20.エーデンタール国とその王子②
今日も、朝議の議題は変わり映えしない。クラウヴァルト家の処遇判断の経過、そして小麦の高騰だ。小麦の値段が下がるには供給が必要で、そしてそれは待つしかない。それを何度説明しても民は理解を示さない。その現状に辟易し、朝議の席で溜息をついた。不平不満の声が高まっている、と述べるのは内務卿だ。
「早々に策を講じねばなりません。特に収穫の時期が近づいているのが難点ですな、民は不満を述べつつも期待を捨てられぬ心もありましょう。しかし、おそらくこのままでは危機を脱することは叶いませぬ。そうとなれば……」
何か策を講じなければならない。内務卿はそれを繰り返すばかりだが、その策を考案することこそ、お前の仕事ではないのか。
供給は足りぬ。ただでさえ、エーデンタール国では小麦の実りが良くない。ロザリアが王家へと召し上げられても、さして変わらなかった点だった。
だからこそ、商人どもも強気な価格設定に出る。しかも、互いの情報をかなり意識している――小麦粉を椀一杯に入れ、あるところでは銅貨1枚で売っていたらしい、ということは今なら銅貨2枚でも売れるはずだと、そんな売り方をしている。そのうち小麦でタウンハウスを建てられよう、と誰かが笑った。
前方からは各務卿の意見が聞こえる。貯蔵を開放すべき時ではないか、そんなものでは焼け石に水、今はまだその時ではない……。
「帝国との交易を解禁してはいかがか?」
農務卿にそう水を向けたのは外務卿だった。外務卿は従来、他国との交易に寛容であるべきとの意見を持っていて、しかし農務卿は、作物に関してのみ、反対の意を長く述べていた。曰く、もともとエーデンタール国内だけでは小麦の生産量が不十分である、大飢饉を経て多くの農地は死地と化し、いまだ回復には至っていないと。その弱味を外国へ暴露するのはいかがなものか、更に言わせれば、帝国の安価な小麦が大量に流入しては農民の生活が打撃を受ける……。結果、エーデンタール国では、表向きは穀物の交易を禁止している。もちろん、本当に守られているかなど知る由はない。
ヴィオラは、帝国との交易に積極的であったな……。頭上を飛び交う声を聞きながら、手持ち無沙汰に、羽根ペンの羽根を梳く。ヴィオラは王城に帝国の行商を招き入れ、帝国の櫛や腕輪を好んでいたものだ。叔父上もそうだった。珍しい陶磁器があるかと思えば、帝国で手に入れた品だと言われたことがあった。
叔父上は、私をよく可愛がってくれた。ともすれば父や母よりも。クラウヴァルト公爵領へよく招待してくれ、狩猟はもちろん、国内の周遊に連れ出してくれたのも叔父上だった。初めて港を訪れたときは胸が躍ったものだ。我が国にこんな美しい景色があったのだと。
投獄中の叔父上のもとへ、一度だけ足を運んだ。公爵家の謀反に疑いはなかった。しかしそれでも、私は疑いきれなかった。謀反は、従兄上が独断で、そしてヴィオラを唆して行ったものではないのか。そう信じたかった。
そう訊ねたのに、叔父上は無言であった。私の問いかけに一切返事をせず、まるで喋ることを忘れてしまったかのようにだんまりであった。
謀反を企んだのは、間違いなく叔父上だったからなのか。だから私の問いに答えないのか。それとも弁明は聞き入れられぬと諦めているのか。公爵としての矜持を失った姿が情けなく口をきかないのか。私には何も分からなかった。
何も分からない――私は叔父上のこともヴィオラのことも、何も知らなかったのではないだろうか。そう考えた瞬間に怖くなり、叔父上の牢から逃げ出した……。
「確か帝国との交易は、グラウヴァルト元公爵が積極的に主導なさいましたな」
は、と頭を上げる。農務卿の発言だった。外務卿がその冷笑を睨めつける。
「何を仰りたい」
「いえ、私はただ、グラウヴァルト元公爵は帝国の品々に大変造詣が深かったと、少々思い出話をしただけですよ」
要は、外務卿は未だに元公爵と懇意にしていた恩を忘れていないのだろう――王でなく王弟を支持しているのだろう、との非難だった。朝議の席には日頃と異なる動揺の波が広がる。やめぬか、と父が一声を発し、やっと静かになるほど。
「余の前でその名を出すでない」
「失礼いたしました」
農務卿にとっては、口にできただけで充分だろう。既に朝議の空気が変わったことは明らかだった。
