ベルのお茶会
「おつかれさまー!」
部屋の扉が開いた瞬間、ベルの元気な声が飛び込んでくる。
リリアの部屋は女子寮ということもあってあまり広くはない上、そこに俺、リリア、セシル、ベルの四人が集まっているから、さらに手狭な印象だ。
「リリア……よかったぁ……! 中間試験、ちゃんと受かって、ちゃんと……ほんとによかった……!」
ベルはうるりと涙をにじませながら、リリアの手をぎゅうぎゅうと握りしめている。その顔はほぼ泣き笑いだ。リリアは困ったように唇を尖らせ、ちらりと俺のほうを見た。
「まったく……大げさなんだけど」
「大げさじゃないよ! 杖を盗まれたりして……あのときは本当にどうなるかと思ったんだから」
「……ま、まあ、私ならあの程度で落ちるわけないし、当然よっ」
リリアは見栄を張るように胸を張るものの、照れ隠しが混ざっているのがわかる。俺は思わず笑いそうになったが、隣で涙ぐむベルを見ていると、試験までの苦労が改めて思い出される。杖の盗難やら妨害やら、本当にいろいろあった。
そんな俺たちを、セシルは少し離れたところで黙って見ていた。表情こそ冷静だが、その瞳にはわずかに柔らかい光が宿っている。彼女なりに、リリアの奮闘を認めているのだろう。
「……ほら、今日はお疲れ会なんだろ? そろそろ始めないか?」
「そうそう! そうだった!」
ベルは涙を拭ってぱっと顔を上げ、部屋の中央まで足を進めてテーブルを囲む形で座る。一人用の部屋に四人もいると窮屈だけど、それがかえって楽しい雰囲気を生んでいる気もする。
「はい、みんなに食べてもらいたくて、焼き菓子を作ってきたんだ!」
「おっ、いい匂いがすると思ったら、それか」
「ふふっ、そそっかしいベルだけど、お菓子作りは実は得意なのよね」
リリアが偉そうに言うと、ベルは「えへへ」と照れ笑いを浮かべながら、テーブルの上に載せたトレイを示した。クッキーやらスコーンやら、形も大きさもいろいろだけど、バターのいい香りが広がっていて食欲をそそる。
「ホント、美味しそうだな……ちょっと一枚、いただいていいか?」
「うん、遠慮なく食べてみて! 自信作だよ!」
俺はクッキーを一枚手に取り、そっとかじる。口の中に広がるサクサクの食感と優しい甘み、それにバターのコクがたまらない。素人が作ったとは思えない完成度だ。
「うまい……ベル、これは正直驚きだ。こんなに上手く焼けるもんなんだな」
「えへへ……よかった……! リリアもセシルも、良かったら食べてみて」
「じゃ、私はマドレーヌを……ん、想像以上にいけるわね!」
「……私も」
セシルが小さくつぶやいて、淡々とクッキーを口に運ぶ。一見無表情だけど、口元がわずかにほころんでいるのを見逃さなかった。
突然、ベルが立ち上がろうとして周りの棚に肘をぶつけそうになった。その姿にセシルが呆れ顔で肩をすくめる。
「ベル、落ち着いて」
「ご、ごめん……ちょっと部屋が狭いせいもあるけど……」
「ねえ、セシルが持ってきたお茶って、それ?」
リリアがセシルの手元を指差すと、セシルは小さな缶を取り出してテーブルに置いた。上質そうな茶葉がぎっしり入っていて、鼻を近づけるだけでいい香りがする。
「私の地元の茶葉。せっかくだから、ちゃんと淹れてあげる」
「嬉しい……! お菓子と一緒に飲んだら絶対おいしいよ」
ベルが目を輝かせる横で、セシルはポットに茶葉を仕込む。火魔法でポットの内側から水を熱すると、数秒もしないうちにふわりと湯気が立ち上って、部屋全体に豊かな香りが広がった。
出来上がった紅茶を、今度は水魔法で四人のカップに同時に注いでいく。まるで決められたプログラムみたいに、流れるような動きだ。
「す、すげえ……」
「魔法を使う方が、適温が保てるから」
俺もリリアもベルも、思わず息をのむ。
「セシル、完璧な適温だわ。熱すぎもしないし、ぬるくもない」
「まさに職人芸……。いや、ほんと大したもんだよ」
「おおげさ」
セシルはぽつりと呟き、紅茶のカップを渡してくれる。俺はそれを受け取って、さっそく一口含んだ。ほどよい苦みと微かな甘みが舌の上を転がり、ベルの焼き菓子とも相性抜群だ。
「うまい……すげえ、こんな最高のお茶とお菓子なんて、贅沢だな」
「わぁ、ほんとにおいしい……セシル、ありがとう」
満たされた気分でカップを置き直し、クッキーをもう一枚つまもうとしたときだ。ベルがまた立ち上がろうとして、今度は棚に肘をぶつけてしまう。
「きゃっ!?」
ベルは驚いた拍子にバランスを崩し、手に持っていたカップが宙を舞う。俺も動こうとしたが、セシルのほうがはるかに早い。水魔法で紅茶を操り、カップごとふわりと受け止めると、そのまま液体をくるくると空中で誘導してカップに収め直した。
