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水魔法の試験と、盗まれたノート

 「……ない。私のノートが……ない……っ!」


 リリアの呟きが聞こえた瞬間、俺の背中に冷たいものが走った。もはや嫌な予感しかない。つい先ほどは大事な杖が消え、今回はノートが行方不明――いや、盗まれたに違いない。


「リリア、落ち着け。朝までは確かにあったよな?」

「鞄に入れたのをちゃんと確認したの……。こんなの、絶対に誰かが持ち去ったのよ!」


 ノートと言ってもただのメモ帳じゃない。魔法の基礎が苦手なリリアに代わって、俺がこの世界の呪文をプログラムみたいに分析し、効率的に使えるようにまとめた一冊だ。長く複雑な水魔法を省略形で唱えられるようにしたり、暴走を防ぐ補助構文を組み込んだり……リリアにとってはまさに救いの一冊。それが試験直前に無くなるなんて、どう考えても盗まれたに違いない。


「……またジュリエンヌ達の仕業か。あいつら、やることが陰険すぎる」


 俺はひとまず周囲を見渡す。すると、教室の隅に固まっている取り巻き二人が、こちらを見ながら笑っていた。どうやらビンゴらしい。リリアがカンカンに怒って彼女たちに詰め寄るが、取り巻きは鞄の中を見せびらかして白を切る。


「ノート? さあ、知らないわね。鞄の中を見てもいいわよ?」

「この通り、何も入ってない。落ちこぼれの持ち物なんて興味ないし~?」


 嘲笑まじりの口調に、リリアは怒りで震えている。しかし、杖が無くなった時と同じく、はっきりした証拠はない。時間も迫っているのに、無理に問い詰めてもらちが明かないのはわかりきっていた。


「……覚えている範囲なんて限界がある。ああ、どうしよう……!」


 次の水魔法の試験は、多数の呪文の中からランダムに出題されるらしい。詠唱の際は教科書やノートを見ても良いとのことだが、リリアの場合、教科書通りに呪文を唱えてもほとんどが上手くいかない。理由は定かではないが、魔法の素質が一般的な学生とは異なるのだろう。だから、俺と一緒に作った“呪文改変ノート”がどうしても必要になる。次の試験開始まであと15分。もう猶予はない――


「――よし。今から俺が、改変した呪文を全部書き起こす」


 俺の言葉に、リリアは「は……?」と素っ頓狂な声を上げた。取り巻き達も「何言ってんの?」と馬鹿にしたように顔を見合わせる。わかっている。普通なら無謀だろう。長文呪文を20個前後、そんな短時間で書き起こせる訳はない。


「リリア、あのノートを書いてるとき、なんで各呪文を改変したか、その理由も一緒に話し合ったよな?」

「そ、そうだけど……だからって、全部思い出せるわけ……」

「いや、思い出すんじゃなくて、“導く”んだ。必要な要素をひも解けば再構築できる。言葉を暗記するより“意味”が鍵なんだ」


 取り巻きの二人がケタケタと笑い出す。


「へえ、すごい自信ね。魔法をかじった程度の素人が、あれだけの長文の呪文を再現?」

「大口叩くのは自由だけど、せいぜい間に合うといいわねー」


 俺が異世界に来て最初は、呪文どころか文字の読み書きすら怪しかった。しかしここ1か月、俺はリリアと一緒に、呪文に関する勉強を徹底的にやってきた。文字の成り立ちを覚え、単語それぞれの意味と文法的な繋がりを確かめ、古い教科書を漁っては構文の共通点を探す。


 教科書の説明によると、「呪文は偶然発見されたフレーズの寄せ集め」みたいに扱われているが、俺はそこに確かな規則性を見いだしていた。そう、プログラムのように――エンジニアの視点で整理すれば、呪文は単なる暗記ものじゃなく、意味と構造さえ把握してしまえば“再現”できるはずのものだ。


 周りの生徒たちも半ば呆れ顔だが、今そんな声にかまっていられない。リリアからペンと紙束を奪うように受け取り、教科書を開き、俺は教室の隅で一気に書き始めた。時間はあと少し。早くしないと試験が始まってしまう。


「まず、教科書通りの基礎形はこれで、そこに圧力を抑える構文を足して、さらに暴走を抑えるためにここのフレーズを3単語削ったはずで……」


 自分に言い聞かせるようにつぶやきながら、思いつくままペンを走らせる。やや長めの詠唱文だが、原型を知っていれば出だしは分かる。そこから省略した部分や補強した部分を順に組み立てていけばいい。


「……よし、次。この水の壁を展開するやつは、リリアの魔力暴走対策として風要素を削った。だから詠唱の中盤で風の符号を削除し、最後に循環を補完するためのキーワードを挿入――」


 紙に書くスピードだけじゃなく、頭の回転もフル稼働だ。昔、現実世界でプログラムを組んでいるときも、似たような事態に陥ったことがある。サーバー障害で一日分の業務が消し飛んで、膨大な量のコードを一晩で書き直さなきゃならない――あの時に比べれば、全然マシだ。


