46.成果と無形
それなのに、ラウレンツ様は手を顎に持っていき、そのまま肘をついただけだった。眉根を寄せ、難題を考え込むような表情にまで変わった。
「……いや……何、というものは特にないが……」
「何でですか!?」
何もない? 私がラウレンツ様の役に立つ“何”かはない!? 前のめりになっても、それでもラウレンツ様は表情を変えなかった。
「……俺が君に契約妃になってもらいたいと思ったのは、仕事の役に立つからだった。しかし、今君に契約妃を続けていてもらいたいと思うのは……。……役立つ施策や、俺にない視点をくれるのはもちろんありがたい。ただ、それは君が君でいてくれればそれでいいだけの話というか……」
言葉を紡ぎながら自身の考えも整理しているかのように、ゆっくりとした喋り方だった。そこには、トン、トン、と指が机を叩く音も混ざる。ラウレンツ様が考え事をしているときの癖だ。
その考えの答えは、出ないらしい。指は動き続けている。
「……では、何がなくなったら君らしくないのかと言われると、それも分からない。君がまるで頓珍漢な提案をしたとしても、俺にとってのロザリアは変わらない」
「……私が私でいるだけで役に立つということですか?」
「……役に立つ、なんて言うから、俺の中で納得がいかないのかもな」
その指が止まった。同時に、眉間の皺も取れ、伏せられていた目蓋がもう一度持ち上がった。
「別に、役に立たなくても――目に見える成果や能力のような形で、俺に何かをくれなくていいんだ。確かに雇った理由は、まさしく君の能力や経験という、形を期待できるものだった。それを発揮してくれるのは嬉しい。でも、今は……例えば、君が契約妃を辞めたいと言うのなら、それでもいいけれど、でも傍にいてほしいと思うよ」
傍にいたいのは、私も同じだ。いつかラウレンツ様が正式な皇子妃を娶る日がきても、何らかの形で傍に置いてくれたらいいと思っている。それをラウレンツ様も望んでくれているのは、嬉しい。
「……私も同じです」
嬉しいけれど、でも、だからこそ、もっとこの人に返したいと思う。神獣の守護を受ける者として役に立たねば意味がなかった、そんな私に、役に立たなくてもいいと言ってくれる人にとってこそ、役に立つ存在でありたい。少しでも意味のある存在になりたい。膝の上で拳を握りしめた。
「……だからこそ、ラウレンツ様の役に……形のある成果でないのだとしても、ラウレンツ様を少しでも支えたいと思います」
ラウレンツ様は、少し困ったように見えた。どうすれば理解してもらえるかと思案しているというよりは、こればかりは仕方がないと感じたような困り顔だった。
でも、その仕方のなさの原因を、ラウレンツ様は口にしなかった。次いで浮かんだ微笑には、困り顔が残っていた。
「それなら尚更、君は変わらないでくれ。今のままのロザリアが、俺にとっては大事な支えだから」
私は、ラウレンツ様のことを何も知らないのに? その思考の深さにも速さにも全く追いつくことができないのに? そう畳みかけたかった。でも、気にしなくていいよと言われて終わる気がして、訊けない。
その惑いが伝わったのだろう。ラウレンツ様は、続けて何かを話すべきか、逡巡しているように見えた。
「……変わらないで、傍にいてくれればいい。……俺が何かを仕損じたり、失策を講じてしまったとしても……叱責するのは構わないんだ。でも、離れていかないでほしい」
そしてようやく聞くことのできた本音が、想像もしてなかったことで、声が出なかった。
この人が、仕損じるとか失策を講じるとか、殊、仕事に対して不安を感じることなどないと、どこかで思っていた。だってやることなすこと、私の予想の範疇を越えていて、いつだって私は後追いで頷くばかりだった。
でも考えてみれば当たり前だ。ラウレンツ様だって、私とたった三つかそこらしか年が変わらないのに、この帝国を背負って、不安がないはずないのだ。“ラウレンツ様の契約妃でなかったら、自分とは違う人間みたいに見えていただろう”なんて、まさしく私は、心のどこかで、自分とは違う人間だと思っていたのだ。ラウレンツ様にだって悩みも心配もあるのに、ラウレンツ様はやっぱりすごいから、とどこか突き放すような気持ちを持っていたのだ。
……夜、眠らないのは、眠れないのは、毎日膨大な仕事に追われる中で、仕損じていることがないか、怖くなるから、じゃないかしら。
ラウレンツ様だって、私と同じだ。まだ私が雇われて間もない頃、ラウレンツ様は、自分が帝国皇子じゃなかったことはないと言った。この人は誰の前でも帝国皇子でなければならない。この帝国にとって役立つ皇子であり続けなければならない、そうでなければ今いる臣下が――ルヴァリエ様もナハト辺境伯も、ノイマン公爵も、誰もが自分から離れ、敵に回るかもしれないと、私とは比べものにならない重圧を、その肩に載せている。
なんて寂しいのだろう。帝国皇子だから、この人は一人で何でも背負わなければならないのに。帝国皇子でなくなったら、結局一人になってしまう。
さっき、私がラウレンツ様の役に立ちたいと言いかけたとき、仕方がなさそうな困り顔をされたのは、「役に立たねば不要」というのが、ラウレンツ様にも理解できることだったからだ。やっと、そう理解した。
私のほうこそ、知らず、ラウレンツ様の傷を抉ってしまったのかもしれない。申し訳なく思うと同時に、自分のことばかり考えていたことに気付いて恥ずかしくもなった。
「……帝国皇子の立場を失うことになっても、というのは、求めすぎだね」
「そんなことありません!」
その恥じ入りを勘違いさせてしまったらしい。食らいつくような返事をすると、ラウレンツ様は目を見開き、そのまま何度か瞬きをした。
「そんなこと、ありません」
何も驚くことなんかじゃない。ラウレンツ様が帝国皇子の立場を追われることになったら、そしたら今度は私がラウレンツ様を助ける番だ。衣食住を失ったとき、ラウレンツ様が私を雇ってくれたように。ただそれだけの話だ。
「私はほかでもない、ラウレンツ様の契約妃です。私はラウレンツ様が不要と言うまでラウレンツ様の妃です。何度でも申し上げます、私は末永く、ラウレンツ様と共にいます。お一人になんてさせません」
胸に手を当て、誓うような仕草を取った。その場凌ぎで口走っているわけではない。今の話を聞いて一層、私はこの人の傍にいたいと思った。その意味では誓っているのと同じだ。
ラウレンツ様は、嬉しそうな顔なんてしなかった。ただ疲れたように、指で額を支える。ああ、馬鹿なことを口走ってしまったなと、自嘲するような笑みを浮かべただけだった。
「……ありがとう、ロザリア」