「……嘘だろ、すげえ」
「セシル、ナイスキャッチ!」
「ベル、そそっかしい」
「ご、ごめん……ありがとう、セシル……」
ベルが情けなさそうに頭を下げると、俺とリリアは思わず拍手。セシル本人は飄々としていて、まったく大げさに振る舞わないのがまたすごい。
「セシルって本当に水魔法が上手いわよね。先生だって、あれだけ迅速に操作できる人はそういないって言ってたわ」
「もっと凄い人もいる」
「いやいや、レイン先生は『セシルは既にプロ級だ』って何度も言ってたし。先生にも引けを取らないレベルなんでしょう?」
「言い過ぎ。……恥ずかしいからやめて」
セシルがわずかに頬を染めるのを見て、俺は「本当にすごいのに謙虚だな」と微笑ましく思う。リリアも「たまには褒められて喜んでもいいのに」と肩をすくめた。
だが、俺が注目したのは、セシルが呪文を詠唱せずに水を操ったことだ。
「セシル、今呪文を言わなかったよな? そういうことも可能なのか?」
「簡単な魔法なら、イメージだけで多少は使える。でも複雑なものは無理」
すかさずベルが補足する。
「セシルはさらっと言ったけど、そんなことできるのは一年生ではセシルとジュリエンヌくらいだよ。プロの魔法使いでも難しいって言われるんだから……」
なるほど。やはりセシルはとんでもない天才らしい。それでいて謙虚なところに俺は感心した。
「なるほど、流石だな。これでお茶会を続けられるのはセシルのおかげだな。……そういや、試験はどうだったんだ?」
「……まあ、そこそこ」
「そこそこって……セシルは座学も実技もトップクラスだったじゃない!」
リリアが呆れたような声を出すと、ベルも感心したように「セシル、さすがだよ」と言ってお茶と焼き菓子を手に取った。
「じゃあ、ベルは?」
「え、えっと……私は……実技のほうはそこそこだけど、やっぱり座学は苦手なんだよね~」
ベルが苦笑すると、リリアが続く。
「私はその逆で、座学は得意だけど実技が苦手。総合成績だと実技の方が評価されるから、ベルのほうが成績いいのよ。もうちょっと座学も評価してくれてもいいのに!」
リリアがため息をつくので、俺はふと彼女に目をやる。杖やノートを盗まれて散々な目に遭ったけど、こうして無事に試験を乗り越えて、みんなでお茶会に興じられるのは本当によかった。
少し前までの荒んだ空気を思い出すと、今がどれだけ幸せかわかる。狭い部屋でひしめき合いながら飲む紅茶も、ベルの焼き菓子も、何倍も尊く感じられた。思わず胸が熱くなる。
ベルがまた何かしようとして立ち上がろうとしたところ、セシルが素早く目を光らせる。
「ベルは座ってて」
「は、はい……」
ベルが慌てて腰を下ろすと、リリアが吹き出す。
「セシル、ナイス! ベルはもう立たないでね」
「もー、大丈夫だよ~」
「なあ、もう少しお菓子あるか? 俺、まだ食べてない種類があるんだけど」
「ちょっとゴトーってば、遠慮がないわね!」
「あるよ、ゴトーさん! ほら、これも作ってみたんだ!」
ベルが嬉しそうにトレイを差し出す。セシルは呆れ気味にため息をつくが、黙って新しいクッキーを手に取った。気がつくと、俺のカップの紅茶はすっかり冷めかけている。追加のお湯を注ぎながら、甘く優しい香りにもう一度癒やされる。
焼き菓子の香ばしさと紅茶の香りが入り混じるなかで、四人の笑い声がいつまでも絶えない。まさに中間試験のお疲れ会にふさわしい、最高にほのぼのしたひとときだった。
***
皆が寝静まった夜の学園は、深い静寂に包まれている。宿直の教師であるシェイドは懐中時計を確かめながら、旧校舎から中庭へと巡回を続けていた。人気のない校庭を吹き抜ける冷たい風だけが、ひゅう、と微かな音を立てている。
そのとき、茂みの奥からかすかな呻き声のような気配がした。
「……誰かいるのか?」
問いかけても返事はない。だが月明かりに照らされて、隆起した背や逆立つ毛並みらしき輪郭がかすかに見える。重々しい呼吸の音――それはどう考えても人間のものではなかった。
シェイドが息を呑んで一歩踏み出した瞬間、暗闇の奥から凄まじい咆哮が響き、何かが突進してくる。受け身を取る間もなく弾き飛ばされ、シェイドは地面に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
痛みに耐えながら顔を上げると、巨大なオオカミめいた姿が低く唸りを上げている。言葉が通じるはずもない、明らかに魔物だが詳しい正体はわからない。
シェイドがかすれ声で助けを呼ぼうとしたそのとき、魔物は夜闇へと溶けるように消えていった。誰も知らぬうちに魔物が忍び込んだ学園。その静かな闇のなかで、新たな波乱の幕が上がろうとしていた。




