19.帝国施策と隣国の現状
「小麦の値上がりが止まらんらしいですな」
「ああ、そのようですね」
別の男性も相槌を打つ。ニコラウスは微笑を浮かべて静観しているように見えるけれど、長年見てきたから分かる。その耳は他のどんな話よりも熱心に、一言一句逃すまいとこの話を聞いているに違いなかった。
「今のエーデンタール国に我々が入ればぼろもうけでしょうな」
「もちろん、現実に可能であれば。しかしエーデンタール国は作物に関しては他国の商会を禁じているでしょう、ねえ?」
そこで私達に視線が向けられる。ええ、とニコラウスが頷いた。
「その通りですね。大飢饉が唯一の機会でしたが、その際も門戸はぴたりと閉じられていましたから」
「しかしなぜだろうね。作物の流入を許しては困る理由があるとでも」
それは、エーデンタール国では国面積のわりに小麦の収穫高が悪いからだ。もちろん、特に小麦が悪いだけで、育つ作物はある。その弱味を知られてなるものかと、作物一切について厳しい規制を課しているのだ。
それをニコラウスは喋る気がないのだろう。微笑を浮かべるばかりで、返事をする様子はなかった。
「しかも、作物以外なら全て許容されているわけでもない。現在許容されているのは奢侈品くらいでしょうか」
「しかも女性が好むものばかりですね。櫛、髪飾り、ドレスに香水……もう少し懐を広げてもらわねば、入り込む余地を見つけるのも困難というもの」
全くもってその通りで、そしてその原因はヴィオラ様がそう望んだからだ。例によって床に臥せながら「帝国の美しい品々を、この足で見に行くことが叶わないなんて、残念です……」と囁いたらしい。アラリック王子は、当時から交易を望んでいた商会のうち、帝国で最も大きなブリュイ商会の出入りを許可した。
でも、あれはあれでよかったことだと思う。もちろん、そうしてもらわねば私はラウレンツ様に拾ってもらえなかったというのはある。でも、そうでなくとも、国にとって停滞は滅亡だ。自国で殻に閉じこもって細々やっていては、いずれ人も物も駄目になっていく。ただでさえ巨大な帝国が隣にいるのだ、その脅威を逆に利用するべきだった。
まあ、私が進言しても例によって聞き入れられなかったけど……。脳裏には、懐かしいアラリック王子の顔が浮かぶ。偉そうにヴァレンを指さしながら「お前はそうして自らの神獣が役に立たぬのを誤魔化すつもりか!」と怒鳴ってきたものだ。
「しかし、その許可も撤回されるという噂を聞いておりますが」
「そうなってはいよいよ、エーデンタール国に入る余地はなくなりますな」
ヴィオラ様が投獄されたからだろうか。ぼんやりとそんなことを考えているうちに、会合は終了した。
ニコラウスがいつもの調子で他の参加者と軽く言葉を交わした後、私達は応接室を辞した。私が同席した意味など、やはり何もなかった。
帰路につく馬車の中で、向かい側のニコラウスを睨みつける。
「で、結局あの会合に私が行く意味とはなんだったのです」
「何を仰るんですロザリア様。何事も、意味を見つけるのはご自身ですよ」
「誤魔化さないでください。もちろん、得て助かった情報はありますが、私が貴方の侍女として顔を出す必要はなかったではないかとお話してるのです」
ラウレンツ様に言いつけてやる。そう憤慨する私の前で、ニコラウスは相変わらず余裕たっぷりに頬杖をつく。
「まあ、そうですね。誤魔化すのはやめましょう。私はラウレンツ様に、クラウヴァルト元公爵家失脚後の商会との取引状況について情報収集を命じられたのです」
「……取引状況ですか」
「ええ、エーデンタール国が帝国内のどこかの商会に助けを求めているか、逆にますます意地になって交易を拒絶しているか」
結論は“意地になっている”だ。
ただ、ラウレンツ様がそれを知りたがった理由はなんだろう。少し考えても分からず、会合で話題に出たことをもう一度反芻した。最近はこういったものが流行りらしいとか、ある分野の仕入れはどの商会が強いだとか、全体的に持ちつ持たれつの話題が多かった。要は互いに利益ある情報交換をしていたのだ。
そう考えると、逆に話題に上らなかったことにも気が付く。同時に、エーデンタール国にはない帝国内の規制を思い出した。珍しい規制だと感じたのでよく覚えている。
「……帝国内の商会の方々は、流通品の価格を決して話し合わないのですね」
「ああ、よくご存知ですね。ええ、ラウレンツ殿下が禁止なさいました。さすが、商人もやっていると目の付け所が斬新で」
確かに、現に物品の流通に目をつけなければ気付かないところだろう。ただ、ラウレンツ様に関していえば、元皇妃のせいでじり貧状態だった財政のせいもある気がした。とにかく節約するためにどうすればいいか、必死で考える姿が頭に浮かぶ。
「ついでにお話ししますと、価格の話をしてはいけない、というのは語弊があります。皆、疑いをかけられるのを避けるため、念のため価格の話をしないのです」
どういうことかしら。首を傾げると、ニコラウスは珍しく親切に敷衍してくれた。
「帝国で禁止されているのは談合――価格に限って言えば、複数の商会が同じ価格で供給することです。しかし、互いの価格の情報交換を行えば、それは裏付けになってしまうおそれがある」
「同価格で供給するために情報交換した、と」
「その通りです。ですから上の者は下手なことを口にしないのですよ。特に今日の会合は、私は除くとしても、商会に対して直接働きかけるだけの力を持つ者ですからね」
なるほど、と頷きつつも、少し考えれば分かる話だ。
例えばエーデンタール国では小麦の価格が高騰している。小麦を納める農民は見合わぬ税に喘ぎ、これを流通させようとする商人は少ない供給を理由に高く売る。誰もができる限り安く手に入れたいと思うだろう。しかしこの価格をあらゆる商人が一律にそろえれば、それは叶わない。つまり商人側のぼろ儲けだ。生活必需品であればあるほど、その効果は絶大だろう。
そして、これを禁止しているのは帝国のみ。エーデンタール国にこの施策はない。
「……小麦の値段は高止まり、そしてエーデンタール国は小麦の交易を公的には許していない……」
呟いてしまいながら、今手元にある情報を整理する。エーデンタール国では、どう頑張ってもろくに小麦が育つことはない。それは私が資料で見て、ヴァレンがその身で感じて知っていることだ。
「……アラリック王子がラウレンツ様に申し入れている件ですが」
つまり、これは好機だ。まず一つ、厄介事が片付く気配がする。
「この話を使えば、なかったことにできそうですね」




