17.不和と腕輪
そのとき、くいと袖を引かれた。見ると、ヴァレンが首を横に振っている。
今、あの皇子が目の前にいないのに、そんなことを考えたって仕方がないではないか――そう言いたいのだ。
……そうよね。今考えたって、仕方がないことよね。今考えなきゃいけないことは、近くやってくるアラリック王子――エーデンタール国からの使者と、オストリン・ノイ地方の不作問題だ。
ヴァレンがいてくれてよかった。胸を撫で下ろし、気を取り直して歩き出す。それはもう、余裕を見せつけるように悠然と。
「……私の話は一度やめにしましょう、ニコラウス」
「おや、私が他の者に偽の妃だと触れて回るとは思わないので」
「偽物結構、それで石を投げられるのは私くらいでしょう。ラウレンツ様ご自身は口八丁手八丁でどうとでもします」
それこそ、ラウレンツ様ならその予防策も張った上で契約妃を考えたに違いない……多分。これ以上翻弄されてなるものか、とつんとそっぽを向くと、ニコラウスは隣に追いつきながら少し真面目な顔で考え込んだ。
「そうですか……。まあ、私も何もロザリア様を悩ませたいわけではありませんからね」
「悩ませておきながら何を言っているのです」
「結果論です。私はいつでも懐を広げてお待ちしております、というお話ですよ」
「貴方の懐なんて罠だらけに違いないじゃありませんか。大体、そう言うならラウレンツ様から任された仕事の話をしてください」
「それは秘密です。殿下からも、内密にと言い使ってますので」
どうりで、ラウレンツ様が教えてくれなかったわけだ。でもそうなると、なんだかラウレンツ様の一番の部下が私ではなくてニコラウスになったような気がして悔しい。私のほうが先に雇われたのに、というか私はラウレンツ様の契約妃なのに!
……もしかしてラウレンツ様、例の恋の病のお相手を見つけてしまったのかしら。はっと、突然思い出してしまい、自分の顔が青ざめていくのを感じる。クラウヴァルト家のクーデター然り、色々ありすぎて私もそれどころではなかったからすっかり忘れていたけれど、そうだとしたら。だからこのオストリン・ノイの視察が新しい妃のお迎えも兼ねていて、私はここでお役御免になってしまう!?
どうしよう。妃としては要らなくなるなら……それならなおさら仕事を? 妃としては用済みだけどぜひ片腕としていてほしいとか。そうだ、それだ。役に立たねば!
決意のもと、ニコラウスに向かってふんぞり返ってみせた。
「しかし、私の協力が必要なのでしょう? 内容を知らねばそれができないではありませんか」
「むしろ知らないでいてくださるくらいがいいかもしれません。何かを知っている人間というのは、それだけで自然ににじみ出るものがありますからね」
くっ……。のらりくらりと躱されてしまってはどうしようもない。こうなったときのニコラウスはある意味無敵だ。下手に理詰めしてくるラウレンツ様よりよっぽど手ごわい。
仕方がない。あまり躍起にはならず、まずはニコラウスの動向を見守ることに注意しよう。
「さあさ、ロザリア様、そうと決まれば早速。ベルシュラムも帝都と同じように露天商が人気ですよ」
「……来たことがあるのですか?」
「周遊中に何度か。帝国内で一、二の治安を誇る都市でもありますしね」
「……貴方らしいことです」
言いながら、ニコラウスは露天商に近付き、売り物の金色の腕輪を手に取った。店頭に何気なく置かれているので安物かと思いきや、台座に鎖で繋がれている。本物の金でないようだけれど、よく見れば凝った模様が刻まれた立派な装飾品だった。
ニコラウスは、それを一瞥しただけで硬貨と引き換える。店主が腕輪を台座から取り外した後は私に差し出してきた。
「どうぞ、ロザリア様」
「……なんですか?」
「真鍮の腕輪です。ベルシュラムでは有名なんですよ。ひとつ身に着けておけば街の人間の警戒心が一段和らぎます」
「だからといってラウレンツ様の妃である私が他人からの贈り物を身に着けるわけにはいきません」
「安物ですし、傍目には私からだとは分からないじゃありませんか」
「誰もがあの金額をポンと出せるわけじゃないのです、安物じゃありませんよ。……ちょっと!」
そうこうしているうちに、勝手に腕にはめられてしまった。憤慨しながら外そうとしたけれど、外し方が分からない。ニコラウスは簡単に開いて閉じてとしてみせたのに!
「これ、どうやって外せばいいのですか!」
「宿に戻ったら教えてさしあげます」
「だから何をする必要があるのかとお尋ねしているのです!」
「ラウレンツ様から、ベルシュラム商会に行くように仰せ使いましてね」
帝国指折りの商会名だった。次いでニコラウスは、懐から紹介状と思しき封書も取り出した。きちんと皇家の印章が捺されて封緘されている……。
「商会に行くのですから、その商品を身に着けているのが何よりの手土産でしょう」
「……まあ、そう言われると」
「ついでに、ベルシュラムは初めてで何も知らないと言っても舐められますので、少々遠回りしてから参りましょう。路地を一本入りましょうか、確か以前来たときは劇場の建設中でしたので、そろそろ出来上がっているでしょう」
まあ、それもその通りだし……。なんだか上手く乗せられてしまっているような気になりながら、ニコラウスに手を引かれ歩く。ベルシュラムのことを知っておきたいと思うし、ニコラウスも詳しいのだから頼りにはなる。ただ、どうせ案内してもらうならラウレンツ様と一緒がよかったのに。