 横目でちらっとリリアを見ると、彼女は目を丸くして俺の手元を見つめていた。信じられないものでも見るように、その唇がわずかに動いている。


「す、すごい……どんどん出てくる……」

「数学の三角関数みたいなもんさ。加法定理とか余弦定理とか色々あるけど、基本の計算法さえ頭に入っていれば、公式を忘れてもその場で導き出せる。呪文も同じで、一度“なぜその単語を使うか” “どう構文を組み立てるか”を理解していれば、組み立て直せる」


 まさか異世界の呪文を三角関数で例える日が来るとは思わなかったが、理屈としては似ている。書き進めるたびに周囲の生徒がざわざわ騒ぎ始め、取り巻きの二人は「うそでしょ……?」と小声で呟いていた。


 俺はさらにペンを早める。構文を次々と思い出し、それを必要に応じて改変していく。周りで見ていた生徒たちの中には「何あれ、何の儀式……?」なんて言うやつもいるが、気にしている余裕はない。最後の一つを書き終える頃、教員の声が廊下に響いた。


「試験開始まであと一分です! 受験者は指定の教室に急いでください!」


「よし……終わった!」


 俺は紙束をリリアに押しつけると、大きく息をつく。時間はほとんど残っていないが、これだけあればリリアは水魔法をどうにか唱えられるはずだ。取り巻きたちを含め、周囲の生徒たちは唖然とした顔で固まっている。


「マ、マジで全部書いたの……?」

「どうしてそんな短時間に……ありえない……」


 信じられないという声が上がるが、俺はそれどころじゃない。リリアも興奮気味に紙束をめくりながら叫ぶ。


「ゴトー、すごい……! 本当にノートと同じように書かれてる……!」

「あとで感想はゆっくり聞かせてくれ。今は試験だ。次の教室へ急げ!」


 リリアは目を潤ませつつ、俺と一緒に走って試験会場へ飛び込む。なんとか時間ぎりぎりで席に着くと、教員が順番に生徒を呼び始めた。隣に立つリリアは緊張で手が震えている。ノートという後ろ盾を失ったばかりで、半ばパニックだったはずだ。それでも、俺が書いた紙束をしっかり握って覚悟を決めているようだった。


***


「……リリア・エヴァーハート、前へ」


 いよいよ名前を呼ばれると、リリアは紙を両手で抱えながら壇上へ進む。周囲の視線が集まる中、彼女は深呼吸ひとつ。紙を追いながら詠唱を始めた。序盤こそ声がかすれていたが、徐々に落ち着きを取り戻す様子が伝わってくる。


「……クオラ……アス……シスル……リラ……」


 発動の瞬間、リリアが小さく息を呑むのが見えた。だが杖先にはきちんと魔力が集まり、書き写した呪文通りに小さな水流が形成される。不安定さは残るものの、落第にならないだけの精度は十分だ。

 その後の出題に対する実演も、多少のミスや不安定さはあったものの、なんとか及第点に届いた。杖も借り物だというのに、大したものだ。


「や、やった……! 私……ちゃんとできた……!」


 リリアが呆然と呟く。取り巻き達は悔しそうに唇をかみしめ、周囲もどよめきの視線を送ってくる。試験がひと段落すると、俺とリリアは一緒に廊下へ出た。


「ゴトー、本当にありがとう。あんたがいてくれなかったら、私は絶対に落ちてた」

「まあ、なんとかなったな。でも、魔法が上手くいったのは、リリアの努力の成果だよ。俺はサポートしただけだから」


 そのとき、見覚えのある鮮やかな赤い髪が目に入る。ジュリエンヌが取り巻き二人を連れて歩いていた。試験を終えて時間に余裕ができたので、俺は遠慮なく切り出す。


「おい、ジュリエンヌ。杖だけじゃなくノートまで盗ませるなんて、さすがにいい加減にしろよ」


 嫌悪感をむき出しにする俺に対し、てっきりジュリエンヌは威圧的な態度で応戦してくるかと思った。しかし、その反応は予想外だった。


「……はぁ? 盗ませる? 何の話よ?」


 ジュリエンヌはいつもの高圧的な表情とは違い、妙にキョトンとしている。こちらが拍子抜けするほどだ。とぼけた様子のジュリエンヌに対して、リリアも怒りをぶつける。


「とぼけないでよ! あんたがその取り巻き達に命令して、私の杖やノートを盗ませたんでしょ!」

「……失礼ね! 私がそのような卑劣な真似をするわけないでしょう! あなたを退学させたいのは事実だけれど、かといって物を盗むなんて行為、絶対にしませんわ!」


 どうやらジュリエンヌは本気のようだ。今までの状況からすれば、明らかに不自然な反応。俺は思わずリリアと顔を見合わせ、言葉に詰まる。


「だって、お前の取り巻き達がさっきからこそこそと笑ってたから、てっきり……」


 ジュリエンヌは顔を曇らせ、ちらりと取り巻きの二人を振り返る。彼女たちは一瞬身をすくめ、視線をそらした。


「……あなたたち、ちょっと話を聞かせなさい」

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