23.恵みと歪み
部屋には、ベッドにテーブル、クローゼットが一つずつ置かれていた。窓は一つだけだけれど、開けると眼下には庭園が広がっている。辺境伯別荘の使用人部屋よりもずっと広く、調度品には真新しさこそないものの、毎日欠かさず手入れされているのが分かる。
「……ベッドもふかふか。辺境伯城よりももっと豪華ね」
「とはいえ帝国皇子が泊まるには不足なのではないか? あの皇子も妙なところで庶民的だからな」
やっと喋ることができる、ヴァレンはそう言いたげに大きく口を開け、ベッドの上、私の隣に飛び乗った。ヴァレンの体重でベッドは緩く沈む。
「まあ、あの皇子のことだ。雨風を凌げれば良いと考えているのだろう」
「それにしたって……。……でも意外と金遣いは豪快……」
ヴァレンのいうとおりラウレンツ様は華美なものを好む性格ではない。だからって……皇子が護衛も最小限に無防備に寝るなんて、正気の沙汰ではない。それこそアラリック王子がこの部屋に放り込まれたら「不敬!」と悲鳴を上げるに違いない。
ラウレンツ様のことは、もうだいぶ分かったつもりでいた。宮殿で仕事を始めてもう何ヶ月も経つし、一緒に過ごす時間も多い。でもこうして外に出ると知らない一面も見えてくる。それに……。
「……ラウレンツ様って、どんな幼少期を過ごされたのかしら」
「赤毛から聞いていたではないか。ヤツは優秀であったと」
「あのねヴァレン、ルヴァリエ様は辺境伯弟で財務卿なのよ。そんな呼び方しないの」
さておき、幼馴染だったというのでそれとなく聞いたことがあるのだけれど、詳しいことは知らない。ラウレンツ様は全然自分の話をしないし、あのルヴァリエ様だって、「幼馴染なんですってね」と話を振っただけで、珍しく言いづらそうに(話すのが億劫とかでなく、気まずそうに)目を逸らしていた。
そして聞くところによれば、物心つく前にお母様が亡くなったらしい。陛下は意気消沈するあまりラウレンツ様に目もくれなくなり、ラウレンツ様の世話に関しては辺境伯家が面倒を見ていた。ラウレンツ様は、十歳になるくらいまでは、宮殿と辺境伯家を行ったり来たりする生活だった。帝都と辺境、帝国で随一に栄える地域にて、ラウレンツ様は渇いた土のように知識と経験を吸収していった……と。
ルヴァリエ様は「だから幼馴染というか半分兄弟なんですけど……あんな優秀過ぎる弟は欲しくないですけど……」と締め括った、が。
「でも、色々おかしいのよね。お母様が亡くなったのを、ルヴァリエ様は不慮の事故って言ったでしょう?」
「事故など起こるはずないと?」
「起こることはあるわよもちろん。そうじゃなくて、ラウレンツ様のお母様って帝国屈指の名門伯爵家のご令嬢だったんだけれど、その伯爵家の姓を持つ官僚が、今の宮殿にほとんどいらっしゃらないのよ」
当代の娘が不慮の事故で死んだから宮殿にも出仕してなるものか――なんて短絡的な、そして見当違いな怒りを、名門伯爵家がぶつけてくるだろうか。
「しかも、陛下が役に立たないのは今のラウレンツ様を見ていれば分かるわ。でもだからって、わざわざ辺境伯家がラウレンツ様を自領に引き取るようなことをするのはおかしいでしょう? まるで、何かから逃がすみたいに」
ラウレンツ様のお母様って、誰かに謀殺されたんじゃないかしら。そう気付いてしまうと、怖気に似たものが背筋を這い上るのだ。
気付いたときにはお母様は殺されていて、お父様は役立たずで、生家である宮殿は危険で帰ることができない。母方の親戚は無言を貫いたのかどうなのか知らないけれど、少なくとも当時頼りになるのはナハト辺境伯――おそらくヴィルヘルム様のお父様だけ。
そんな幼少期を過ごした後、宮殿に戻ってきて継母を追放して、そして今は一人で帝国を切り盛りする。あまりに凄絶な人生なのに、それなのにラウレンツ様を見ているとそうは見えない。下手をすれば、アラリック王子よりも豊かに育ったように見えるのだ。
そのちぐはぐさが、たまに怖くなる。ラウレンツ様は、あまりにも我慢し過ぎているのではないか。その行き過ぎは、いつかラウレンツ様を壊してしまうのではないか。
「ラウレンツ様って、すごくまともでしょう?」
「例のアラリック王子と比べてか」
「比べて、じゃなくても……例えばニコラウスとか? そうね、そうよ、ニコラウスなんてほら、暇があれば遊び歩いて、興味のないこと、自分に得のないことはしませんって態度で示してるじゃない? だって自分が一番だからって割り切って」
口にしていて気が付いた。そうだ、それだ。“だって自分が一番”、それがラウレンツ様にはないのだ。
「ラウレンツ様って『帝国が』『仕事が』ばっかり。少しはご自身の欲がないのかしら?」
「なんだ、いつもの話ではないか。あの皇子は仕事中毒だと、そういう話だろう」
「そんなこと言ったらそうかもしれないけれど……」
確かに仕事をせずにはいられない性格なんだとは思うのだけれど……そうではない。ラウレンツ様は仕事に逃げているように見えるのだ。仕事に逃げることで、精神の安定を図っているというか……。
「……ラウレンツ様ってもしかして、例えばほら、本当はお化けが怖くて眠れないから、仕事をして誤魔化してるんじゃないかしら?」
「ふぐっ」
途端にヴァレンが変な笑い方をした。ふくふくと口元を緩めて揺らし始める。でも私は冗談のつもりはない。
「お化けはものの例えよ? でもね、ラウレンツ様って夜もあまり眠られないでしょう? あれって忙しいからとか明確な理由はなくて、ただ眠れないんじゃないかと思うの」
例えば幼い頃に暗闇に閉じ込められたから夜が怖いとか。一人でいると訳もなく不安になって仕方がないとか。
「そういうことを分かってくれる人が今までいなかったんじゃないかって……心配なの。でも宮殿にいると、ラウレンツ様は夜は寝室に閉じこもっちゃうから分からないでしょ?」
だからこれはチャンスなのよ。そうぐっと拳を握りしめると、ヴァレンは白い眉のあたりを「チャンス?」と寄せた。
「ええ、なんて言ったってラウレンツ様はお隣にいらっしゃる。日頃なら私が寝室から出たら『なぜお妃様が寝室を別に!』なんて言われちゃうけど、今日はその心配もないわ!」
「つまり忍び込もうというわけか」
「そんな失礼なことはしないわ。正々堂々、正面からお訪ねするわよ」
「喧嘩でも挑むつもりか。よかろう、その場合は加勢する」
「もう、だから私は真面目だって言ってるでしょう」
この旅で解決することがまた一つ増えたわ。拳を握りしめた。
そのラウレンツ様のご帰還は、なんと月も高く昇ってから。夕食には間に合わないと聞いていたけれど、まさかここまで遅いとは。やはり事態は急を要する。
となれば行くわよ、と廊下に出てすぐさま扉をノックする。……ノックした後で、さすがに間も空けずに訪ねるのは失礼だったかも、と反省した。でも驚いた顔のラウレンツ様が出てきてしまったのでもう遅い。こうなっては仕方がないと割り切ろう。ごめんなさい、ラウレンツ様!
「ロザリア? 何かあったのか」
「ええ、今晩こそは私の務めを果たそうと思って参りました!」




