24.恋の病と当面の予定
一瞬扉が閉まりかけた――と思ったら、扉は止まり、ついでに唇は歪んでそのまま止まった。その視線はしっかりとヴァレンに降りて、ちゃんといるな、とでもいうように頷く。
「……もちろん構わないが、夜も遅い。明日以降でもいいんじゃないかな」
「いいえ、これは夜でなければなりません」
ラウレンツ様の唇が今度は反対側に歪んだ。しかしこの皇子様相手には例によって強硬手段も辞さない。略礼と共に寝室に踏み込むと、皺ひとつないシーツが目に入った。下手をすれば明日の朝までこの有様なのだ。これはいけない。
「ラウレンツ様、まずはゆっくりお話でもいかがでしょう」
「……お話」
「はい。さあさあ、まずはお寛ぎになってください」
幾分遠回りになるかもしれないけれど、仕方がない。ベッドへ追い立て、そこへ座らせ、私も椅子に座らせていただく。ヴァレンはベッドに飛び乗った。
「こらヴァレン、貴方はこちらへ来なさいな」
「構わんだろう、皇子?」
「神獣と皇子とどちらが偉いか分かってるな、とでも言いたげだね。別にいいけれど」
はあ、と深い溜息をついたその顔には疲労が滲んでいる……気がする。普段は見えないけれど。
「ラウレンツ様はラウレンツ様でご用事があったのですよね。いかがでしたか?」
「ああ……いや、まあ、その件はいいんだ、気にしないでくれて」
誤魔化された……。なぜ誤魔化すのだろう。私に都合の悪い話。……もしかして、雇用契約終了の準備! 頭には昼間のニコラウスの顔が浮かんだ。どこぞのご令嬢と懇意に――。
「も、もしや例の恋の病のお相手に!?」
「……どこの例の?」
「ラウレンツ様が恋の病にかかっていると判明した例の件ですよ!」
自分のことなのに何を仰る! 私はたじろいでしまいそうなのに、ラウレンツ様はとんと覚えがないと言わんばかりのどこか呆けた顔で、いつもの様子に戻るまで二拍くらいかかった。
「……その件か」
「その件ですよ!」
「あれは……あれは、まあそうだな……うん、なかったことになったというか……」
「もっとご自身の気持ちに素直になって!」
いやなられても困るけれど! ああでも、ラウレンツ様の不幸を願うのはいただけない! 板挟みになって頭を抱えていると咳払いに遮られた。
「あれは……あれは、勘違いだ」
「……勘違いですか?」
あれほど語っておいて? この期に及んで嘘をつこうとしているのでは……と勘繰っていると、ラウレンツ様はもう一度咳払いして――ヴァレンの隣に屈みこみ、その頭に軽く手を乗せた。ヴァレンが「なんだ?」と不審な目を向ける先で、その頬に朱が散る。
「あれは……ヴァレンのことだったんだが」
「はい?」
「なんだと?」
「ヴァレンを愛らしく感じていたんだが、その、まあ、俺は馬くらいしか可愛がったことがなくてね。馬以上に可愛く思えてしまうから、つい、ロザリアも同じような感じなのかと訊ねてみたんだが、まあ……恋であると言われるほどだとは思ってもおらず、つい訂正の機会を失ってしまった。すまない」
……愛らしく可愛く、喜ぶと嬉しく、またつい姿を探してしまう相手は、ヴァレンであると……。じっと、ヴァレンを見つめた。ヴァレンは知らん顔だし、無言だ。そしてラウレンツ様もまた、頬を染めて無言だ。
……なんだ。半分呆れ、半分安心した。なんだ、私の一人勝手な勘違い! ラウレンツ様の仰ることもごもっともね、ヴァレンを可愛いと思っていただけなのに恋の病なんて言い出されたら、それは訂正できないわよね!
「なんだ、失礼いたしました! 私、もう早速契約妃を終了させられてしまうのかと少々焦ってしまいました!」
「大丈夫だ、当面、予定はない。安心してくれ」
「なるほど、当面だな」
「君は少し黙っててくれ」
「恋の病の相手だぞ? 喋ってもらえるのだから恥じ入りでもしてはどうだ」
ポン、とラウレンツ様の手がヴァレンの頭を軽く叩いた。本当に仲睦まじい。これではどちらの神獣か分かったものではない。
でもよかった、安心した。私が庶子で云々のくだりは半分解決しないままだけれど、でも半分は解決したようなものだ。肩の力を抜きながら、でもじゃあご用事とは、と最初の疑問に戻る。
「……でもお一人で済まさなければならないご用事はあったのですよね? 私があまりお手伝いできなさそうなことでしょうか?」
「……手伝えない、というか……まあ、そうだね。隠すほどのことでないといえばそうだ」
まだ赤い頬のあたりを指で撫でながら、ラウレンツ様は少々申し訳なさそうに視線を逸らした。
「情報収集をしていたんだ。エーデンタール国のクラウヴァルト家について、少しね」
あ、そのお話でしたか――! びしゃっと背中に汗が溢れた。しまった、ラウレンツ様を少しでも癒そうと思ってやってきたのに、今日のお仕事も私の持ち込んだ厄介事。




