16 ヒロインなのにまた取り囲まれました!
「あれ?教科書がない……」
ある日のことだった。次の授業である歴史の用意をしようとしていたメリナは、鞄から教科書を取り出そうとしていた。
しかし、持ってきたはずの教科書がないことに気付く。
(忘れちゃったのかなぁ……さっきまであったと思うんだけど……)
授業を受ける時に教科書がないのでは困ってしまう。
せっかくテストで良い成績を取ったのに、教授からの印象が悪くなってしまったらど大変だ。
どうやって調達したらいいだろうかと悩んでいると、困ったようにしているメリナに気付いたクラウスが近付いてくるのが視界に入った。
「メリナさん、どうしたの?」
「それが、教科書を忘れてしまって……」
えへへと笑うと、クラウスは眉を下げた。
「そっか。僕が貸してあげられるといいんだけどな」
呆れられるかもしれないと思っていたメリナは、予想外の反応に驚く。
クラウスは同じクラスで席も離れているので、当然借りるつもりはなかった。しかし、それを気に病まれるとはつゆも思わなかった。
「クラウス様も授業があるんですから、お借りするわけにはいきません!忘れちゃった私が悪いんですからそんなに気にしないで下さい!」
「そうかもしれないけど……」
クラウスはまだ釈然としない様子で、メリナはどうしようと考える。
(まさか、クラウス様がそんなに気に掛けてくれるなんて……。嬉しいけど申し訳ない!)
教科書を借りられるような友人もいないし、そのまま受けるしかないと思っていたのだが、そこまでクラウスが気にするなら何とか教科書を調達しなければ……とそこまで考えて、メリナははっとした。
(ふ、フローレンス様たちなら貸してくれるかな!?)
友人になった四人のことを思い出した。本来なら気安く声を掛けられる人たちではないが、きっと彼女たちは気にせずに貸してくれるだろう。
そう思えるほどには仲良くなれていた。
「あの、私フローレンス様かクリスティーナ様に借りてきます」
「ダレントラン公爵令嬢に?」
クラウスが驚いたように聞いてくる。
ちなみに、ユリアとパルテナは学年が一つ違うため借りることが出来ないので名前を出していなかった。
「そんなに仲良くなったんだね」
「はい!」
にっこり笑うメリナに、クラウスは一瞬何かを言いたげにしていたが、直ぐに笑顔になった。
「メリナさんに頼られるなんて羨ましいな」
その意味深な発言にメリナは首を傾げる。
メリナとしては迷惑を掛けてしまうことは心苦しいのだが、クラウスにはそうではないようだ。
もしかしてクラウスは、友人であるメリナの面倒を見ようとしてくれているのではないか?と気付いた。
(クラウス様はすごく友達想いなのね!)
友人になれたことも奇跡に近いのに、さらにその溢れんばかりの優しさにメリナは感動して、キラキラとした瞳をクラウスに向ける。
クラウスと友人になってから、一人ぼっちではなくなり、転生者仲間も出来て、メリナは幸せなことがいっぱいだ。
「何だか勘違いしてそうだね」
メリナの瞳を受けたクラウスは苦笑をこぼす。そのまま、メリナの頭にぽんと手を置いた。
そうされるのにすっかり慣れてしまったメリナは、心地良さを感じてふにゃりと力を抜く。
そんなメリナに、クラウスはもう一度苦笑してから教科書を借りに行くことを促した。
「ほら、借りるなら行かないと授業に間に合わないよ」
「あ!本当ですね!」
メリナは、はっと背筋を伸ばすと「行ってきます!」と元気良く教室を出て行った。
「走らないで行くんだよー!」
ぱたぱたと走っていったメリナには、後ろから掛けられたクラウスの言葉が聞こえていなかった。
――――――
「授業に遅れたら大変!またクラウス様に心配掛けちゃう……!」
フローレンスとクリスティーナの二人を探しに隣のクラスを覗いたが、二人は教室に居らず、メリナはぱたぱたと走って二人を探していた。
しかし二人が居そうなところなど分かるはずもなく、ひとまずトイレの方へ向かっていた。
「あいたぁ!」
その時、足に何かが引っ掛かり、メリナはバランスを崩して激しく転倒した。
「いたたた……うぅ、何かこの感じ覚えがある……」
体を起こしてじんじんと痛む膝を抑えていると、思い出したくないことを思い出してしまう。
忘れもしない、レオンハートに突撃して避けられてこけた時のことだ。
今は誰にも突撃していないし、避けられてもいないはずなのに一体何なんだと涙目になって原因を探すと、令嬢が数人傍に立っていた。
「あらぁ、今イノシシが突進してきませんでしたこと?」
「学園の廊下にイノシシが出るだなんて怖いですわ!」
扇で口元を隠し、メリナを見下ろしてくすくすと笑う令嬢に見覚えがあって、メリナは記憶を探る。
(確か、カリーナとかいう人……?)
