44.役目と出来
モンドブルク宮殿に着く頃には、道中の噂で、ブリュイ商会とベルシュラム商会がエーデンタール国相手に一気に間口を広げたことを聞いた。その間口の中心はもちろん穀物で、エーデンタール国は瀕死の状態からようやく息を吹き返したような、そんな心地でいるだろう。ニコラウスはそんな感想を漏らした。
それを私は、どこか呆けた気持ちで聞いていた。馬車の中で揺られながら、もうすぐ宮殿という時分に、ニコラウスが再びその話題を口にする。
「ラウレンツ殿下の交渉は無事に成功したようですねえ。これでエーデンタール国はしばらく帝国に頭が上がらないでしょう」
「……経済的に大きな得をしつつ、エーデンタール国には貸しも作る……さすがですね、ラウレンツ様は」
呟きながら、それが自分の声でないような心地に襲われた。
今までなら、ラウレンツ様ってすごいわ、で終わっていた。でもヴィオラ様と話して以来、それだけでは足りない気がしている。
ラウレンツ様はそうして、帝国を建て直す礎を次々と作っている。ただもとに戻すだけではない。帝国の未来を見据えて新たな土台作りをしていて、きっとこれからもそうしていくだろう。その隣で私は何ができるのだろうか。
ただ目の前に積み上がる仕事をするだけでは、何も変わらない。私だって分かっていたつもりだ、国にとって停滞は滅亡だと。でも私にできていることは、せいぜい現状維持と原状回復だけ……。
それは、帝国皇子妃として充分なのだろうか――ラウレンツ様にとって、ずっと役立つ人間だろうか。考えると、まるで冷や水でも浴びせられたように背筋が震えた。
馬車は、私が最初にやってきたのと同じ道順でモンドブルク宮殿に到着する。ラウレンツ様の迎えはなかった。代わりにルヴァリエ様が、いつぞやのドゥルンバルト城のように、ぽつんと立ち尽くしていた。茜色の光がその頭のてっぺんを照らしている。
ルヴァリエ様は、私達が近づくと、また前髪の中に隠れた目を向けた。
「……どうも、ご苦労様でした。ラウレンツ様から伺っております」
「ありがとうございます。その殿下は? 首尾を報告する必要があると認識しておりますが」
「ニコラウス様は後日改めて『月光の間』に来るようにとのことでした。ロザリア様も、今日は自室でゆっくりとお休みになるようにと」
「おや、帝国皇子は存外お優しい」
そういうことでしたら私はこれで、とニコラウスはあっさりと辞去を決め込んだ。私とヴァレンは顔を見合わせ、もう一度ルヴァリエ様を見る。でもルヴァリエ様は、それ以上は聞いていないらしく、「あ、別に執務室に寄るようにとかも言われてないんで、大丈夫です」と斜め上の補足をしただけだ。
出迎えるほど暇じゃないのは、誰よりも私が知っている。でもなんとなく寂しい気持ちになりながら、ヴァレンと一緒にまっすぐ、自室まで歩いた。
長い間不在にしていたのに、部屋は相変わらず隙なく綺麗に整えられていた。ただ、懐かしいとさえ感じる匂いには、安堵よりも不安を感じた。モンドブルク宮殿にやって来て、まだそう月日は経っていない。それでも、エーデンタール王城よりもよっぽどなじみ深く思う。だからこそ、ここを出て行くことになったらどうしよう、なんて不安を抱えてしまう。
「まったく、息が詰まるかと思った」
台詞のとおり、大きく息を吐きだしながら、ヴァレンは私よりも早くソファに飛び乗った。そこでお尻をあげて精一杯背中を伸ばしながら欠伸もした。
「途中からとんでもないことになったものだ。あの栗毛令息との旅など、二度とごめんだな」
「……ニコラウスの前では喋らないの?」
「武器というのは隠せるならばそうするにこしたことはないのだ。そのうち不便さが勝るかもしれんがな」
「……そう」
「なんだ、元気がないじゃないか」
私がベッドに座ると、ヴァレンはソファから飛び降りる。ベッドには上らず、前足と顎だけベッドに乗せてきた。頭を撫でてほしいのかと思って手を伸ばしたけれど、ヴァレンは耳を動かさず、代わりに口だけ動かした。
「赤毛もゆっくりしろと話していたしな。今日はもう休め」
「……そうねえ」
試しに背中をベッドに預けてみたけれど、目は爛々としていた。体の疲労がじんわりとベッドに流れていくような心地よさは感じるけれど、でも頭の力が抜けない。原因は多分、ヴィオラ様との会話が記憶に鮮明過ぎるからだ。
『だから貴女は王子妃として不出来だったのです』
私はラウレンツ様の皇子妃でいて、どうしていきたいんだろう。もともと契約妃だから、ずっとラウレンツ様の妃でいるわけじゃないのは分かってる。でも、私はもっとずっとラウレンツ様の近くにいたい。
それなのに、私は帝国皇子妃としても不出来かもしれない。そんな私は、これからもラウレンツ様にとって必要な人でいられるのだろうか。
もしかすると、既に必要ではないのだろうか。ニコラウスが私を連れ出したとき、ラウレンツ様は私を探す素振りもみせなかったのだろうし……。ヴァレンも何も言わないし……。
そんなことを考えていた矢先だった。扉をノックされて慌てて起き上がると、同じく慌てたような声が聞こえた。
「ロザリア、戻ったと聞いたが、いるか?」
もしかして、お仕事。しかも緊急。役に立たねばと飛び出す勢いで扉に突進して開けた――ら、勢いに驚いたラウレンツ様はいた。でも両手は空だった。なんなら上着すら着ていない。
一体何をしに来たんだろう……。じろ、じろ、とその頭から爪先までを不躾に観察してしまっていると、不意に体が動いた。私の体だ。ぐんと、まるで何かに引っ張られるように急に動いたし、ラウレンツ様にぶつかった。
抱きしめられたのだ。
……は、恥ずかしい……! 気が付くと同時に顔が真っ赤に染まるのを感じた。ドッドッと妙な音も聞こえると思ったら自分の胸の音だった。ラウレンツ様にも聞こえてしまっているのだろうか。だとしたら早急に収まってほしい。どうすればいいのだろう。いや、その前にこの状況は一体……!
「……無事に帰ってきてくれてよかった」
その混乱が一気に収束した。
一瞬で熱くなった目から、ゆっくりと涙が流れ始める。
不安はたくさんあった。でもラウレンツ様が待っててくれたことが分かれば、今は充分だった。
悲しいのか嬉しいのか、自分でもよく分からないまま、ラウレンツ様の服の裾を不格好に掴んで、頷いた。
「はい。帰って参りました」
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