第27話 碧き星に背を向けて
RGエンジンの咆哮がピタリと止まり、それまで乗員をシートに縛り付けていた猛烈な重力加速度(G)がふっと消え去った。
慣性の世界。
メインモニターに映し出された地球は、いまや禍々しい『緑の檻』に閉じ込められた、ううつな宝石のようだった。
春花が『さよなら、地球。必ず、私たちを迎え入れられる場所に戻してみせるわ』とつぶやいていた。
その頃、薄暗い格納庫。無重力で浮遊する工具が飛び交う中、メンテナンス中の雷電のコクピットで操縦桿を握り締めていた哲夫の耳に、通信インカムから由美の心配そうな声が届く。
「……哲夫さん、大丈夫?」
哲夫は一度深く呼吸をし、コンソールに表示された『ある少女』のデータを愛おしそうになぞった。
「……大丈夫だ。さやかの魂は、今度こそ僕が助ける。足元には、みんながいるからな」
格納庫では、岩蔵率いる整備兵たちが、まるで悪魔に取り憑かれたような速度で艦載機の宇宙戦仕様換装を進めていた。雷電をはじめとする機体の背部には、巨大なプロペラント・タンクと、真空の闇を駆けるための姿勢制御バーニアが、異形な牙のように追加されていく。
コンソールで船体の細かなダメージを精査していた凛が、インカムに向かって鋭く声を張り上げた。
「大気圏、完全に離脱。これより第一種宇宙戦闘航行へ移行します。……外気温度、零下150度。艦内の熱管理、循環開始。真壁さん、冷却系の負荷に注意してください」
リバースグラビティエンジンの様子を見ていた岩蔵が、無線越しに不敵な声を返す。
「分かってらぁ! ここからは『空気』がねえんだ。一度こもった熱は簡単には逃げねえ。お前さんこそ、RG粒子の分配をミスるんじゃねえぞ。船ごと消し飛びたくはねえからな!」
艦隊は、不死鳥を筆頭に、RGブースターを装着したミラー准将の流星、そして2隻の明星型がダイヤモンド陣形を組み、月の裏側を目指して加速を始めた。
「——おいおい、信じられねえな……!」
宇宙空間を駆ける雷電のコクピットで、哲夫は目を見張った。
地上ではあんなに重かった雷電の巨体が、驚くほどの最高速度で空間を滑っていく。他の艦載機も同様だった。重力を振り切るための無駄な推力が必要ない宇宙では、すべての機体が本来の牙を剥き、地上を遥かに凌駕する加速性能を発揮していた。
だが、それは同時に、急制動や急旋回を行うたび、パイロットの肉体に限界超えのGとなって襲いかかる諸刃の剣でもあった。
バルダー・ゲートはさらに強化された。
これまでは雷電からの戦術補助演算がなければ不可能だった、超長距離の精密射撃。しかし重力歪みのない宇宙空間は、彼女に完全な翼を与えていた。
パァン! と眩い光条が仮想標的を正確に撃ち抜く。単独での精密射撃成功。エレーナはコックピットで小さくガッツポーズを決めた。
「これなら、あの中型どもが来ても……落とせる!」
ミラー准将率いる流星艦隊の面々も、この無重力の戦場に順応すべく、艦載機を含めた三隻艦隊での濃密な連携陣形を深化させていく。彼らはただの敗残兵ではない。地球を奪われた復讐の獣たちだった。
月到着まであと数時間。展望デッキの大きな窓の前では、哲夫、由美、亜理紗の3人が、遠ざかる碧き星を惜しむように肩を並べて見つめていた。 その数歩後ろ、影の落ちる壁際に、春花は静かに立っていた。
「……月を見るたびに思い出すわ。あの日、あなたが私たちを守るためにAlogに突撃してくれたことを。あの時は、あなたに頼り切ることしかできなかった。でも、今は違う。不死鳥という鉾があり、皆という仲間がいる。だから……。」
そんな春花のつぶやきを聞いた哲夫は、傍に居る亜理紗と由美に向かって、
「……あの時は、さやかの意志を継ぐどころか、返り討ちに遭って……。でも、今度は違う。僕の手にはいや、僕たちの手には、さやかが残してくれた雷電の『本当の力』がある」
「そうね。大破してボロボロになっても、雷電は哲夫さんを乗せて地球まで帰ってきた。……それは、さやかさんがあなたを死なせたくなかったからよ。……一人じゃないわ。今度は私たちも、岩蔵さんも、みんな一緒にいる」
「そうですよ。今は、私もいるのですから、兄さんは、前を向いて進んでください。私たちが支えます!」
由美と亜理紗が両方から哲夫の肩にそっと手を置く。
その様子を、春花は慈しむような、けれどどこか厳格な眼差しで見守っていた。
