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図書館での自習

 土曜日の朝、いつもより早く目が覚めた。日が昇りきらないうちに寮を抜け出し、学園の大図書館へ向かう。昨日の夜、限界ギリギリまで魔法を試していたリリアの姿がどうしても頭から離れない。あれだけ必死になっている彼女を支えたい──でも、そのために必要な知識は俺にはまるでなかった。

 ならばいっそ、一から魔法の基礎を学び直すしかないだろう。こうして朝早くから図書館にこもるのは、あくまでその第一歩だ。


 まだ開館したばかりの図書館は、休日だからか、椅子も机もがらんとしている。なかば手探りで棚を漁り、「呪文単語集」「水属性の基礎理論」「魔力制御入門」など、タイトルだけでも頭が痛くなりそうな本を次々に見つけていく。気づけば腕いっぱいに抱え込んでいた。厚さも半端じゃない。


 「これを全部読むのか……気が遠くなるな」


 苦笑しながら机へ積み上げる。魔法文字が普通の文章とまったく違うことはリリアの教科書を見て知っていたが、やはり改めて見ると謎ばかりだ。会話の言語は日本語なのに、文字は日本語と似ても似つかない記号で構成されている。おまけに“呪文”にだけは専用の文字があって、一文字が一単語扱いらしい。いっそプログラム言語に近いんじゃないかとさえ思う。


 とはいえ、全く理解できないわけではない。文字と発音のセットさえ覚えてしまえば、日本語やプログラミング言語と同じように読解ができそうだ。……さすがは夢の世界といったところだろうか、俺に都合の良いように世界ができているように感じる。


 苦笑いしながら本を開き、ざっと目を通し始める。彼女が失敗を繰り返す理由が掴めたら、あるいは俺の“改変”が成功した理由もわかるかもしれない。なにしろ、俺自身どうしてあれがうまくいったのか、明確には分かっていないのだ。


「……勉強?」


 そんなふうに集中していたとき、不意に声がして顔を上げる。

 そこに立っていたのは、紺色のショートヘアに金色の瞳が印象的な少女、セシル。いつも丸眼鏡をかけていて、そして学園でトップクラスの成績を誇る優等生でもある。


「……セシルか。朝からここに来るんだな」

「日課。魔法の勉強をしてるの?」


 いつも無表情気味で淡々と話すセシルだが、今日は少しだけ興味を示しているようだ。彼女は俺の机に積まれた書物へ視線を移す。


「ああ。俺は“魔法”の何たるかを知らないし、基礎から学んでおかないとリリアを救うことなんてできないと思ってさ」


 率直に答えると、セシルは「そう」と小さく呟き、近くの椅子に腰を下ろす。視線は穏やかだが、その瞳の奥にはどこか探究心のようなものを感じる。


「リリアのこと、いろいろ大変」


「……あいつ、今は学園で一番追い詰められてるだろ。退学の話も現実味を帯びてる。だからこそ、俺に何かできることはないかって思うんだ」


 セシルは小さく首を傾げ、低く静かな口調を落とす。


「でも、呪文の改変は危険。過去に多くの失敗例がある。魔法が暴走して自我を失った人もいる」


 短い言葉にこめられた情報量は重い。彼女は目を伏せるようにしてさらに言葉を継いだ。


「今の魔法教育は、教科書通りの呪文を正確に使いこなすことが基本方針」


「改変は禁止なのか?」


「改変はごく一部の天才か、命知らずしかやらない。暴走すればリリアみたいに失敗を重ねて……もっと深刻な状態になるかもしれない」


「……まあ、そうだよな。教科書から逸脱して成功する人なんて滅多にいないだろうし」


「でも、ゴトーは成功したの? リリアの呪文改変」


 その言葉に思わず肩がこわばる。俺とリリアが行った“独自の呪文書き換え”は、確かに何度か成果をもたらした。ほぼ素人の俺が無我夢中で書き足したり、削ったりしていたら、たまたま魔法が成功しただけかもしれないが──


