29.内心と外見
ベルシュラム商会の担当者との約束は数日先になった。
私とヴァレンは、宿泊中のタウンハウスのお庭でぼんやりと座り込む。モンドブルク宮殿とはまた違う趣向を凝らした庭園だ。暖かい日差しの中、青々とした草の香りに包まれ、目を閉じると、体に溜まっている疲れがほぐれていく気がした。ほんわりと和みながら、ヴァレンの頭を撫でてこれまたほんわりと和んでしまう。
「のどかねえ……暖かくていい気持ちだし。とっても気に入ったわ、オストリン・ノイ」
「冬も良いではないか。宮殿にいるぶんには食事にも困らんしな」
「私も好きだけど、でも冬景色って少し物寂しいんだもの。あ、そうだ、どうせなら今日は街中にも出てみましょうよ。海も見たいの」
空の雲は少なく、雨の気配はしない。いいでしょ、と体を抱えて揺さぶるようにねだると、ヴァレンもやぶさかではなさそうに耳を動かした。
「構わんが、あの栗毛令息は勘弁だぞ」
「ニコラウスね。もちろん、誘うのはラウレンツ様よ。今日はお時間があるかしら」
ラウレンツ様はなんとも器用なことに、この視察の合間にも仕事をしている。さすがに馬車の中では何もしていなかったのだけれど、宿泊先に着くとあれやこれや手紙を出していたのだ。曰く、宛先が帝都より東側となるものを事前に整理していたのだとか。仕事中毒者の余念のなさには恐れ入る。
今日だってどうせ書斎を執務室替わりにしているのだ。ヴァレンを連れて屋内に戻り、そっとラウレンツ様の部屋扉に耳を澄ませる。物音はしない――と思ったら、ぺらりと紙を捲る音がした。
はいはい、お仕事中ですね。咳払いとノックを一緒にすると、例によって朗らかな返事はあったものの、ラウレンツ様は座りもせずに本を読んでいた。
「どうかしたかい、ロザリア」
「本日の午後はお時間があるかなとお訊ねに参ったのですが……お忙しいですか?」
読書ではなく、探しものをするような捲り方だった。ラウレンツ様はやはりその本を途中で戻し、別のものを手に取った。
「いや、空いているよ」
「……今は何を?」
「ニコラウスが泥臭く当たるといいと話していただろう? 記録のために書かれているものはなくとも、この地域に関する本であれば手掛かりはあるかもしれないと思ってね……」
「であれば、外に出るのがいいのではないですか?」
せっかく現地にいるのだ、この目で見ない手はない。ラウレンツ様は「本じゃ駄目なのか」と少し釈然としない様子だけれど、私は自分で自分の名案を誉めたくなった。
「本も大事ですけれど、実際に街にいなければ分からないこともあるではありませんか! 遠くへ行脚する必要があるならまだしも、ラウレンツ様は今ここ、オストリン・ノイの都市にいますので! さあさあ、息抜きもかねて! ついでにお昼もいただきましょう!」
これを口実にちゃっかりラウレンツ様との周遊計画をオストリン・ノイから叶えてみよう。浮足立ちながら腕を引っ張り、引き摺るように屋敷の外へ連れ出す。幸いにも、ニコラウスはオストリン・ノイの商会館へ遣わされて不在だ。
ラウレンツ様は外出の準備をしながらも渋い顔をしていた。私は楽しみにしてるのに、ラウレンツ様はそうでもないのかしら。眉尻を下げて見ていると、気付いた顔がこれまた気まずそうに変わる。
「……何かご懸念でも」
「……公務の最中に遊んでいいものかと思ってね」
「なんだそんなこと!」
ああ、出た出た、この皇子様の仕事中毒! 呆れて声を上げて笑ってしまうと、今度は不審げに眉根を寄せられる。外に出るのは遊びだと心底お考えらしい。
「情報収集を行うのですから、単なる遊びではありません。そもそも、ベルシュラム商会の方がいらっしゃるまではお休みのようなものですよ」
「……だとして皇子が街中を歩いているとなっては示しがつかないだろう」
「オストリン・ノイの領民がラウレンツ様の顔を見たってどうせ何も分かりません。ご心配なら当初と同じく商人の恰好をなさってください」
眼鏡も持ってきていただいて、ブラウスも替えていただいて。そう促しても渋られ、結局ヴァレンが膝裏に頭突きをしてやっと観念してもらえた。
馬車に乗って広場まで運んでもらいながら、しかし、と疑問が浮かぶ。単に都市内を歩き回るだけなら以前もしていたのに、今回は何をそう躊躇うのだろう。むしろ、前回――お忍び監査と称してグランブルクに行ったときは、ラウレンツ様自身も意気揚々と露店を見たりワインを飲んだりしていたのに。
「帝都と公爵領でそう違うものですか?」
「ごめん、何の話かな」
「グランブルクにはラウレンツ様が誘ってくださったのに、今回都市内を散策するのに何をそう躊躇っていらっしゃるのです?」
「グランブルクは貴様の庭、公務中の休憩の範疇か。まあそうといえばそうかもしれんな」
ヴァレンが勝手に相槌を打った。少し黙りなさい、とその頭を撫でる。ラウレンツ様は、言われてみればとでもいうように顎に手を当てた。
「……当時は……俺が君を誘ったことだったからね」
「私が誘うと遊びになるのですか?」
「そういうわけではない、が……」
その思考が言語化されることはないまま、代わりにそっと視線だけが泳いだ。まるでやましいことでも思い浮かべたかのように。
「……いやすまない。単なる主観の問題だった」
つまりラウレンツ様の認識の問題であると。よく分からないけれど、解決したならよかった。笑みと一緒に軽く手を叩く。
「それでしたら前回と同じく楽しみましょう! お仕事のことは頭の片隅にあれば大丈夫ですよ!」




