39.秘密と忠誠
モルグッド家での扱いは大層丁重だった。それはもう、貴族令嬢が良家に嫁ぐのはこういうことなのかと思うほど。
私には客人用の一室が与えられ、しかもそこには滞在中のドレスまで用意された。専属の侍女までついたし、ドレスは既製品ばかりで申し訳ありませんと頭を下げられた。謝ってほしいのはそこじゃない、と言いたかった。
モルグッド伯爵にも挨拶した。というか同じ食事の席に着いた。モルグッド伯爵は私の顔を知っているけれど、でも何も言わなかった。私が名乗って初めて「ロザリア様」と呼んだくらいだ。
そのモルグッド伯爵との会話は、ほんの挨拶程度だった。モルグッド伯爵は、その髪の色と癖以外全くニコラウスに似ていない。いかにも真面目で厳格そうで、凛々しく太い眉を寄せていた。
「どうせ愚息が無理を申したのでしょう。お付き合いいただき感謝いたします」
「……いえ、お気になさらず」
無理どころか何も聞いていません。むしろ無理の内容を聞かせてください。そう言いたかったけれど、でも帝国皇子妃が何も知らないで拉致されたなんて知れたら、いくらモルグッド伯爵相手とはいえ大ごとだ。ひきつった笑みで、色んな言葉を食事と一緒に呑み込むしかなかった。
そうして、朝から晩までただぼんやりと過ごす羽目になった。自分で何かしようにも他人の家では勝手が分からない、というか勝手にしてはいけないし、そんなことを考える前に滞在中にお世話してくれる侍女までつけられてしまったし。モンドブルク宮殿と同じように傅かれ、ただ、することは何もなく、暇を持て余して本を借りて読んでみるか、お庭を散歩してみるか、はたまたお茶でも飲んでみるかと、そのくらいしかなかった。
ニコラウス側に害意がないと分かっているお陰で、最初の一日は、オストリン・ノイでの疲れを癒すいい時間になった。が、目的が分からないまま二日も三日も留め置かれるとなれば話は別だ。
抗議すべくニコラウスを訪ねると、ニコラウスは庭先で優雅に紅茶を嗜んでいた。
「おやロザリア様、本日はご一緒なさいます?」
「結構です。あのですねニコラウス、なぜ私がここにいるのか、いい加減に教えていただけますか?」
眦を吊り上げ、こっちはしびれを切らしているのだと伝える。でもニコラウスは意にも介さずカップを口に運ぶだけだ。
「大体、私だって暇ではないのですよ? 確かにラウレンツ様とアラリック王子との会談に出席の予定はありません、が! ラウレンツ様がご不在にしているモンドブルク宮殿へ戻ってご不在中の仕事を差配するのも私の役目。ただぼんやり寝起きして故郷の味に舌鼓を打っている場合ではないのです!」
「まあまあ、いいではありませんか。その会談のご予定は、確か今日でしょう? もうすぐ動きがあるはずですよ」
……会談と私がどう関係するというのだろう。もちろん、私の身柄に関する問題ではある。ただそれについては、ラウレンツ様から手出しをしないでくれと言われているのだ。
屋敷に着いてからのニコラウスだってそうだ。特別何をするでもない。侍女達に言わせても、ただいつも通りに過ごしているとのことだ。ニコラウスのお兄様にもお会いしたけれど、彼はニコラウスを捕まえて「また何もせずにふらふらと」と叱っていた。ニコラウスは本当に何もしていない。
……何もしていないのではなく、今は何もすることがない? ……何かを待っている?
「……会談の結果次第で、貴方は動きを変えるつもりですか?」
「まさか」
まだ疑われているのか、と心外そうな声で笑われた。
「私のすべきことは決まっています。ただ、まだ少し時間がかかりますので、焦らずにいるだけです」
「であれば私を返してもらえます? ラウレンツ様に断りがないのであれば手紙の一つくらい出したいところです」
が、アラリック王子との会談へ向かうラウレンツ様に手紙を届けるのは至難の技だ。ドゥルンヴァルト城へ届ければ手元には確実に届くだろうけれど、同じ場所にやってくるエーデンタール国に見つかって変に勘繰られたくない。
ヴァレンがいてくれればまた話は別だったけれど、ヴァレンもどこで何をしているやら……。私がいなくてヴァレンは寂しくないかしら……。
そんな深い溜息をついたとき、庭の隅で葉の揺れる音がした。猫にしては随分大きいような、と注視していると、ひょこっと、銀色の顔が現れた。
「ヴァレン!」
あちこちの草木に塗れて野良犬のようになってしまっているけれど、そんなことで見間違えるはずがない。慌てて芝生に降りると、低木の中から全身が飛び出て、そのまま私の足元へ突進してきた。その頭を胸の中で受け止めると葉が顔に当たって痛かった。
「ヴァレン、追いかけてきてくれたのね! いい子! どこにも怪我はない? オストリン・オイから一人で走ってきたの? ご飯は? 喉は渇いてる? ラウレンツ様はご無事かしら?」
そのどれもに答えず、クゥンクゥン、とわざとらしく鳴きながら、ヴァレンは頭を擦りつけてくる。そうよね、心配かけちゃったものね。安堵で少し目尻が熱くなってしまうのを感じながらその頭を撫で、目についた葉を取ってやる。
「匂いを追いかけてきたの? 大変だったでしょう」
「さすが、神獣は違いますね。忠誠心が強いというより、まるで人のように賢い」
頭を擦りつけていたヴァレンは、その言葉を聞くとニコラウスを睨みつける。呻りながら牙を見せたけれど、でもニコラウスはどこ吹く風だ。
「いいですよ、ヴァレンがいても。私としても連れて行くのが大変だったのでロザリア様だけ連れて来たわけですし」
「その前にヴァレンにもきちんと謝ってください。心配をかけましたし、苦労もさせたんですよ」
「これは失礼しました。体を洗うなら手配しましょう」
ヴァレンは無視した。その場でくるくると回り、ぺたんと私の足元に座り込む。さすがに疲れたぞ、とでも言いたげだ。
「ごめんね、ヴァレン。でもよかったわ、来てくれて」
「しかし、ヴァレンの食事はどうすればいいのです。同じものを用意するわけにはいかないと思うのですが」
「貴方さえ出入りを許してくれるのであれば、ヴァレンは好きにすると思います」
ラウレンツ様にも最初に聞かれたことだ。ニコラウスは「そういうことであれば、門番に話はつけておきましょう」と頷いた。
「しかし、庭のどこから入ってきたんでしょうね。警備を見直したほうがいいかもしれません」
「きっとヴァレンのことだから手薄なところを見つけたのね。……でも、屋敷の方にとってもヴァレンがいると驚かれるでしょう? どうでしょう、私はこれを機にモンドブルク宮殿へ戻るというのは」
ヴァレンには悪いけれど、使える口実は使わせてもらう。ヴァレンも、名案だと言わんばかりに耳を動かした。
でもニコラウスは首を横に振った。ヴァレンも一緒なのはかえって都合がよくなったかもしれませんねえ、なんて嘯きながら。
「ヴァレンがいようがいまいが、ロザリア様。貴女には会うべき人がいますよ」
「それがこの滞在の目的なのです? いらっしゃるのに時間がかかっているんですか?」
だとして一体誰に会うのか? ヴァレンと揃って首を傾げると、ニコラウスは怪しい笑みと共に、声を潜めた。
「ヴィオラ・フォン・クラウヴァルトです」




