15.生家と家名
途端、首筋が冷える。モルグッド伯爵家が帝国に与したことに、私は大して疑いを抱かなかった。もちろん、ニコラウスには少々信用ならないところがある。しかし、モルグッド伯爵家は、忠誠心よりも長期的な利益を優先するきらいがある。だからエーデンタール国を切り捨てて帝国に与したのは事実なのだろう、と思っていたのに。
安直だった。ニコラウスには少々信用ならないところがある、なんてとんでもない。私はこのニコラウスを、そうはいっても悪い男ではないと思い込んでいたのだ。
唇を噛む私とは裏腹に、ニコラウスは馴れ馴れしく肩を抱いてきた。
「どうでしょう、私と共に歩きながら、ロザリア様が抱いたご懸念についてゆっくりお話しするというのは」
「ニコラウス」
返事をする前に、ラウレンツ様の靴音が割り込む。
「確かに私は君に仕事を命じたが、そこにロザリアが必要だとは思えない。理由を説明してくれるかい」
「いま申し上げましたとおりです。ロザリア様がいらっしゃるほうが相手の気は緩みます。これは失敗できぬ仕事でしょう?」
……失敗できない仕事を任せた、ということはラウレンツ様はニコラウスを信頼しているのかも。いやラウレンツ様のことだから予防線は張っているかもしれない。でも、万が一のことがあってはいけない。私がこのニコラウスを食い止めねば。
「確かに確率は上がるかもしれないが、君の――」
「いいでしょうニコラウス、私も同行しましょう」
ラウレンツ様に迷惑はかけないし、なんならニコラウスを味方につけて役に立ってみせる! 一歩踏み出ると、下で様子を見守っていたヴァレンが鼻を鳴らした。ヴァレンはきっと「皇子に任せておけばいいものを」と思っているに違いない。でもそうはいかない。
「ご安心ください、ラウレンツ様。わざわざラウレンツ様が帝都を離れての視察、道中も含めて二つ三つの成果を上げねばわりに合わないでしょう」
「いやわりに合うとか合わないではなく」
「ニコラウスとは一応旧知ですし、ヴァレンもついています。ご心配いただくことは何もございません」
どん、と胸を叩いてみせると、ラウレンツ様は渋い顔をしていた。何か言いたげにその唇が僅かに開いたけれど、結局それは閉じられ、ややあってヴァレンの頭を撫でた。
「……そういうことなら、任せたよ」
「あ、私も頭をお願いします」
「……………………宿でね」
私も私も、と手を挙げようとしたのに、それごと制された。でもそれだけだ。ラウレンツ様は名残惜しさも見せず、いそいそと馬車に戻ってしまった。ここにご用事があったわけじゃないのかしら。
そうだとしたら、もう少しこの辺りを一緒に歩いてくれてもよかったのに。私がニコラウスと一緒に行くと言い始めたせいかしら。
悩む私の肩は、再びニコラウスに抱かれた。お前じゃない!と思わず口に出したくなってしまう。
「さてロザリア様、参りましょうか」
「……ゆっくり話しましょう、ということでしたよね。何を企んでいるのです?」
「企むだなんて、とんでもない。私はただ少し、お尋ねしたいだけです。ロザリア様、貴女はアラリック王子の婚約者でなくなった後、どのようにしてラウレンツ殿下の妃のふりなどするに至っているのか」
やはり、本物の妃でないという確信があるのだ。睨みつけると、少し歩きましょう、とでもいうように手が町の奥へ動く。
すると、すかさずヴァレンが前に出た。半分だけ振り向いた顔は、危険がないか確認してやろう、と聞こえてきそうで頼もしい。さすがヴァレン。
「おやおや、やはり本物の神獣は違いますね」
「……貴方、ヴァレンが神獣だと信じてたのです?」
「こんな利口な野良オオカミはいないでしょう。ねえ?」
馴れ馴れしい口調を、ヴァレンは黙殺して歩き始めた。ニコラウスはちょっとだけ残念そうに肩を竦め、私と一緒に後に続く。
「それで、ロザリア様が妃のふりをしている理由もやはり神獣ですか?」
「違います。ラウレンツ様はそんな理由で私を雇うことなどいたしません」
思わず食い気味に言い返した。真っ先に思いつくこととはいえ、そう言われてはラウレンツ様を侮辱されたような気持ちになる。
「雇う、ですか。なるほど、仕事で妃をしているわけですね」
口が滑った……。ぎゅうと唇を内側に巻き込む。ニコラウスはこれだから困るのだ。何でもついつい喋りすぎてしまう。
でも、妃のふりである時点で隠しようのないことでもある。こればかりは仕方がない。
諦めて事の経緯を暴露すると、満足したように頷かれた。
「王都を出たところで偶然殿下に出会い、人手不足だからと雇われた、ですか。運命的な出会いですね」
「あの、貴方が運命と言うのはやめていただけます? 急に軽く聞こえますので」
まさしく私にとっては人生を変えてくれる出会いでしたので。
「相変わらず心外です、というのはさておき。しかし殿下も、よくロザリア様を抱え込むことにしましたねえ」
「隣国王子の元婚約者を、という意味ですか? その点の損得勘定はきちんと済ませていらっしゃるはずですよ」
「というよりはロザリア様を、です。隣国王子の元婚約者であるのはもちろん、出自も色々ご面倒なのでは?」
「出自に面倒も何もありません。アルブレヒト家は由緒正しき伯爵家ではあるものの、王家に口出しをする気も力も有しておりません。良くも悪くも、権力に興味のない家ですし、そもそも私との関わりもありませんよ」
なんだそんなこと、と軽く手を払ってみせる。しかしニコラウスはまた一段、声を潜めた。
「それはアルブレヒト家の話でしょう。私はロザリア様の生まれの話をしています」
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