王都での一日
学園生活が始まって一週間。激動のようで慌ただしい日々が過ぎ、初めての週末を迎えた。週末は監督責任から解放される──そんな話を俺は事前に聞いていた。だから「リリアのことはひとまず気にしなくていい」と、のんきに構えていたのだ。ところが、当のリリアが朝っぱらからいきなりこう言ったのである。
「今日は王都に行くわよ。……あんたも、ちゃんと支度しておきなさいよ」
まるで最初から同行が決まっているかのような口ぶりだ。休日にリリアが俺と行動を共にする義務はないはずだし、実際に担当の先生も「休日は自由にして構わない」と言っていた。それで思わず俺は言葉を濁す。
「えーと、監督責任って平日だけじゃなかったっけ? リリアもせっかくの休みなんだし、一人でリフレッシュしてきたら……」
言い終わらないうちに、リリアは明らかに不満げな顔をする。せっかくの週末に余計な気を回したせいか、彼女の機嫌を損ねてしまったようだ。しばし沈黙が続き、リリアは睨むように口を開く。
「はあ? 初めて来た国の王都に行かないなんて、後々後悔するのはあんたよ。せっかくだから一度くらい見ておきなさいよ」
言いぐさは相変わらず高圧的だけれど、考えてみれば俺を誘ってくれている……のかもしれない。こんな世界に来たのに、学園周辺以外は何も知らないままじゃもったいない。街並みや文化に触れられるのは、ちょっと楽しみでもある。
「そ、そうだな……行ってみるか」
俺がそう返事をすると、リリアは「それじゃ」と素っ気なく言う。その態度に少し拍子抜けしつつも、「もしかしてこれ、間接的にお出かけに誘われた……?」と遅れて気づき、変に恥ずかしくなるのだった。
そして十分後。寮のエントランスで待ち合わせると、真っ白なドレスをまとったリリアが立っていた。いつもは学園の制服か動きやすい服ばかりだったから、こういうドレス姿は新鮮……というか、想像以上に可愛い。気が強いイメージとのギャップもあって、なぜか妙にドキドキする。
素直に「可愛いね」と言おうか迷ったが、どうせ言ったら「バカじゃないの!」と返ってきそうな気がした。そこで変な照れ隠しが先に出てしまう。
「……えっと、アヒルみたいだな」
口にしてから、俺は思わず頭を抱えそうになる。案の定、リリアの柔らかな表情は一瞬で消え、険悪な空気が漂った。
「はぁ!? アヒル? なによそれ、馬鹿にしてるの?」
「い、いや、そんなつもりじゃ……!」
言い訳する俺に、リリアはむすっとしたまま言葉を返さない。足音だけが怒りを物語るようにコツコツ響く。
こうして微妙な空気を引きずりながらも、学園の敷地を出て、待機していた馬車に乗り込むことになった。
***
馬車でおよそ一時間。窓の外に見えてきた王都は、広大な城壁の向こうにそびえる宮殿や鐘楼、石造りの荘厳な建物が立ち並び、まさにファンタジー世界の王都という印象だった。
「うわぁ……」
素直に感嘆の声を上げてしまう。リリアも同じく窓外を見ているが、その横顔はどこか誇らしげに見えた。
「ふん……初めて見たなら、もっと感想くらい言いなさいよ」
ツンとした口調は相変わらず。だけど、彼女の瞳も嬉しそうに輝いているように思える。(案外、自分も久しぶりの王都でワクワクしてるんじゃないか……?)