「ああ。偶然かもしれないけど、一度きりじゃない。改変したら、リリアの魔法は妙に安定した。それでも危険は否定できないけど」


 セシルは微かに息をつく。無表情に見えるが、その瞳はどこか興味で揺れているようだ。


「興味ある。どうやって呪文を改変してるのか。でも……気をつけて。リリアの暴走は見たくない」


 それが彼女なりの忠告であり、同時に期待も込められているのだろう。セシルはリリアを見下しているわけじゃないと、俺には思える。

 むしろあまりに噛み合わない二人だからこそ、成績トップと最低クラスの差が際立っているだけなんだろう。彼女はリリアの努力を認めているし、呪文の改変にも興味がある──でも、危険は冒してほしくない。そのジレンマが、言葉少なな口調の端々から感じられた。


「わかった。無茶はしたくないし、暴走のリスクはできるだけ回避したい。それに、万が一リリアがまた倒れたら、俺も……」


 そこまで言いかけたとき、図書館の扉が大きく開く気配がして、思わずそちらに目をやる。

 入ってきたのは、まさしくリリア本人だった。朝の光を背に受けて、少し眠そうな目をしている。

 けれど、昨日とは違って歩く足取りに余裕があるように見えた。


「……ゴトー、それにセシル……何してんの?」


 リリアは俺の隣に座るセシルの姿を見つけ、ぴたりと足を止める。とたんに難しい顔つきになった。俺とセシルが話し込んでいるのが気に入らないらしい。明らかにむすっとした態度で、こちらを睨んでくる。


「ああ、魔法の勉強しに来ただけだ。セシルも本を読みに来てたってわけで……」


「ふうん。楽しそうに話しこんでるみたいだけど。へえ、そっか……」


 表面的には冷ややかな声だが、その裏には微妙な嫉妬心が透けて見える。リリアにこういうリアクションをされるのは初めてだ。もしかして、ちょっとは俺のことを気にかけてくれているのかもしれない……そう思うと、複雑な気分になる。


「私の興味は、呪文の改変にある。ゴトーがどう改変したのか、気になって」


 セシルは淡々と言う。リリアはそれを聞いてますます顔を曇らせた。成績優秀なセシルと俺が親しげにしているのが、どうにも面白くないようだ。


 セシルはリリアを気にせず、俺が書き込んでいたノートに手を伸ばしてページをめくる。呪文の改変部を探しているらしいが、徐々に小柄な彼女の身体が俺の懐に入り込み、なんだか妙に距離が近い。


「……ね、ねえちょっと! あんたたち、なんでそんなに仲が良さそうなのよ!」


 リリアが少し声を荒げてつぶやく。その頬はうっすら赤い。セシルが黙っているせいもあって、俺たちがいい雰囲気みたいに見えてしまうのだろうか。


「……ちょっと、あなたたち」


 不意に低い声が聞こえた。振り向くと、厳しい表情の司書の先生が仁王立ちになっている。俺とリリアとセシルをまとめて睨みつけるようにして、さらに続けた。


「図書館ではお静かに。休日だからって、はしゃいじゃダメだよ」

「す、すみません……」


 反射的に頭を下げる。横を見ると、リリアもセシルもしかめ面をしてはいるが、一応黙っていた。その沈黙がかえって先生を怒らせたのか、「今日はもう出て行きなさい」と言われてしまう。仕方なく俺たちは荷物をまとめ、あっさり退散するはめになった。


***


 図書館を追い出された廊下に出ると、リリアは舌打ちまじりに大きな息をつく。


「もう……朝から災難じゃない。ゴトーがセシルと話すからよ」


「おいおい、俺のせいかよ。自分だって大声出してただろ」


「だって、あんたとセシルが……いや、別にどうでもいいけど!」


 そう言いながら、しきりに目を逸らすリリアの横顔は、わかりやすいくらい不機嫌そうだ。だけどその不機嫌さは、どこか拗ねている子どものようにも見える。


 セシルは余計なフォローはせず、「……じゃあ、また」とだけ呟いて、静かに歩き去っていった。

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