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土曜日の勉強会

 図書館を後にした俺とリリアは、校舎内のフリースペースを探していた。今日は講義は無いので魔法で失敗する心配はないはずだが、やはりリリアの表情にはどこか張り詰めた空気が漂っている。


「リリア、午後はどうする? 俺はどこかで呪文の基礎を勉強したいと思ってるんだけど」


 軽く鞄を肩にかけながら尋ねると、リリアは小さくため息をついてから、

「じゃあ、私もそうする」

と答えた。今は退学の危機を少しでも回避するために、彼女自身も必死なんだろう。教科書通りに呪文を覚えても、なぜか失敗ばかり繰り返してしまう──その原因を突き止めたい思いは、きっと俺よりも強いはずだ。


「ねえねえ、ゴトーさんとリリア、今日も勉強するの?」


 にこやかな声とともに背後からのぞき込んできたのは、クラスメイトのベルだ。活発な雰囲気をまといながらも、どこか気遣いにあふれた眼差しを向けてくる。


「ああ、そんなところ。リリアと二人でカフェかどこか行って、本を読もうと思う。俺はまだ呪文の構文を理解しきれてないしな」


「そっか。それならよかったら、私も一緒に行っていい? リリアもゴトーさんも頑張ってるみたいだし、何かお手伝いできたらって」


 ベルは屈託のない笑みを浮かべながら申し出る。俺とリリアは目を合わせて、すぐに「もちろん」と答えた。昔からリリアを知っているベルが加わってくれたら、きっと雰囲気も柔らかくなるだろう。


 そのまま三人で教室を出る。廊下には土曜日を楽しもうとする生徒たちがあふれていたが、俺たちは寄り道もせず学園敷地内のカフェスペースへ足を向けた。図書館で声をひそめるより、こっちのほうが気軽にお茶を飲みながら話し合える。


 カフェの扉を開くと、空いた席がまだいくつか残っていた。俺たちは隅のほうの四人掛けテーブルに腰を下ろす。ベルが明るい声でドリンクを注文すると、リリアも小さく

「ジュースでいい」

と呟きながらメニューを眺めた。俺はコーヒーを頼み、さっそく鞄から教科書やノートを取り出す。


 まずは、今日の授業で学んだ呪文構文を一通り整理しようとリリアに提案する。リリアはすぐにノートを開き、教師が黒板に書いた詠唱例を引き写したページを指さした。呪文を構成する単語の意味については、俺もだいたい理解している。


「……これは水属性の基本呪文の変形版。120年前くらいに発見された呪文で、まだ魔力が不安定な子供でも習得しやすい呪文として有名なやつ。こっちはさらにその派生版で、詠唱中の魔力の微細なコントロールを必要として……」


 リリアは教科書の内容をよく覚えているようで、淡々と説明を続ける。俺は自習した呪文の基礎知識と照らし合わせながら、その構成を改めて考えてみた。やはり教科書に並んでいる呪文集には共通の単語や一節があるものの、「どのように組み立てたら呪文ができるのか」については、はっきりと記載されていない。


 数学で例えるなら、公式だけがただただ羅列されている状態だ。どうやってその公式が導かれたのか、どう組み合わせて使うのか──そういったプロセスはまるで書かれていない。結局は、「先人が生み出した呪文を、修練によって体得する」としか言いようがないのだ。


「……まあ、どれも私がやると上手くいかないんだけど……」


 リリアはしゅんと肩を落とす。呪文を完璧に覚えて練習を積んでも、実技で思うように結果が出ないのだから、傍から見ても不憫だが、原因はまだはっきりしない。


「ゴトーさんはどう思う? 教科書通りにやってもうまくいかないなら、やっぱり何か別の方法を探すしかないよね」


 ベルが俺の顔を覗き込むように言う。俺はコーヒーに口をつけながら、考えをまとめた。


「うーん……素人考えではあるけど、呪文の構成が気になるんだよな。いろんな呪文を見ていると、どうも同じ処理が重複していたり、ループしていたりするような気がして」


 するとリリアは目を丸くする。授業でそんなことは教わっていないのだろう。


「でも、それならみんなが魔法を失敗するんじゃないの? なんで私だけが上手くいかないのよ」


「そう、そこなんだよ。呪文に無駄があるとしたら、どうしてほかの人たちは上手くいくのか……」


 俺が言うと、リリアは少し下を向いた。その唇が動きかけたが、声は出ない。多分「才能がないから」なんて言おうとしたんだろう。とはいえ、ただ呪文の改変をやみくもに試せばいいわけでもない。魔法の知識を深めて、どこをどう書き換えればいいか理屈を組み立てる必要がある。


***


 呪文についてああでもない、こうでもないと三人で盛り上がっていると、カフェの入り口付近から誰かの気配を感じる。振り向くと、セシルがこちらに目を向けていた。俺たちの会話に興味があるように見えるので、

