47.帝国皇子と伯爵令息②
ロザリア様を勝手に連れ出したことについて、帝国皇子からお呼び出しを受けた。そうなるだろうとは踏んでいたものの、いざ執務室に足を踏み入れると、この口から誠心誠意の謝罪が零れそうになった。息遣いすら聞こえないほどの沈黙に満ちた部屋は、さすがの俺でも勘弁願いたいほどに息苦しかった。
帝国皇子は執務机から腰を上げなかった。そして俺に腰を下ろすことも許さなかった。顔だけ上げ、視線を寄越しながら、小さく口を開いた。
「俺に話を通すべき場面は弁えているな?」
分からないとは言わせない。見逃してやるのは今回だけだ。次にやれば謀反と見做す。そうとなればモルグット家は終わりだと思え。――言葉にされずとも、そう告げられているのは理解した。
さすがにやり過ぎた。返事をしようとし、声が上擦りそうになったのを感じ、慌てて咳払いを挟んだ。
「……もちろんでございます。大変、失礼いたしました」
「君はなぜロザリアをヴィオラに会わせようと考えた?」
言葉尻に被せるような早口だった。答えを間違えれば斬られてしまいかねない、と言っても過言でないに違いない。しかし――この俺としたことが――正答が思いつかない。結局、これは真正直に答えるしかあるまいと判断し、もう一度咳払いをした。
「……ロザリア様は、幼い頃から王子妃教育を受けさせられておりましたが、エーデンタール国の王子妃教育には不足がございました」
「具体的には」
「国を統治する存在としての王、というものを考える契機は、意図的に与えられていなかったように思います」
帝国皇子は、無言で続きを促した。首の皮一枚繋がったらしい。ふう、と鼻から息を吐き出す。
「……クラウヴァルト家にとって、王家中枢は愚かであればあるほど都合がいい。クラウヴァルト家は、アラリック王子とロザリア様を教育する役目を負うことで、自らの謀反を成功させる最大の礎としたのです。現王子がその成功例です」
確固たる証拠はない。俺が知っているのは、アラリック王子とロザリア様の教育係は、クラウヴァルト家の血縁やその紹介だったということだけだ。
ただ、あれほど長きに渡り謀反をの意図を隠していたクラウヴァルト家のことだ。間違いなく、教育の差配にも隠れた意志があったはず。そう考えて振り返ってみると、ロザリア様の不足に気付いた。
「もちろん、政治や歴史に関しては一切教えずにおく、などという分かりやすい真似はしていないはずです。知識は与える。それを記憶するようにも求める。でもそれだけです。アラリック王子は知っているだけで考えたことがない。きっと、謀反の時を見越して、クラウヴァルト家によってそう育てられたのでしょう」
自らが学び、決定したことが、逆にこれから国の歴史になっていき、後世で学ばれていくのだということを、アラリック王子は理解していない。だから目の前のことに場当たり的に対処する。国がどうあるべきかを考えない。
同情できなくもなかった。なにせまともな教育係がついていなかったのだ。環境に恵まれていなかった、と一言で済ませるつもりはないが、クラウヴァルト家が仕向けたことである以上、そこには根深い罠があったと推測させる。
ただそれでも、ロザリア様は物を考える。だから、同情しきることはできない。
「それはおそらくロザリア様も同じです。ただ、ロザリア様は――身の上の問題かもしれませんが、無償の善意のようなものをあまり信じていない。物事は常に対価関係があると、無意識に考えているように思います」
帝国皇子も心当たりがあるのだろう。僅かに眉を上げた。
ロザリア様は、もともと、神獣の加護と引き換えに王城へ召し上げられた平民だ。召し上げられる前は飢えもしただろう。家族に虐げられもしたかもしれない。それから救い上げられたと思ったら、代わりに神獣の加護を求められる。加護が十分に発揮できなければ役立たずと言われる。役に立たねば居場所はない。それはアラリック王子との大きな違いだった。
