風魔法の試験と、消えた杖
朝から学園には、いつもとは違うピリピリした空気が漂っていた。今日は中間試験当日。1学期の魔法実技をまるまる1日かけて行うから、生徒たちも落ち着かない様子で廊下を行き来している。俺もリリアも、ホームルームが終わるや否やそれぞれの試験教室へ移動するはずだったのだが――。
「……あれ? おかしいわね……」
リリアが自分の席のあたりを、やけにしつこく探している。鞄の中をかき回しては顔を上げ、また下ろして……を繰り返す。その焦燥感がこちらにまで伝わってきて、嫌な胸騒ぎがした。
「リリア、どうしたんだ?」
「杖が……ないの。ついさっきまで確かに鞄に入れてたのに、どこにも見当たらない」
その一言で、嫌な予感は確信に変わる。魔法の実技試験に、杖なしで挑むなんてありえない。杖は各自の魔力に合わせて作られるものだから、下手に他人のを借りるのも難しい。ましてやリリアのように魔力制御が不安定だと、慣れた杖でなければ成功率はガタ落ちだ。
「えっと……忘れ物じゃないよな? 寮に置いてきたとか」
「そんなわけないでしょ。さっきまで持ってきたのよ。ちゃんと鞄の中に入ってるのを確認したんだから」
リリアは半ばパニック状態で、鞄の底のほうまで必死に手を突っこんでいる。だが、見つからないものは見つからない。
「……やばいな。もう次の風魔法の試験が始まるぞ」
「ど、どうしよう……」
リリアは今にも泣き出しそうな顔をしている。杖の紛失は偶然にしてはタイミングが良すぎる。実技試験当日に消えたとなれば、どう考えても誰かが意図的に盗んだのだろう。嫌な笑い声が脳裏をよぎる。
「……あいつらか」
ジュリエンヌと取り巻きたちは以前からリリアを“落ちこぼれ”呼ばわりして、ことあるごとに嫌味を言ってきた。最近はとくにジュリエンヌの態度がエスカレートしていて、取り巻き全体でリリアを追い詰めるような風潮が強まっている。今回の杖騒ぎも、彼女たちが仕掛けたのかもしれない。リリアも心当たりがあるらしく、うつむいたまま唇を噛んでいた。
「……こんな大事な日に、許さない! ジュリエンヌを問い詰めてくる!」
「待て、リリア。あいつらが杖を持っているのを見たわけじゃない。証拠なしで問い詰めてもはぐらかされて、時間の無駄だ」
「……じゃあどうすればいいのよ! もう試験が始まっちゃうのよ!」
少しでも役に立てればと思い、俺は提案を出す。
「他の生徒の杖を借りるってのはどうだ? 一時的にでも使えれば、試験だけは何とか乗り切れるかもしれない」
「……簡単じゃないわ。杖はそれぞれ材質が違うし、長さもばらばら。杖によって魔力の通し方が変わるし、私みたいな不安定なやつがいきなり他人の杖を握ったら、絶対うまくいかないわ」
「だったら、リリアの杖と近い材質や長さを使ってる生徒がいないか探そう。リリアの杖って、どんな特徴だったっけ?」
「オークの木よ。軽くて魔力の通りがいいって聞いて、入学前に専門店で選んでもらったの。長さはこのくらいで……」
そう言ってリリアは自分の前腕を示す。時間はないが、ここで諦めたらリリアは試験に出られず、さらに“落第”や“退学”の危機に追い込まれるだろう。俺はリリアを引き連れ、急いで廊下に出る。
「とにかく、聞いて回ろう。ベル、セシル、急に悪いんだけど……」
まずは親しい二人に事情を話したが、ベルは花梨の硬い杖を、セシルは特殊合金製の杖を使っているということですぐ断念。足早に試験教室へ向かおうとする生徒たちに次々と声をかけていくが、俺の背中に嫌味な囁きが聞こえてきた。
「ふふ……これで落ちこぼれが試験に失敗してくれればいいのに」
気づけば、ジュリエンヌの取り巻き達が廊下の隅で笑っていた。こちらに視線を投げ、口元に手を当ててクスクス笑っている。確実にあいつらだ。しかし、今さら怒鳴り込んでも、証拠がないからどうにもならない。リリアもそれを分かっているのか、震えるように拳を握りしめていた。
「……落ち着け、リリア。犯人捜しはあとだ。今は試験を乗り切る方が先決だろ」
「わかってるわよ……わかってるけど、悔しい。こんなの、卑怯すぎる」
「くそ……仕方ない。こうなったら最後の手だ!」
周囲には既に試験会場に向かおうとする生徒たちが集まっている。こいつらの前でリリアが杖を貸してほしいと言ったところで、まともに取り合ってくれる人は少ないだろう。そもそもリリアの評判は良くない。ならば、俺が頭を下げるしかない。情けないが、時間との勝負だ。
「みんな、聞いてくれ! リリアの杖、今朝俺が踏んづけて折っちまったんだ! リリアは悪くないんだ! 誰かオーク製で長さがこれくらいの杖を持ってるやついないか! 今日1日だけ貸してほしい! 絶対に壊さないから!」