その特徴的な濃い金髪と巻き毛を見て、カリーナ・モンペルトだと気付く。
それに、食堂でフローレンスの後ろからメリナを罵倒していた令嬢も何人かいた。
何かと突っかかってくるカリーナは、メリナが心底嫌いなのだろう。その目は怒りに満ちていた。
「バタバタとみっともなく走るなんて、これだから平民は嫌ですのよ」
その汚いものを見るような目と話の内容で、メリナは足を引っ掛けられたのだということに思い至った。
(えぇ……何で?何で悪役令嬢でもない人に絡まれてるの……?)
現実を受け入れはしたものの、まさか悪役令嬢以外から嫌がらせが来るとは思っていなかったメリナは驚いてしまう。
驚きのあまりぽかんと口を開けたまま固まっているメリナを見て、カリーナはフンっと鼻で笑った。
どうやら、この令嬢たちのボスはカリーナのようだ。
「あーら、間抜けな顔だこと。本当にこんな平民がどうやってクラウス様やフローレンス様に取り入ったのかしら」
いつの間にかメリナは座り込んだまま取り囲まれていて、カリーナの嫌味を浴びせられた。
カリーナが言葉を発する度に他の令嬢たちが口々に「そうですわ!」「最低ですわ!」と同意するものだから、耳が痛くなってしまう。
「まさか婚約者を決めないどころか、こんな平民に手を出すなんて。貴族の恥さらしですわ」
カリーナの『婚約者を決めない』という言葉で、クラウスのことを言っているのだと分かった。
クラウスに好意を寄せているから突っかかってくるのだと思っていたメリナは、カリーナの言いように戸惑いを隠せない。
(じゃあ何で私に絡むの?)
訳が分からずにいると、カリーナはどんどん言葉を重ねていく。
「婚約者に手を出されたのを咎めるどころかお茶会に誘うだなんて、フローレンス様もどうかしていますわ」
その怒りはフローレンスにまで向けられているようだった。
メリナは反論したくなったが、平民である以上口答えすることは叶わない。
「このままでしたららあの方の権威が失墜するのも時間の問題ですわね」
何も言わないメリナを見て良い気分になったのか、カリーナは嫌な笑い方をしている。
たとえ伯爵令嬢であろうとも、公爵令嬢であるフローレンスを貶すようなことを言うのは許されない。しかしカリーナは、この場に味方しかいないこと、メリナが平民で告げ口など出来るはずもないと考えていたことで気が大きくなっていた。
一方でメリナは頭に血が上っていくのを感じていた。
あの優しいクラウスやフローレンスのことを悪く言われて、腹が立って仕方なかったが、何とか寸でのところで耐えていたのだ。
「器が知れますわ」
しかし、そのカリーナの言葉に遂にメリナの我慢が限界に来てしまった。
怒りで目の前が真っ赤になって、我慢しなくてはと思っていたのに気が付けば言葉が口から出てしまっていた。
「取り消してください!」
叫ぶように発された言葉に、令嬢たちが息を呑むのが聞こえる。
それにも構わずメリナは立ち上がり、カリーナい詰め寄って睨みつけていた。
「何ですって……?」
突然言い返されたカリーナは顔を真っ赤にしてわなわなと震えていた。今にも怒りが爆発しそうになっていて、周りの令嬢がカリーナから距離を取る。
「私のことは何て言っても構いません。それだけのことをしてきましたから。でも、クラウス様やフローレンス様のことをそんな風にいうのは止めてください!」
メリナの口からは堰を切ったように言葉が溢れ出して、カリーナが口を挟む隙を与えない。
しかし、カリーナの怒りも頂点に達していた。
「二人ともこんな私を友達にしてくれたんです。それにとっても優しくしてくれて――」
「平民風情が!!」
メリナが言い終わる前にカリーナが叫びながら扇を振りかぶった。
――カーン、カーン。
パンという乾いた音と、授業の5分前の鐘が鳴るのは同時だった。




