夢を見る仕事。
「先生、僕は大人になったら何になれるの?」
その質問をされたとき、私はいつも返事に困った。
「何にだってなれるさ」
そう答えると、少年は決まって笑った。
嘘だと知っているくせに。
⸻
未来予測装置が完成したのは、今から四十二年前のことだった。
人間の遺伝情報、脳の構造、家庭環境、社会情勢。ありとあらゆる情報を解析し、その人間が辿る人生を予測する。
当初、その技術は医療や災害対策に利用されていた。
しかし、やがて政府は一つの事実に気づいた。
人間の将来がわかるのなら、社会にとって有益な人間と、そうでない人間を生まれた瞬間に選別できるのではないか。
反対する者は大勢いた。
だが、予測された凶悪犯罪を未然に防ぎ、国家の財政を圧迫する要因を取り除くことができると証明されると、反対の声は次第に小さくなった。
そして三十年前、未来選別法が施行された。
すべての新生児は、生後七十二時間以内に《ラプラス》による検査を受ける。
結果は三つに分類された。
社会に貢献する者。
社会に貢献しない者。
そして、社会に危害を加える者。
後者二つに分類された子供は、親元から引き離され、国が管理する施設へ送られた。
彼らには名前が与えられた。
「未到達児童」。
大人になる未来を持たない子供たち、という意味だった。
⸻
私がその施設に赴任したのは、二十七歳の春だった。
施設は山奥にあった。
高い塀と監視塔に囲まれた建物は、学校というより刑務所に近かった。
しかし、そこで暮らす子供たちは、驚くほど普通だった。
鬼ごっこをする子。
絵を描く子。
喧嘩をして泣く子。
私の袖を引っ張り、昨日見た夢の話をする子。
どこにでもいる子供たちだった。
ただ一つ、違うことがあった。
彼らには未来がなかった。
十六歳の誕生日を迎えると、子供たちは施設を出る。
職員はそれを「卒業」と呼んでいた。
卒業した子供がどこへ行くのか、私は知らされていなかった。
だが、戻ってきた者は一人もいなかった。
⸻
「先生、海って見たことある?」
そう尋ねたのは、十二歳の少年、ハルだった。
「あるよ」
「どんなところ?」
「大きくて、青くて、どこまでも続いている」
「壁はないの?」
「ないよ」
ハルはしばらく考え込んだ。
「じゃあ、逃げられないね」
「何から?」
「何か怖いものが来たとき」
私は笑ってしまった。
「海は逃げる場所じゃないよ」
「そうなんだ」
ハルは窓の外を見た。
「僕、いつか海を見たいな」
その言葉を聞いて、私は胸が苦しくなった。
彼が海を見る日は、きっと来ない。
それでも私は言った。
「いつか、一緒に行こう」
ハルは嬉しそうに笑った。
⸻
異変に気づいたのは、それから三か月後だった。
施設の資料室で、私は偶然、子供たちの未来予測記録を目にした。
本来、教師には閲覧権限のない資料だった。
最初に開いたのはハルの記録だった。
氏名、年齢、健康状態。
そして、予測される死亡日時。
十五歳十一か月二十九日。
死因は記載されていなかった。
私は別の子供の記録を開いた。
同じだった。
また別の子供も。
同じだった。
正確には、日付が同じなのではない。
全員が十六歳になる前日に死亡すると予測されていた。
施設から出る前日。
つまり、卒業式の前日だった。
私はその夜、眠れなかった。
未来予測は絶対だと教えられてきた。
だが、未来が予測できるのなら、その未来を変えることもできるのではないか。
そもそも、なぜ全員が同じ年齢で死ぬのか。
翌日、私は施設長に尋ねた。
「卒業した子供たちは、どこへ行くんですか」
施設長は書類から目を上げなかった。
「君の仕事は教育だ」
「でも、彼らは十六歳になる前に死ぬと予測されています」
その瞬間、施設長の手が止まった。
「何を見た?」
私は答えなかった。
施設長は長い沈黙のあと、静かに言った。