試験直前の廊下に俺の声が響き渡る。周囲からは「何だコイツ」「どこの国の服だよ」みたいに嘲笑まじりの視線が突き刺さる。それでも構わない。ここで杖を借りられなければ、リリアはおしまいだ。
「頼む! 助けてくれ! 俺が杖を折っちまったんだ! オーク製で、長さがこれくらいの――」
俺がしつこく叫び続けていると、人ごみの中の一人――見るからにぶっきらぼうな男子生徒が手を挙げた。
「……オークの杖なら、俺がスペアを持ってる。だけど、そいつに合うかは知らないぜ」
助かった。俺は思わず安堵の息をつきながら、その生徒が鞄から取り出した杖を受け取る。色や質感はリリアの杖に近い。長さはやや異なりそうだが……これを使うしかないだろう。
「ありがとう、マジで助かる。絶対壊さないようにするから」
「ま、ちゃんと返せよ。試験で力んで折るんじゃねえぞ」
彼は舌打ちまじりにそう言って去っていく。周りから失笑されっぱなしなのは腹立たしいが、これでリリアが実技を受ける手段ができた。杖は今日1日しっかり借りっぱなしにして乗り切るしかない。リリアに渡すと、彼女は驚いたように目を瞬かせ、男子生徒に会釈してから申し訳なさそうに息を吐いた。
「ゴトー……ごめん、私のせいであんたがこんな嘘をつく羽目に……」
「構うな。気にしてる場合じゃないだろ。とにかく試験に間に合わなくなる。急げ」
廊下の奥から教員の呼ぶ声がして、俺たちは慌ただしく試験会場へ駆け込む。名簿順に呼ばれた生徒たちは順々に前へ出て、風魔法で標的を狙う。手本を見せるようにあっさり成功する生徒もいれば、やや苦戦して制御が不安定になる生徒もいるが、全体としては大きな失敗はない。
そして、リリアの名前が呼ばれる。彼女は借りた杖をややぎこちなく握り、呼吸を整えるように大きく息を吐いた。
「……やるしかない」
そう自分に言い聞かせると、リリアははっきりとした声で詠唱を開始する。材質が同じとはいえ、自分のものとはバランスが違う杖だ。魔力の伝わり方がわずかに遅れる気配があるが、リリアは集中力を切らさずに風の渦を作り上げ、標的へ送り込んだ。
周囲の生徒が固唾をのんで見守るなか、風の渦はギリギリ標的をかすめ、程よい衝撃を与えて止まった。的中、とまでは言えないが、一応当たっている。最初の目標はクリアだ。
「……よし! 失敗しなかった……!」
リリアが小さく呟くと、さっき廊下で嘲笑していた取り巻きの女子たちが悔しそうな顔をしたのが視界に入る。彼女たちが盗んだ杖はどこかに隠されたままだろうが、企みは空振りに終わったわけだ。
リリアの魔法を近くで見ていたジュリエンヌが、嘲るように笑みを浮かべる。
「落ちこぼれが、たまたまうまくいっただけじゃない。しかも自分の杖を無くすだなんて……だらしないこと」
リリアは怒りを帯びた瞳でジュリエンヌを睨む。これまでも散々バカにされてきたが、今回の杖隠しの件を仕掛けたと思えば、怒りが煮えたぎるのも当然だろう。歯を食いしばりながらリリアが低く呟く。
「……ジュリエンヌ、絶対に許さないから」
そのまま真っ直ぐに彼女たちへ詰め寄りそうな勢いだったが、試験中の教室で大騒ぎするわけにもいかない。俺はそっとリリアの肩に手を置いて引き止める。今は無理にでも抑えるしかない。ジュリエンヌも取り巻きも、こちらを見下すような顔をしているが、証拠がない以上どうしようもないのが現実だ。
***
やがて試験が終わり、俺とリリアは教室を出て廊下へ移動した。外に出た途端、リリアは大きく息を吐く。
「はあ……何とか失敗は免れたけど、胸がざわざわする。次の水魔法の試験も大丈夫かな……」
「大丈夫だ。材質が似てるなら、調整次第で問題ないはずだろ? とにかく風魔法は上手くいったんだ、自信を持っていこう」
「うん……。ありがと、ゴトー。あんたの機転のおかげで助かった」
そう言ってリリアは借り物の杖を見つめる。盗まれた自分の杖の行方はまだわからないままだ。ジュリエンヌとその取り巻きが隠しているのは明白だけど、今この状況で追及しても時間の無駄だ。次の試験に間に合うように、リリアはこの借りた杖で何とかやっていくしかない。
「……くそ、アイツら、いつか絶対に後悔させてやる」
リリアは怒りを抑えきれない様子で言葉を吐く。俺も同感だ。確実に妨害しようとしている連中がいるのは腹立たしいし、リリアの努力を踏みにじるようなやり方は許せない。だが今は、下手に動いて逆に足をすくわれないようにしなきゃならない。やるべきことは山ほどあるが、まずはこの中間試験を乗り切るのが最優先だ。




