第9話 条件を書く
二度目の実地試験も、同じ湾岸第四迷宮で行った。佐伯の手首はもう治っていたが、透はあえて前回より危険度が一段低い区画を選んだ。
「またホーンラビットじゃないんですか」
「最後にはやる。その前に、動きだけ確かめる」
「慎重ですね」
「前回が慎重でなさすぎた」
相手は小型の〈ランナーラット〉だった。人の膝ほどの背丈で、攻撃力も低い。一定の距離まで近づくとまっすぐ突っ込んできて、危ないと感じればすぐに逃げる。佐伯は槍を持たず、軽い訓練盾だけを構えた。始める前に、透は一枚の紙を渡した。
「覚えなくていい」
「え?」
「三つだけだ。音がしたら止まらない。怖くて足を引いたら、そのまま後ろへ行く。分からなくなったら盾を置いて離れる」
「それだけですか?」
「今は、それ以外いらない」
前の手順書には十二の項目が並んでいた。十二くらいなら覚えられるだろうと、透は考えていた。だが、魔物を前にした佐伯に十二個を同時にさばかせても意味がない。
ランナーラットが姿を見せた。佐伯の肩に力が入る。透は声を掛けない。魔物が床を蹴り、佐伯は一歩下がった。前回と同じ癖が出た。
今回は、そこから無理に横へ跳ばない。そのまま後ろへ二歩下がり、盾を斜めに置く。ランナーラットは盾に正面からぶつかり、驚いたように逃げていった。
「……できた?」
「予定Bだ」
「成功って言ってくださいよ」
「成功」
佐伯が噴き出した。次は予定Aで通り、三回目は途中で判断が遅れて撤退した。五回試して、倒した回は一度もない。それでも佐伯は一度も倒れず、毎回自分の足で退いた。
◇ ◇ ◇
翌週、カメラを回して、ホーンラビットに再挑戦した。今度の手順書で増えたのは、やめる場面の方だった。床が濡れていたら中止。逃げ道が六メートルに届かなければ中止。周りで別の魔物の音がしたら中止。佐伯の心拍が基準を大きく超えていたら中止。やれる場面より、やめる場面の方が多い。
「これ、動画にしたら地味ですね」
「最近の佐伯は、榊と似たことを言う」
「榊先輩から、編集の話を聞いてるので」
「余計なことを教えて」
ホーンラビットが現れた。佐伯が深く息を吐く。足音が二度。一歩目で、左足は引かれなかった。右へ移る。魔物がその脇を抜けていく。佐伯は追わない。転んだ相手が起き上がるまでの二秒で、拘束網を投げた。網が角と前脚に絡みつく。
ホーンラビットは暴れたが、佐伯は近づかなかった。固定杭のロープを引き、安全な距離を保ち続ける。やがてホーンラビットがおとなしくなっても、佐伯は数秒、その場に立ち尽くしていた。
「佐伯?」
「……私、倒しました?」
「倒してはいない。拘束だ」
「先輩」
「何だ」
「細かいです」
笑いながら言われて、透の口元も緩んだ。その映像をもとに、新しい動画を作ることにした。題名は何度も書き直した。最初に付けたのは【E級適性でもホーンラビットを攻略する方法】。
これでは、E級なら誰でもできるように読める。次に【初心者向け・ホーンラビット攻略】としてみたが、今度は範囲が広すぎる。最後には、ずいぶん長い題名になった。
【身長150~165cm/横移動二歩以上/単独個体限定】ホーンラビット拘束手順
それを見た瞬間、榊は頭を抱えた。
「クリックさせる気ある?」
「対象外の人に、先に分かってもらった方がいい」
「概要欄って知ってる?」
「タイトルしか見ない人もいる」
「だからってタイトルに全部詰め込むなって。通販サイトの商品名みたいになってんじゃん」
結局、題名は【初心者向け】ホーンラビットを倒さず拘束する方法、に落ち着き、サムネイルに「条件あり」と大きく入れることになった。動画の冒頭で、透は初めてはっきりとこう言った。
『この方法は誰でもできます、とは言いません』
『体格、装備、地形、恐怖反応によって向かない人がいます。自分が当てはまる場合だけ使ってください』
編集には、これまでで一番時間がかかった。成功した場面だけなら三分で収まる。今回は、転んだ最初の試験映像も、本人の許可を取って入れた。
『ここで私が左足を引いています』
解説は佐伯自身の声だ。
『訓練では出なかった癖です。本物を怖いと思ったときだけ出ました』
そのあとに、直した手順での動きが続く。仕上げの段階で、透は佐伯と並んで最初の失敗映像を通しで見た。転ぶ瞬間だけを切り出せば、見る側には分かりやすい。けれど、怖がりながらも後ろへ下がり、距離を取ってから救助信号を出した場面も、透は残すことにした。
「ここも入れるんですか」
「失敗したあとに何をしたかの方が大事だ」
「転んだところだけ拡散されそうですけど」
「嫌なら顔をぼかす」
「いいです。部活の人にはもう見られてますし」
平気そうな口ぶりが、透には強がりに聞こえた。編集画面から手を離す。
「公開してから、佐伯が嫌だと思ったら消す」
「攻略情報なのに?」
「佐伯の映像だからだ」
佐伯は目を丸くして透を見てから、「分かりました」と答えた。
公開すると、批判は前より増えた。
『条件細かすぎ』
『初心者向けなのに面倒』
『そこまでやるなら普通に訓練した方がいい』
一方で、こんな声も届いた。
『自分が対象か分かるの助かる』
『できない人を最初から書いてくれる攻略動画初めて見た』
『成功動画より失敗動画の方が参考になった』
中でも最後の種類の反応が多かった。それからというもの、透は公開する動画に必ず失敗例を入れるようになった。
コメント欄には「失敗映像なんか出して大丈夫なのか」という声も少なくなかった。佐伯は自分のアカウントから、それに返信していた。
『成功だけ見て真似される方が怖いので出しました』
説明欄に自分が何行書き足すより、この一文の方がよほど届く。透はそう思った。
そのころから、「うまくいきませんでした」という報告が、目に見えて透のもとへ集まり始めた。
公開の翌日には、予想した通り、転ぶ場面だけを切り取った短い動画も出回った。ただ、それを上回る数で、〈転倒後の撤退が正しい〉という説明を添えて紹介する動画が上がった。コメント欄では、しくじったら立て直して戦い続けるべきか、すぐに退くべきかで議論が起きている。
透は、そのすべてには答えなかった。どちらが正しいかは場面ごとに変わる。代わりに概要欄へ〈この事例では撤退経路が確保されていたため撤退を選択〉と書き足した。
具体的に書けば書くほど、注意書きは増えていく。それでも「臨機応変に」の一言で済ませるよりはましだった。数日後、佐伯から一通のメッセージが届いた。
『今週、個人練習で同じ方法使ってもいいですか?』
透は〈単独個体/監督者への定時報告/救難ビーコン確認〉とだけ返した。
了解のスタンプが一つ、佐伯から返ってきた。




