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時は、来た。
仕方なく、僕はシバコウの偵察のために、単独で感情階段を利用して、大神殿から神知学園に移動していた。シバコウへの怒りを何度も宙に向けて口にすると、すぐに感情階段は形を帯び、僕の眼前に出現している。
学校のグラウンドでは、黒いスーツを着ている桜井先生が襟元の皺を伸ばそうと、細く綺麗な手を布に近づけている最中だった。
グラウンドには人間と生き物が、大勢いる。
壮観だ。
その中に、一際、目立つ柴犬がいた。
「ワシの名をシバコウ。またの名をジョセフィーヌ。よろしくのう」
シバコウは「統一神に認められし者じゃ」と周りに、自己紹介をしている。
早速、周りから脚光を浴び始めている。
「ワシは正々堂々と、統一神になるんじゃよ!」
懐かしい光景に微笑ましくなった。と、同時に、僕は悲しくもなっている。
柴犬の背中を見届けた僕は、そっと神知学園を後にしようとする。
「大ちゃん!」
その時、シバコウに気づかれた。
振り返ろうとして、立ち止まる。
ここで振り返ってしまうと、踏ん切りがつかない。
僕は前を見たまま、シバコウに背を向けたまま、歩いていこうと、した。
モフモフと、足音が大きくなってくる。
いきなり背中に強い衝撃がある。
僕はつんのめる。なんとか地面に手をつけずには済んだが、痛い。
だが、振り返ることは決して、しない。
「無視はいかんのう、大ちゃん」
シバコウがドロップキックをしている。
柴犬から逃げることを諦めた僕は、シバコウの頬をむぎゅっと、やった。
僕の寿命は、残り僅かだ。
それはシバコウも承知しているはずだ。
「またサプライズパーティをやりたいんじゃが?」
だが、それでもシバコウは徐に迫ってくる。
「また僕が統一神になったらね」
「うむ」と、シバコウが仁王立ちで胸を張った次の瞬間、モフモフの首根っこは桜井先生に掴まれていた。
宙で、足をジタバタさせたシバコウが泣き叫ぶ。
桜井先生は無表情だ。
シバコウを体育館に連行していった。
その様子を、僕はずっと眺めている。見ている。
見続けている。
するとシバコウだけが、急にまた戻ってきた。
「桜井先生に今日だけは特別だ、と許してもらってのう」
ぼん。
さつまいもチップスの袋を取り出したシバコウは嬉しそうに、袋の封を切っている。
「大ちゃん、本当に世話になったのう」
ああ。視界がどんどんと狭くなってくる。
「僕もだよ。統一神なんて、夢のまた夢だった。今なら、思う。なれてよかった、本当に」
遂には、瞼が開かなくなり、全身から力が抜けていく。
遠くから「大ちゃん!」と呼ぶ声が聞こえた。
ああ。
遂に、この時が来たか、と、悟る。
「大ちゃん!」
また、声が聞こえた。
「また、遊んでくれるんじゃろ?」
「うん、絶対に!」
精一杯、僕は答える。
「やったぞい!」
最期に聞こえた言葉がこれでよかったと、心から思う。
段々と、漆黒の世界に、僕は支配されてゆく。
「今まで、ありがとうね。シバコウ!」
力を振り絞って、何度も、何度も、僕は口に出す。
意識が消失するその瞬間を迎えるまで、口を動かし続ける。
「ありがとうね。シバコウ!」
相手に伝わっているのか、最早、分からない。発声できているのかも、分からない。
「ありがとう、シバコウ!」
もう一度、僕は想いを伝えた。
口が、動かない。
いよいよ終わりが、来た。
過去に戻りたい。と、強く念じることは、もうしない。
念じなくても、いつかまた。シバコウとは再会できる。
そう、信じている。
確信している。
最期に、モフモフの感触が、僕の心を優しく包み込むようにしてあり、遂には、それすらもなくなっていった。
〈了〉