……未だ、公爵家の謀反を認めぬ者もいる。羽根を梳きながら、その処断について侃々諤々と議論が交わされたことを思い出す。本来ならば即座に処刑すべきだが、公爵領の治政は他領地の者さえ知るところであり、公爵領民の反発を免れぬのではないか、そんなことは叛逆の免罪符にもならぬ、免罪ではなく現実の話をしているのだ……処刑派と保留派で意見が真っ二つに割れていた。父自身が叔父上の処断を躊躇っていたことが、その対立に拍車をかけたのだろう。今なお、意見は二つに割れている。
そのせいか、最近、王城内の空気がどうにも悪い。朝議の際の細やかな反論、注進、報告、そのどれもが尖って聞こえる。
少し前に聞いた――王家は公爵に謀反を許し、あまつさえ神獣を逃したのではないか、と。
ロザリアの連れるオオカミが神獣であったという確証は、誰も持っていない。この数ヶ月農業が不調だとして、神獣が国を去ったからだと断じるには早すぎる。もともとさして状態が良かったわけではないのだから。ただ、王家への不信を強める口実には充分なのだろう。
ロザリアを取り戻すための交渉方法は一つしかない。帝国皇子は、エーデンタール国・王子妃予定者であったロザリアを拐取したのであり、明らかな外交問題だ、と指摘することだ。実際、王城を出たロザリアの行方は知れず、あの巨大なオオカミを連れていてなお目撃情報すらないというのはおかしな話であった。
ロザリアが元より帝国と通じていたか? 有り得なくはないが、そんなことできようはずもない。だとすれば、ロザリアを取り戻し、王家への信頼を一つ重ねることはそう困難でないはずだ……。
そしてロザリアさえ戻ってくれば、この国は再び不作から救われる。だから今すべきは、高騰を止めることだ。タンッ、と私が軽く机上を叩くと、各務卿は水を打ったように静まり返り、そして私を見た。
クラウヴァルト家の娘に騙されていた王子が何を言う――そのような目を向けられるのは分かりきっていた。しかし、かの謀反を見抜けなかったのはあらゆる者が同じではないか。そう自らを奮い立たせる。
そして、ここで鶴の一声を発することで、私の立場を取り戻す。
「……触れを出せ。基準額以上の価格を設定することを禁じると」
国の商人は勅命に従わねばならない。そして我が国は他国の商会が作物を直接売ることを禁じている。このように定めれば小麦の高騰は止まる。そう裏で議論を尽くした結果だった。
その議論を行った一人、財務卿が頷き、やがてぱらぱらと他の者からも賛同を得た。
「そのように。では次の議題ですが――」
朝議が終わる頃、既に日が高くなっていた。眩しさに目を眇めながら、ヴィオラのことを思う。ヴィオラは地下牢だ。一度だけ入ったことがあるが、外が暖かくなっても石畳の溝には氷が詰まっている有様だった。妙な臭いが鼻をつき、何かと衛兵に訊ねれば「埃と汚れでしょう」とのことだった。あれでは体に悪いだろうが、ヴィオラを外に出す口実はない。
『……せめて、散歩くらいさせてもいいのではないか』
そう口にしてしまったときの、執事の顔といったら。
最後に顔を見たのは、もう二週間は前だったか。次の予定まで時間があることを確認し、ランプを用意させた。
外の光が届かない石階段を、ランプ片手に降りる。冷えた空気には、前回と同じ、埃の匂いが混ざっていた。
入口に立っている衛兵が敬礼をする。その目がこちらを見た瞬間に「またか」と慈愛に満ちた。
これが戦争の末であったのなら、その目は全く違っていただろう。嘲りに満ちたものであったに違いない。玉座を狙う公爵家の、その令嬢に籠絡された愚かな王子よ、と。
しかし、ロザリアが事前に父に忠告していたから。クラウヴァルト家のクーデターは未然に防がれたから。王家はクラウヴァルト家の上を行った、それでもなお自らを害そうとしたクラウヴァルト家を処刑することすらせず、いまだ処分を保留にし、また王子は元公爵令嬢を労わる懐の広さを持っている――貴族間で反発はありつつも、そのように話す者がいるのもまた事実だ。
回廊の奥は、入口よりもさらに冷え切っていた。地下牢には窓もなく、外の様子はうかがえまい。昼夜も分からぬこの空間で、ヴィオラは何を考えているのか。
ランプを掲げると、分厚い掛布の塊が見えた。もう少し様子を見ようとランプを揺らすと、縮れた糸のような髪の向こうに、凜とした目が見えた。
「……あら、お兄様」
私がロザリアを煩わしく思い始めた頃、ヴィオラが共に講義を受けたのは、叔父上――元公爵の計らいであった、というのは、この一件が明らかになってから初めて知ったことだった。
「ロザリア様は、無事に見つかりましたか?」
私の知っていたヴィオラは、もうどこにもいない。