やがて馬車を降りると、中心街は想像以上の賑わいに包まれていた。軒を連ねる露店や商店の数々、通りを行き交う人々の活気、香辛料や菓子の甘い匂い──そのどれもが俺を“異世界”へ来たことを改めて実感させる。
石畳を踏み進むうちに、遠くから弦楽器の軽快な音色が聞こえ、派手な衣装を身にまとった楽師が観光客を楽しませていた。雑貨屋の軒先には、水晶や薬草など魔法に使われる素材が並んでいて、見るだけでも飽きない。露店では肉をこんがりと焼く香ばしい匂いが漂い、リリアと視線が合うたび、ぎこちなく微笑み合う。さっきの失言を払拭しようと、俺もなんとなく笑顔を返した。
細い路地に入ると、手作りの人形やガラス細工の店に思わず足を止める。そこでは職人が器用に道具を操り、子供たちは歓声を上げながら見入っていた。広場では移動販売の菓子屋が魔法の炎でキャラメルを焦がす実演をしており、香りだけで幸せになりそうだった。
リリアの案内にまかせて中心街を散策していると、次第に彼女の機嫌もやわらいできたように思える。会話こそ少なめだが、雑貨屋や服飾店をのぞき、屋台の肉串や果物ジュースを味わううちに、休日らしい楽しさを共有できている気がした。
しかし、そんな楽しい時間は突然のトラブルで中断された。ある路地裏で、若い黒髪の女性が複数の男に取り囲まれている場面に出くわしたのだ。
「お嬢ちゃん、こんなところで迷子か? いいからついてきなよ。案内してあげるって」
「俺たちは優しく“教えて”やろうってだけさ」
男の一人がにやりと笑い、女性の手をつかもうとする。彼女は明らかに怯えている様子で、身をすくませていた。
「……嫌な予感がするわ。助けてあげなきゃ」
リリアが素早く杖を握りしめる。だが、こんな人通りの多い場所でいきなり魔法を使うのは危険だ。彼女の魔法が不安定なのは知っているし、周囲を巻き込むかもしれない。俺はリリアの腕を軽くつかんで、まずは止めることにした。
「ちょっと待って。話をして、それでもダメなら力づくで止めよう」
リリアは渋い顔をするが、ひとまず納得してくれたようだ。俺は男たちのほうへ歩み寄り、なるべく冷静な声を作って呼びかける。
「すみません、本国に留学予定の、ノーヴィス家のアイリス様ですよね? ようやくお見かけしました……お嬢様、道に迷われたんですよね?」
でたらめな名前だが、“貴族の関係者”を装えば牽制できるかもしれない。案の定、男たちは訝しげにこちらを睨んできた。
「はあ? なんだお前。こいつ、あんたの知り合いか?」
「いえ、正確には雇われの案内人です。ノーヴィス家に依頼されて、アイリスお嬢様のご案内を任されておりまして。もしお嬢様に何かあれば、騎士団やら衛兵やらが黙っていないんですよ」
ジャケットの襟を軽く正しながら、いかにも“公式”っぽい雰囲気を醸し出す。留学生向けにそういう案内制度があるのかなんて、俺は知らない。
だが「ありそう」と思わせれば十分だ。
「ちっ……変にややこしいのはゴメンだな。おい、行くぞ」
男の一人が舌打ちし、仲間に目配せをする。彼らは女性をちらりと見やり、面倒そうに肩をすくめてから足早に去っていった。大事になる前に引いてくれたのは幸運だった。
「大丈夫ですか?」
俺が声をかけると、女性はまだ震えているのか、小さく身をすくめていた。あんな目に遭ったばかりなら当然だろう。
「ありがとうございます……私、その……何もわからなくて……迷っているうちに、あんな場所へ……」
どうやらパニック状態らしい。落ち着かせるため、大通りのほうへ一緒に戻ることにした。途中まで付き添うと、女性は何度も深々と頭を下げる。
「本当に助かりました。お礼をしたいところですが、今は何も……せめて、お名前だけでも教えていただけませんか?」
「いえ、お気になさらず。俺は後藤っていいます。魔法学園で……まあ、ちょっと仕事をしてる者でして」
「ご、後藤さん……? あ、いえ、ありがとうございます!」
そう言うと、彼女は背中を小さく震わせながら、大通りへと急ぎ足で去っていった。まだ怖さは残っているだろうが、ほんの少し安堵しているようにも見える。
リリアと二人で大通りに出ると、彼女は杖を下ろしたまま小走りで追いつき、俺の横に立った。先ほどの険しい表情は和らぎ、どこかホッとした様子がうかがえる。
「……魔法を使わずに解決するなんて、意外とやるじゃない」
リリアは照れ隠しのように少しそっぽを向きながら言う。俺は肩をすくめて笑ってみせた。
「ただのクレーム対応みたいなもんだよ。相手が話を理解できるタイプで助かった」
そう返すと、リリアはほんの少し微笑んだ。それはいつもの高圧的な態度とは違う、やわらかい表情だった。
「何よ、その顔。……でも、まあ、ちょっとは見直したわ」
「そ、そうか?」
「別に大したことじゃないけど」
リリアは素っ気なく言いつつ、その頬はわずかに赤く染まっている。俺なりに信用を得られたということだろうか。
そんな小さな達成感を胸に、俺たちは人通りの多い大通りへと戻っていく。初めての週末、初めての王都。トラブルもあったけれど──この異世界で迎える休日は、なんだかんだで充実した一日になりそうだ。




