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ジュリエンヌの怒り

 「……あなたたち、ちょっと話を聞かせなさい」


 ジュリエンヌの低い声が廊下に響いた瞬間、取り巻きの二人はビクリと身を震わせ、視線をさまよわせた。さっきまでリリアのノートや杖を盗んだことを嘲笑していた彼女たちも、ジュリエンヌの剣幕を前にしては完全に気圧されているようだ。


 「ジュリエンヌ、お前……本当に何も知らなかったのか?」


 「ゴトー、黙ってなさい。まずはこの二人から事情を聞くわ」


 俺の問いを一蹴すると、ジュリエンヌは取り巻き達に向けてヒールの先をコツンと鳴らす。尖った視線にさらされた彼女たちは、怖気づいた様子で小さくうなだれた。


 「あなたたち。リリアの杖やノートを盗んだのは事実?」


 少し間を開けて、取り巻きの片方が返答する。


 「だって、リリアを退学に追い込めば……ジュリエンヌお嬢様が楽になると思って……」


 取り巻きの一人が言い訳を始めた瞬間――

 バチン!

 乾いた音が廊下に響く。ジュリエンヌの平手打ちをまともに受けた取り巻きが、頬を押さえてたじろいだ。続けざま、もう一人の取り巻きにも容赦なく平手が飛ぶ。周囲の生徒たちは思わず息を呑む。いつもは優雅に嫌味を言う程度のジュリエンヌが、ここまで怒りを露わにするなんて尋常じゃない。


 「どんな理由があろうと、盗みを働くなんて、貴族としてあるまじき下劣さよ! 深く反省なさい!」


 「も、申し訳ありません……私たちはただ、落ちこぼれを退学にさせればお嬢様が――」


 「黙りなさい!」


 烈火のごとき声に、取り巻き達はそれ以上何も言えなくなる。今まで陽気にこちらを嘲っていた姿は、すっかり消え失せていた。


 ジュリエンヌがここまで怒りをあらわにするとは思っていなかった。裏で糸を引いていたのはこいつだと疑っていた俺だが、どうやら本当に関与していなかったらしい。リリアと視線を交わすと、リリアは唇を噛みしめたままうつむいている。


 取り巻き達を叱責し終えたジュリエンヌは、周囲にいた野次馬をぐるりと睨み渡した。彼らは顔を背けるようにして足早に散っていく。人前であれほど強烈な平手打ちを見せつけられた取り巻き達は、恥ずかしさと恐怖が入り混じった表情で小さく身を竦めていた。


 「リリア・エヴァーハート」


 ジュリエンヌはリリアに向き直り、冷ややかな視線をぶつける。


 「勘違いしないでちょうだい。私はあなたの肩を持つわけじゃないから。卑劣な手段に負けずに試験を乗り越えたことは褒めてあげるわ。でもね、あなたの魔法なんて、私の足元にも及ばないんだから」


 リリアはショックを受けたように目を見開いた。俺もその言葉に圧倒される。ジュリエンヌは静かに息をつき、さらに言葉を続けた。


 「私は正々堂々と魔法の勝負であなたを打ち負かして、退学させたいだけよ。落ちこぼれの庶民は、この学園には要らないわ」


 「……ふん、望むところよ。卑怯な取り巻きを使うわけでもなく、あんた自身が正々堂々と来るっていうのなら、私だって正面から迎え撃ってやるわ!」


 ジュリエンヌは取り巻き達に、盗んだものをちゃんとリリアに返すよう促す。二人の取り巻きは黙ってうなずき、必死にジュリエンヌのあとを追っていった。遠ざかっていく背中を見つめながら、俺は静かに息を吐く。


 「リリア、大丈夫か?」


 「……まあ、ちょっと拍子抜け、って感じではあるわね」


 リリアが言い返し、肩で息をする。これまで散々いじめられたと思っていた相手が「そんな小細工は好まない」と取り巻きを叱るなんて、そりゃ動揺もするだろう。もっとも、「正々堂々と叩きのめす」と宣言されたわけで、全然安心できる状況じゃない。


 「でも、次からはあんな卑劣な妨害はない、と思えれば気が楽じゃないか」


 「そうだとしても、ジュリエンヌは本気で私を退学に追い込むつもりなのよ。どっちにしろ気が抜けるわけないじゃない」


 リリアは悔しそうに顔を上げる。追い詰められた状況は変わらないが、いつものようにふてくされるだけでは終わらなそうだ。


 「……それに、なんとか落第は免れたけど、試験の出来はクラス最低だったわ。ジュリエンヌと比べると、すごく情けない」


 「よく踏ん張ったと思うよ。それに、ノートも杖もあんな形で奪われて、それでも試験に臨んだんだから」


 「そう言われると、少しは救われるけど……それでも悔しいのよ。ジュリエンヌは得意の火魔法だけじゃなく、何の魔法でもトップクラス。セシルだって全部器用にこなしてる。私なんかとは雲泥の差ね」


