16.貴族と平民
驚くあまり、返事ができなかった。まさかはったりか、とその横顔を見返したけれど、その目が私の反応を確認することはない。
「……なぜ知っているのです」
「アラリック殿下のご様子を見て、私も折に触れて調べてみたことがあるので」
……おそらく、懇意にしている侍女を通じて、王城に召し上げられた当時の私の世話係を捕まえたのだろう。その世話係は、相手がニコラウスというのもあって何の警戒もせずに喋ったに違いない。
もちろん、ニコラウスの疑問が「ロザリア様は本当に伯爵家の生まれなんですかね?」なんて核心に切り込むものであれば、彼女も何も言わなかっただろう。ただ、周りを固める質問であれば、きっと何も考えずに答えてしまったのではないだろうか。アルブレヒト伯爵家の姓を名乗る娘なのに、全くもって貴族としての立ち居振る舞いが身についていないだとか。そもそもアルブレヒトという姓に対する反応が薄いだとか。
それは本来なら「ただの馬鹿な娘」「鳶が家鴨を産むこともある」と評されて済んでいることだ。実際、世話係にはそう思われていたように思う。
「私はロザリア様を見ていて、庶子だと思ったことは一度もありません。ただ、貴族の輿入れにしては随分と地味だったらしいと知っていただけです」
王家がどこぞの貴族令嬢を娶るとなれば、それはもう、双方の威信をかけた婚姻の儀が執り行われる。もし私が本当に伯爵令嬢であったなら、当時は盛大な祝宴が開かれていただろう。
なお、それは帝国にも当てはまることだけれど、ラウレンツ様はそのあたりを上手く誤魔化している。口の上手さはさることながら、もともと他の貴族達も帝国財政の現況を理解していて、なおかつラウレンツ様は密かに妃を迎えるような人だと理解されているからだ。
ただ、エーデンタール国王家がそこまで気を回したかと考えると、おそらくそんなことはない……。本当にあの王家は隙だらけだ。
「特に違和感があったのは、民と外国へのアピールと、アルブレヒト家の反応との不均衡さでしょうか。神獣を手に入れた、と大々的に公表されましたが、肝心のアルブレヒト家は相変わらず裏に引っ込んでだんまりでしたから」
「……今更政争に関与したくないと考えた可能性もあるではないですか」
「もちろん、アルブレヒト家はそういった類の名家です。しかし私は偶然にも、現アルブレヒト伯爵にお会いしたことがありましてね。あの伯爵にしては奇妙だと思ったわけです」
私は会ったことがないけれど、野心家なのだろうか。ただ、今大事なのは、必ずしもあらゆる貴族が気付いているわけではない、ということだ。それは一つの安心材料だった。
「となれば、ロザリア様はそもそもアルブレヒト家の子でないのでは、と想像するのはさして難しくないでしょう。そして当時の議論も想像がつきます――王家が娶る相手が、いくら神獣の守護を受けているとはいえ、平民であるとはどういうことか、などとね。もちろん、その議論をしたのはあのぼんくら王家と仲良し公爵家に限られているかもしれませんが」
おっと口が滑りました、なんてニコラウスは一度わざとらしく口を閉じた。
「神獣は欲しい、これは絶対です。しかし平民は体裁が悪い。となれば簡単ですね、養子縁組という案が浮かぶのは」
「……しかし公的な書類は誤魔化されているはずですよ」
「もちろん。そもそも私に公的な書類に辿り着く権限などありませんしね。だからこれは私の推論の域を出ません」
ぴん、とニコラウスは人差し指を立ててみせた。その横顔は、しかし、当たってますか、と自信たっぷりに問いかけてきていた。
当たってるに決まっている。私は生家を地図上でしか知らないし、その縁も切れているけれど、でも王家へ迎えられてすぐに「アルブレヒト姓を名乗れ」と命じられていた。それ以上のことは、何も知らないけれど。