月が大きく見えてきたころ、不死鳥のレーダーがかつての月面基地『セレーネ』を捉えていた。
「……。月面基地『セレーネ』まで、あと3時間。……見えてきたわ。私たちの、本当の戦場が」
凛がタブレットを操作しながら、月面基地『セレーネ』の現在の画像を投影する。そこには、かつての白銀の輝きを失い、不気味な黒い結晶体に覆われた月面の姿があった。
「……! 艦長、月面基地方面に超巨大なリングを確認。……推定、全長5キロメートル以上。……何て大きさなの……!」
凛の悲鳴に近い報告。 月面のクレーター『セレーネ』の中心に浮かび上がる巨大な黒いリングは、地球を「掃除」していた楔の親玉とは全く別の姿を誇っていた。その周囲には、以前宇宙で戦った角突きのカナブン、いや、カブトムシの様な姿をした『宇宙適応型Alog』の群れが、星屑のように舞っている。らには、地上に居たカナブン型も見えた。
「なんだ!? あのリングは!? それに、角突きのAlogだと!?」
困惑したミラーの声が不死鳥のブリッジに響いた。
「リングの方は形状からして、恐らくですが、ワープゲートの様なものだと推測されます。さらに、角突きのAlogは、過去の戦闘で、明星型の装甲を軽々と突き破ったAlogです」
凛の報告に春花が、
「何ですって!? あの、カブトムシがここにいるの!?」
春花は戦慄した。
それは、かつて木星基地を奪還しに行ったときに、不期遭遇したAlogであった。
その戦闘時に、母艦である明星の装甲を貫かれ、雷電を殿にして体制を整えた戦闘時のAlogであった。
その後、応急処置を整えて戦場に戻った時は、雷電は大破し、哲夫を乗せたコクピットが無くなっていたのであった。
その時のことを思い出した春花が、
「あれはまずいわね」
と、怯えていた。そこに、岩蔵の声が響く。
「ふん。今度は大丈夫だ! 不死鳥なら、中型の突撃も弾き飛ばせるほどの装甲とリバースグラビティシールドがある。明星型に関しても、昔のような小型程度の突撃なら、耐えきれる」
春花は、驚いた顔でスクリーンに映る岩蔵を見た。
「じゃから、安心するんじゃ」
岩蔵はそう言ってにかっと笑った。
「問題は、リングの方じゃな。じゃが、現在は起動していないようじゃぞ?」
「確かに、起動しているようには感じませんね」
岩蔵と共に杏が言った。
「ですが、周囲には、異常なほど高密度なリバースグラビティフィールドが展開されています」
凛が、コンソールで計算結果を表示させる。
「どの位なの?」
「この距離での観測データで計算したところ、地球に落ちた最後の楔から出現した、超々大型の張ったリバースグラビティフィールドの数倍以上です」
春花は、凛の報告に驚愕しながら確認する。
「そ、それは・・・。特装砲で、破ることが出来るの?」
「あのフィールドの外からでは、減衰率的に、ダメージを与えることが出来るかどうか、怪しいです」
凛の答えに、春花は岩蔵に聞いた。
「どうにかならないの?」
そこに、隆がスクリーンに身を乗り出す。
「おやっさん! 不死鳥の主砲には、岩蔵特製の『徹甲弾』がありますよね!? エネルギー砲が減衰するなら、あのクソデカい実弾でリングのど真ん中をぶち抜けば——」
「アホウ、そんな生易しいもんが通じるか!」
岩蔵が隆の頭を拳骨で小突いた。
「あのリングの周りはな、地球の楔の数倍以上のリバースグラビティ(反重力)が渦巻いてんだぞ。普通の実弾なんか撃ち込んでみろ、当たる前に重力の歪みで弾道がへし折られるか、潮汐力でチリになっちまうわ! もっと、強固な鉱石でもあれば、話は別だろうがな」
「じゃあ……現状では実弾も効かないの?」
「相当接近すれば、エネルギー砲にしろ、実弾砲にしろ、防がれる前に届くかもしれないがの」
春花が唇を噛む。
「接近ですか? 改装作業でどうにかならないの?」
「さすがに宇宙空間では、改装は不可能じゃ、どうしようもないわい」
ブリッジで言い争っていると、凛のコンソールに、位置情報が光りだした。
「ん? この位置は?」
凛が確認すると、それは、かつてのセレーネの場所であった。
(まさか。セレーネの位置がずれている? いや、現在見えているセレーネは、私たちが地球に降りてから作られた場所なの?)
凛がその座標データを精査した瞬間、その瞳が大きく見開かれた。