 リリアが顔を曇らせる。試験が終わったばかりなのに、まったく気が抜けないのだろう。俺は少し歩調を合わせて、そんなリリアを見やった。


 「でも、いま自分がどんな位置にいるかがわかれば、これから伸ばすべきところもハッキリする。大丈夫、俺もついてる」


 「……うん。あんたに助けられっぱなしで、ちょっと複雑だけどね」


 「まあ、俺はシステムエンジニアだからな! 困ってる人に手を貸して、一緒に問題を解決するのが仕事だから」


 「だからその、システムエンジニア? って何なのよ! ……まあ、協力してくれるなら助かるわ。もっと努力しないと、みんなに追いつけないんだから!」


 リリアはまだ悔しそうだけど、わずかに笑みを浮かべた。俺も苦笑しながら足を早める。


 「よし、じゃあまずは寮で作戦会議だ。夜まで付き合う覚悟、あるか?」


 「言ったわね。根を上げても容赦しないわよ」


 ふと視線が合って吹き出すと、悔しさや不安なんてどこかへ消えていった。夕暮れの校舎を肩を並べて駆け抜け、いつの間にか何でもない冗談を言い合っている。背負うものはあっても、笑い合える限りは大丈夫。俺とリリアは、互いにふざけあいながら学園の中庭を抜け、学生寮へ戻っていく。夕闇に溶けるように響く笑い声だけが、いつまでも途切れなかった。


***


 私――ジュリエンヌ・ルージュモントは、廊下を一人で歩きながら、頭を悩ませている。今はあの忌々しいリリアの姿を見なくて済むはずなのに、こうやって一人になった瞬間に思い浮かぶのは、どうしてか彼女のことばかり。まったく、迷惑な話よ。


 リリア・エヴァーハート。あの落ちこぼれは、学園の秩序を乱す疫病神に等しい存在だと思っている。何度も魔法を暴走させて授業を妨害するし、家柄も才能もないくせに、やたらとプライドだけは高いから、腹立たしくて仕方がない。

 リリアがこんな名門魔法学園に通う資格なんて微塵もない。そのはずなのに、どうしてあんな子がまだ居座って周りに迷惑をかけ続けることが許されているのか、私にはまったく理解できない。


 私の家――ルージュモント家は、代々続く名門貴族。幼いころから、厳格な教育と魔法の鍛錬を受けてきた。子供のころは、確かにきついと思ったこともあるけれど、それでも私は自分の家柄を誇りに思っていたし、それを裏切らぬよう日々努力してきた。努力と才能があれば、結果は必ずついてくる。そう信じて、実際に私は常に成績上位に名を連ねてきた。


 でも、あのリリアの姿を見ると、どうしてか心がざわつく。確かに、彼女は才能がない。火魔法は暴発寸前、水魔法は教室中を水浸しにして、幻術は教室を混乱の渦に巻き込んだけれど、あの落ちこぼれは、失敗から決して逃げない。

 無様に失敗して、みんなに叱られて、嘲笑されても、次の授業にはまた真っ先に教室へ入ってくる。夜は夜で、誰よりも遅くまで実技の練習をしていると聞く。魔力が尽きるまで杖を握って、唱えにくい呪文を何度も繰り返して、それでもうまくいかないときは呪文の改変なんて危険な行為にまで手を出すらしい。


 その話を最初に耳にしたとき、私は呆れを通り越して失笑した。呪文改変は、まともな魔法使いでも下手をすれば命を落としかねない暴挙。学園の授業で推奨されるわけがない。

 それなのに、あんな基礎魔法すら怪しい子が、どうしてそこまで必死になれるの? そんな危険を冒してまで。


 ……わからない。私には、まったく理解できないのよ。


 どうしてかリリアのあのしつこい努力――いや、もはや執念と呼んだほうがいいかもしれない――に触れるたびに、私の心は乱れる。いつもなら冷ややかに嘲笑して終わりなのに、あの子が夜な夜な練習を重ねているという噂を聞くだけで、なんだか落ち着かなくなるのはどうして?

 私がこれまで積み重ねてきたものにだって、自信はある。家柄、才能、そして努力。どれもリリアのような下々の者に負ける要素なんてない。それは明白なことなのに。


 ……もしかして、私はリリアを恐れているのではないか――そう思ってしまったときがあった。もちろん、すぐにそんな考えは振り払った。

 あんな落ちこぼれを恐れるなんて、私の誇りが許さない。彼女はただの無能に決まっている。失敗ばかりで周りの足を引っ張る、学園のお荷物。たまたま諦めが悪いだけで、結果など出ない。そう思わなきゃやっていられない。


 でも、もしもリリアがほんの少しでも才能を持っていたら、どうなるのか――。彼女のあの異常なまでの努力と根気が、わずかな才能と結びついたら――それは、私が持っている才能を凌駕するのでは……いえ、そんなこと、ありえない。断じて。


 私は靴をコツコツと鳴らしながら、人気の少ない廊下を歩いていく。胸の奥にある不快感を払拭するように、わざと大きく足音を立てる。

 気づけば、廊下の壁には夕陽が伸ばす長い影が差し込んでいた。もう少しで寮の門限の時間になる。

 そんな時間になっても、リリアはきっとまだ杖を握っているのかもしれない。誰に教わるでもなく、ひたすら呪文を試行錯誤する滑稽な姿が目に浮かぶ。


「ふん……くだらないわ」


 つい声に出てしまい、慌てて唇を閉じる。誰にも聞かれてはいないと思うけれど、あまり品のない行動は慎みたい。貴族としての威厳を保つためにも、いつどこで見られているかわからないから。


 ドアノブに手をかけ、部屋の扉を開く前、私は一瞬だけ壁に寄りかかって深呼吸をした。まるで胸の奥底にわだかまる何かを吐き出すように、静かに息を吸って、吐いて……。それだけで少しは落ち着いた気がする。


 そう、私は負けるわけにはいかない。リリアがどれだけ努力を積み上げようとも、そんなもの私の才能には遠く及ばないはず。最初から持たざる者が、どう足掻いたって結果が出るわけがないのだから。

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