そんなことを今更言われたからといって傷ついたり悲しくなったりするわけじゃない。でも、ニコラウスに知られているというのが、なんとなく落ち着かなかった。
黙っているのが答えになったのだろう。ニコラウスは続けた。
「アルブレヒト家は、三代前の王妹の二人目の娘の嫁ぎ先でしたね。王家の遠縁といえなくはないし、一応伯爵位はあるし、しかし政治に口出しをせず黙々と小さな領地を守っている、非常に理想的な家です」
「……であれば、尚更ラウレンツ様に迷惑はかからないではありませんか」
「そうでしょうね。もし本当に、ロザリア様がアルブレヒト家の子であれば」
「平民だったところで何の問題が生じるのです? この身に流れる血が平民のものであっても貴族のものであっても、私の何が変わるわけではありません」
「その血にこそ、貴族は反発します」
迷いなく、薪を叩き切るような言い方に、こちらは口を噤んでしまう。ニコラウスの顔からも一瞬、笑みが消えた。しかしすぐに口角だけが上がる。
「帝国皇子ですよ。しかもファルク家の優秀さは折り紙付き――帝国を統べる皇帝が世襲制になったのはファルク家が現れてから。そのファルク家の、現在唯一許された後継の近くに平民がいる。特に平民というだけでいくらでも邪推できますからね。帝国貴族にはいただけないでしょう」
……考えてもみなかったことだった。……いや、本当は、脳裏をよぎったことがなくはなかったかもしれない。でもそれは「ラウレンツ様みたいな高貴な人のもとで仕事をするのに本当は平民でいいのかな」程度だ。それでもって、ラウレンツ様は私を認めて私を雇ってくれたから、さして気にしたことはない。
でも、帝国貴族がラウレンツ様に反発する理由になるとしたら。ラウレンツ様の役に立てる度に嬉しかったのに、私が何をしたって、生まれが平民だというだけで、むしろ迷惑をかけてしまったら。
一瞬だけ、指先が跳ねるように動いた。そのくらい動揺した。それなのに、ニコラウスは容赦なく畳みかけてくる。
「ラウレンツ殿下はご存知なのです?」
「……いえ。少なくとも私からは話していません」
「なぜです?」
「なぜって……」
ラウレンツ様の迷惑になるなんて考えたことがなかったから。それに、実は平民の生まれです、なんて暴露したって、ラウレンツ様は何も変わらないはずだ。それなのにそんな、ラウレンツ様の器を試すようなことはしたくない。
「……必要のないことではないですか。ラウレンツ様は私の能力を買って妃にしてくれているわけですし」
「ははあ。まあ、そうですね。契約にあたって不必要な情報を開示しない、さすがロザリア様ですね」
皮肉げな声音に、遂に立ち止まってしまった。
加護の話や、公爵家クーデターと同じ。どちらも話すべき時機があると見計らってはいたけれど、でも同時に話さないのは不公平というか、私とラウレンツ様の間の信頼を踏み躙る行為のような気がしていた。じゃあ、私の姓のことは?
大した問題じゃないから、自分の中でも意識したことがなかった。でもニコラウスが言うとおり、これがラウレンツ様の足枷になるというのならきちんと話したほうがいい。クラウヴァルト家の話さえ、ラウレンツ様は話してくれてよかったと言ってくれたのだ。話すことに何の不安もない。
でも、こんなことを考え始めると際限がない。他に話してないことはあっただろうかと、まるで走馬灯のように、昔からの記憶がぐるぐるぐるぐる回り始める。私の姓と……ということは生家の場所も教えておくべき? 必要ならラウレンツ様が自分で調べるだろうし……。他には……例えばエーデンタール国の情報だろうか? 私が知り得る限りの情報を放出するのは……一生懸命自分の価値を吊り上げるようで違う気がする。じゃあ一体どうすれば……。
答えを出せずに、ただ動揺が痺れるように指先に伝わっていく。意識して動かさねば震えてしまいそうだった。