「その無意識があるから、ロザリア様はクラウヴァルト家を疑うくらいには、物を考えながら見る癖はついているように思います。ただ、本物の王や王子を見てきた経験がなく、そればかりは如何ともしがたい欠点だと思いました」
ロザリア様は、仕事はできる。有能だ。その評価を変えたことはない。ただロザリア様は、統治者の伴侶という立場を十分に理解できていない。それはエーデンタール国が、ロザリア様を道具か召使いのように扱った結果でもあった。
もちろん、この帝国皇子がロザリア様に何を求めるかは知らない。しかし、帝国皇子妃という地位を考えると、俺には致命的に思えた。その責務は、エーデンタール国という小国の王子妃とは比べものにならない。エーデンタール国の王子妃程度であれば、付け焼刃で誤魔化せていっただろう。しかし帝国の政争は苛烈を極め、謀略は深淵より深いかもしれない。そうなったとき、今のロザリア様では、上手く立ち回れないかもしれない。
「そう考えたとき……ヴィオラ・フォン・クラウヴァルトは非常にちょうどいい存在でした。幼い頃から、玉座を奪う野心に燃える父親のもと、長年に渡って王子を籠絡する役目を負い、一族内では、将来は王女と目されていた……少なくとも、アラリック王子よりは本物でしょう?」
「いい刺激を与えてくれると?」
「今の御立場における一助となればと」
さて、俺の行動は帝国皇子のお気に召したか?
帝国皇子はすぐには返事をしなかった。しかしそう悩んだ素振りもみせなかった。ややあって、そうか、と納得した返事をした。
「意図は理解した」
「……左様で」
「ただし、弁えろ」
勝手に連れ出したことだけは許さん、と。そればかりは言い訳が全く思いつかなかった。なにせ、帝国皇子がロザリア様に求めることが分からなかったのだ。ないとは思うが、帝国皇子が呑気なロザリア様を望むのであれば、余計なことをと一蹴されただろう。
ロザリア様は、帝国皇子妃として未熟だ。それで帝国皇子妃を辞めるのであればいいと思う。ただ、その生立ちに照らして、公平妥当ではない。ロザリア様が、他人が勝手に掘った穴に落ちて、そこに手を差し伸べたいなど、そんな風には思わない。
なんてことも、帝国皇子には言えまい。頭を下げて返事をした。
「もちろんでございます。……ところで、ロザリア様ご不在ついでに、一つお訊ねしても?」
「構わないが」
「ヴィオラ・フォン・クラウヴァルトをオストリン・ノイに匿って、ロザリア様に嫌われるとは考えないのです?」
なにせ王城でロザリア様を追い出すために何でもしていた主犯格だ。例えばアラリック王子がこの帝国皇子の立場であれば、決して今回のような決断はしないはずだ。いくら政治の役に立つとしても、自分の妃を虐げていた相手だ。そんな相手をわざわざ自国に引き入れ、牢獄から逃がしてやるなど、耐えられるはずもない。そしてもちろん、それをロザリア様が良く思うはずもない。
「考えるとも」
しかし、帝国皇子は事もなげに頷いた。
「もちろん、ロザリアはそう狭量ではない。だとして気分は良くないだろう。内密に進めていたことも含め、悪いとは思っている」
であればなぜ、ロザリア様に断りを入れなかったのですか? そうは訊ねずにおいた。
そんなの、帝国皇子にとっては、一人の妃よりも帝国のほうが大事だからに決まっている。しかしそんなことを答えさせるのは、さすがに意地が悪い気がした。
この帝国皇子だって、ロザリア様を大事には思っているのだ。それはこの怒りようを見るだけでも分かる。ただそれ以上に、立場に対する責任感が強すぎる。私情にかまけて政治を放り出すなど、たとえこのような閉じられた空間のたった一言でも、この皇子にはできないのだ。
帝国皇子は、そのまま静かに立ち上がった。そこに他意はなく、時間が来たから話を切り上げただけのような、ごく自然な動作だった。
「『月光の間』へ向かうか。ロザリアもすぐに来るはずだ」
「……ええ、承知しました」
アラリック王子を見ていると笑えたが、この帝国皇子を見ていると笑えない。
立場というのは難儀なものだと、少々同情してしまう自分がいた。




