。その中に、毛色の違う書き込みが混じり始めた。
『最初に指示してた人誰?』
『戦ってないのに全員動かしてた奴いたよな』
『盾捨てろって言った人、初心者攻略の人じゃね?』
『真壁だっけ?』
画面を見た榊が、透の肩を叩いた。
「今度こそバレたな」
「それより、佐伯の盾代はどうなる」
「お前さあ……今そこ?」
透としては冗談のつもりはなかった。画面の向こうでは、助け出された佐伯が座り込み、九条から水を受け取っている。それを見届けてから、透はようやく椅子に深く腰を落とした。背中にかいた汗が、今になって冷えてくる。
救助が終わった後、透は救護室で佐伯と話した。
「盾、すみません」
顔を合わせるなり、佐伯は頭を下げた。
「そこはどうでもいい」
「でも、先輩がさっき気にしてたって榊先輩が」
「値段を確認しただけだ」
「本当にそこ気にしてたんですか」
呆れた顔をしてから、佐伯は表情を引き締めた。
「途中で、分からなくなりました」
「どこで」
「二回目の突進です。音は分かったのに、自分がどう動くのか一瞬飛びました」
「それでも、盾は置けた」
「練習してたからです。考えて置いたわけじゃないです」
透はその言葉をノートに書き留めた。〈危機の最中は、考えるより身体に入っている動作が出る〉。その下に、三人組には逆に細かく指示を出したことも書き足す。
少しして、九条も救護室に顔を出した。
「真壁君、今回の切り抜き、また変なタイトルが付いてるわよ」
差し出された画面には〈F級の天才軍師、S級すら指揮〉とあった。
「九条、俺の指示はほとんど聞いていないだろう」
「雷の位置は聞いた」
「一個だけだ」
「ネットには、一個で充分みたい」
透はその場で、動画の投稿者へ訂正依頼を送った。九条が横から「そこまでやる?」と笑い、佐伯の肩からもようやく力が抜けた。
翌朝、透の登録者数は五十万人を超えていた。




