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放課後、キャンバスの向こう側。  作者: 櫻木サヱ
はじまりのキャンバス

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4/6

最初の一枚

 翌日の放課後。


 授業終了を告げるチャイムが鳴ると同時に、生徒たちは一斉に教室を飛び出していく。


「ひよりー!」


 幼なじみのまどかが机に駆け寄ってきた。


「昨日どうだった!? 美術部!」


 ひよりは少し照れながら笑う。


「……入部した。」


「えぇぇぇぇ!?」


 教室中に響くほど大きな声だった。


「しーっ!」


「あ、ごめんごめん!」


 まどかは口を押さえながらも、嬉しそうに目を輝かせる。


「やったじゃん! ひよりが部活に入るなんて!」


「私もびっくりしてる。」


「今度、美術室見に行っていい?」


「うん。」


「楽しみー!」


 他愛ない会話を交わし、ひよりは新しいスケッチブックを抱えて教室を出た。


 昨日まで少し遠く感じていた廊下。


 今日は足取りが軽い。


 向かう先があるだけで、学校はこんなにも違って見えるのだと初めて知った。


 美術室の前に立つ。


 昨日と同じようにドアの隙間から絵の具の香りが流れてきた。


 深呼吸を一つ。


 ガラガラ──。


「こんにちは。」


 扉を開ける。


「おっ!」


 一番最初に反応したのは蒼だった。


「ひより!」


 その一言だけで、胸が少し温かくなる。


「ちゃんと来てくれた!」


「入部したから……。」


「そうだけど!」


 蒼は満面の笑みで手を振る。


「いらっしゃい!」


 その声に部員たちも次々と顔を上げた。


「ひよりちゃん!」


「今日からよろしく!」


「席こっち空いてるよ!」


 昨日より自然に迎えられる。


 昨日は見学者。


 今日は仲間。


 たった一日で立場が変わった。


「ほら。」


 美月が新しい名札を渡す。


『白石ひより』


 手書きの文字だった。


「今日からここがひよりちゃんの席。」


 窓際のイーゼル。


 昨日、夕日を描いた場所だった。


「ありがとうございます。」


 席に着くと、机の上には新品の筆やパレットが置かれていた。


「先輩たちのお下がりだけど。」


「十分きれいですよ。」


「大事に使ってね。」


 ひよりはそっと筆を手に取る。


 木の持ち手には、長年使われてきた小さな傷がいくつも残っていた。


(この筆で、どんな絵が描かれてきたんだろう。)


 そんなことを考えていると、美月が部員全員を集めた。


「今日は新年度最初の課題を発表します。」


 一枚の写真を掲げる。


 そこには校庭の古い大きなケヤキの木が写っていた。


「テーマは『学校で一番好きな場所』。」


「好きな場所?」


 部員たちがざわつく。


「写真みたいに描いてもいい。」


「想像で描いてもいい。」


「でも。」


 美月は微笑んだ。


「その場所が好きな理由を、絵で伝えてください。」


 ひよりは写真を見つめる。


(好きな場所……。)


 すぐに浮かんだのは、中庭の桜だった。


 去年、一人で何度も絵を描いた場所。


 誰にも邪魔されず、静かな風だけが流れる場所。


 でも──。


 昨日、美術室に来てから少しだけ気持ちが変わっていた。


(今、一番好きな場所は……。)


 視線が自然と部室を見渡す。


 夕日に照らされた窓。


 絵の具の匂い。


 笑い声。


 まだ入部二日目なのに、不思議と落ち着く場所。


 その時。


「ひより。」


 蒼が小さなキャンバスを持ってきた。


「一緒に外で描かない?」


「外?」


「今日は天気いいし。」


 ひよりは少し迷った。


 誰かと並んで絵を描くなんて経験がない。


「嫌なら無理しなくていいよ。」


「……行く。」


「よし!」


 二人は画材を持って校庭へ向かった。


 春風が心地よく吹いている。


 運動部の掛け声。


 吹奏楽部の音合わせ。


 グラウンドでは野球部が白球を追いかけていた。


「ここ。」


 蒼が立ち止まる。


 そこは校庭の端にある一本のケヤキだった。


「俺、この木が好きなんだ。」


「どうして?」


「一年の時、部活で落ち込んでここに座ってたらさ。」


 蒼は幹を軽く叩いた。


「風が葉っぱを揺らしてて。」


「うん。」


「なんか『大丈夫』って言われた気がした。」


 照れくさそうに笑う。


「変だよね。」


「ううん。」


 ひよりは首を横に振る。


「分かる。」


「本当に?」


「景色って、気持ちまで覚えてるから。」


 その言葉に蒼は目を丸くした。


「……その考え方、好きだ。」


 少し照れたように笑う。


 ひよりも思わず笑顔になる。


 その瞬間だった。


「朝倉先輩。」


 二人の後ろから静かな声が聞こえた。


 振り返ると、一ノ瀬凛がスケッチブックを抱えて立っていた。


「先生が探してます。」


「あっ、しまった!」


 蒼は頭を抱える。


「画材運ぶ約束だった!」


 慌てて美術室へ走っていく。


「ごめん! すぐ戻る!」


 その場に残されたのは、ひよりと凛の二人。


 少しだけ気まずい沈黙。


 風が葉を揺らす音だけが響く。


 凛はひよりのスケッチブックをちらりと見た。


「……昨日より、線が柔らかいですね。」


「え?」


「少し楽しそう。」


 それだけ言うと、凛は自分の席を決めるように少し離れた場所へ腰を下ろした。


 無口だけれど、昨日よりもほんの少しだけ距離が近づいた気がする。


 ひよりは鉛筆を握り、真っ白な画用紙に最初の一本目の線を引いた。


 その一本は、昨日までとは違う意味を持っていた。


 一人で描くための線ではない。


 仲間と同じ時間を過ごし、同じ景色を見て、自分だけの色を探すための線だった。


 そのとき、校舎の二階から誰かが二人の様子をじっと見つめていることに、ひよりはまだ気づいていなかった――。

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