「おーい、セシル」

と軽く声をかけると、彼女は静かに近づいてきてテーブルの脇に立った。


「呪文について考えていたんだけど、よかったら一緒にどうだ?」


 セシルにそう声をかけると、彼女は

「……じゃあ、少しだけ」

と言って隣の椅子に腰を下ろす。リリアは一瞬むっとした表情を浮かべたが、何も言わずノートに視線を落とした。


「リリア、さっきの話の続き、教えてくれないか? ある呪文から派生して別の呪文を作った人がいたとか……」


 俺がリリアに促すと、彼女は口を開いた。呪文教育の歴史がどう受け継がれてきたか、改変の試みがどう禁じられてきたか、そして一部の高位魔道士が秘密裏に独自の呪文を使っていた可能性など。するとセシルが口をはさむ。


「それは……教科書には載っていない禁則の話。だけど、失敗した研究者のほうが圧倒的に多いのも事実。魔法史に残らない暴走事故もたくさん起こっている」


 二人はあまり多くを語らず、お互いの知識をすり合わせるように情報を整理していく。ベルはそのやりとりに目を輝かせて、

「すごい……聞いたことない話ばっかり」

と感心しきりだ。


「ね、ねえ。二人とも、せっかくなら具体的に基礎呪文を分析してみたら? いわゆる“不要な単語”が本当にあるのか、少しずつチェックしてみるとか」


 ベルがそう提案してくれたので、俺たちは再び教科書を広げ、実際の呪文例を細かくチェックし始める。用語の相関や配置、どの単語が必須でどこがオプションなのかを一行ずつ照合していくのは骨の折れる作業だが、三人がかりなら意外と進む。


「ん……あれ? この呪文、語句は違うけど、フレーズとしては同じ意味の部分が二度出てくるように見えるんだけど……」


 ふと疑問に思い、リリアのノートへ目を寄せる。彼女も同じことに気づいたのか、思わず顔を寄せてきた。すると、不意にリリアと視線が交差してしまう。お互い意識していなかったが、顔がかなり近い。


「……あ……」


 あまりの近さに息が詰まる。リリアの瞳がこちらを見て、ほんの一瞬だけ弾かれたように目をそらした。俺も慌てて体を引こうとして、ひじをテーブルにぶつけてしまう。


「い、痛っ……! わ、悪い、ちょっと近すぎたな」


「バ、バカじゃないの……変なこと気にしないでよ!」


 リリアは頬を赤くしてそっぽを向く。その様子を目撃したベルは目を丸くし、すぐにクスクスと笑い声を漏らした。


「もしかして私の知らない間に、二人って仲良くなったの?」


「ち、ちがうわよ! ちょっとはこいつの話を聞こうって思っただけ!」


 リリアが慌てて否定すると、ベルはますます愉快そうだ。セシルは興味がないのか、それとも気まずい空気を読んだのか、黙々とノートを見つめながらページをめくっている。


***


 やがてカフェの照明が少し暗くなり始め、夕暮れの訪れを感じる頃合いになった。ほかの生徒もちらほら帰り始めている。俺たちは一旦切り上げることにする。


 寮へ戻る道すがら、セシルは「じゃあ」とだけ言うと、自室へ戻っていった。一方のベルはリリアを気にかけているようで、ふと肩に手を置いて声をかける。


「リリア、あんまり無理はしないでね。勉強、また手伝うから」


「うん。ありがとう、ベル」


 そう言ってベルは俺たちと別の寮棟へ向かった。俺とリリアは軽く手を振り返し、そのまま二人で同じ方向へ歩き出す。


 リリアと並んで寮の門をくぐると、少し肌寒い風が吹き抜けた。ふと横顔を盗み見ると、リリアはわずかに眉をひそめているようだが、昨日よりはだいぶ気が楽になっているようにも見える。


「なあ、リリア」


 俺は立ち止まり、改めてリリアに目を向ける。彼女も不思議そうに足を止めた。


「……良い友達を持ったな」


 そう言うと、リリアは少し驚いたように瞬きをして、それから目を伏せる。夕焼けに照らされて、その頬がかすかに赤く染まったように見えた。


「……うん。そうかもね」


 リリアの返事は小さく、けれどはっきりと肯定の意を含んでいる。これまで何かとぶっきらぼうだった彼女の口からそんな言葉が出たことに、俺は少しだけ安堵した。


 まるで俺が現実世界でバグ対応していたときに、同僚が何人も助けてくれたことを思い出す。あのときは大変だったが、仲間との絆を強く感じた瞬間でもあったな……。


 いや、全然いい話じゃないんだけど。炎上してたし。


 ――そんな波乱万丈の魔法学園生活だが、何とかなるような気がした。

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