「余計なことを考えるな。あの子たちは、そういう運命なんだ」
⸻
私は調べ始めた。
過去三十年間の未到達児童の記録。
施設の建設費。
政府の予算。
そして、非公開とされていた《ラプラス》の運用報告書。
調べれば調べるほど、おかしなことがわかった。
未来選別法が施行されてから、世界の犯罪率はほぼゼロになっていた。
貧困も飢餓もなくなった。
戦争も起こらなくなった。
政府はこれを、未来予測による適切な人口管理の成果だと説明していた。
しかし、ある統計だけが奇妙だった。
《ラプラス》が予測する未到達児童の割合は、毎年ほぼ一定だった。
人口が増えても減っても。
社会が豊かになっても。
犯罪がなくなっても。
生まれてくる子供の、およそ二割。
必ず二割が、社会に不要だと判定されていた。
私は一つの疑問を抱いた。
本当に、彼らは不要なのだろうか。
それとも。
社会が彼らを必要としているのではないか。
⸻
答えを知ったのは、ハルの十五歳の誕生日だった。
私は施設の地下にある管理室へ忍び込んだ。
そこには、国の中央演算機と接続された端末があった。
私は《ラプラス》に質問した。
『未到達児童が十六歳になる前に死亡する理由を示せ』
画面に文字が現れた。
《社会安定維持計画》
続いて、膨大な数式と統計が表示された。
私は震える手で資料を読み進めた。
そして、ようやく理解した。
《ラプラス》は未来を予測しているのではなかった。
少なくとも、今は違っていた。
装置は、人類が最も幸福になる未来を計算していた。
その未来を実現するために、必要な出来事を選択していた。
犯罪者になる人間を排除する。
貧困を生む人間を排除する。
戦争を引き起こす人間を排除する。
だが、それだけでは足りなかった。
人間は、どれほど豊かになっても争う。
どれほど平等になっても不満を抱く。
そして、どれほど幸福になっても、その幸福に慣れてしまう。
《ラプラス》は、人類の幸福を維持するために、ある結論を導き出していた。
人間には、共通の悲しみが必要だった。
自分より不幸な存在を知ることで、人は自分の幸福を実感する。
誰かを憐れむことで、人は自分の善良さを確かめる。
そして、救えない命があることで、人は今ある命を大切にする。
未到達児童は、そのために存在していた。
彼らは社会に不要だから隔離されたのではない。
社会が幸福であり続けるために、不幸になることを義務づけられた子供たちだった。
私は画面を見つめた。
そこには、さらに一つの項目があった。
《最終的な社会貢献》
私はそれを開いた。
未到達児童は十六歳になる前に処分される。
その際、脳内の神経活動を特殊な装置で記録する。
恐怖。
絶望。
痛み。
そして、死の直前に生じる強烈な生存への欲求。
それらの情報は《ラプラス》へ送られ、社会全体の幸福を維持するための演算に利用される。
つまり、子供たちは死ぬ瞬間まで、人類のために働かされていた。
⸻
ハルの卒業まで、あと三日だった。
私は彼を連れて逃げることにした。
夜中、施設の裏門を抜け、山道を走った。
ハルは何度も転んだ。
それでも泣かなかった。
「先生、どこへ行くの?」
「海だよ」
「本当に?」
「ああ。本当だ」
ハルは笑った。
暗闇の中で、その笑顔だけがはっきりと見えた。
私たちは夜明けまで走り続けた。
やがて、山の向こうに青い水平線が現れた。
海だった。
ハルは立ち止まった。
「先生」
「なんだい」
「壁がない」
「ああ」
「本当に、どこまでも続いてる」
彼は靴を脱ぎ、砂浜を走った。
波に足を濡らし、声を上げて笑った。
私はその姿を見ながら、泣いていた。
初めて、彼に本当の未来を与えられた気がした。
⸻
その日の午後、街で大規模な交通事故が起きた。
翌日には、各地で暴動が発生した。
さらに翌日、二つの国家が国境で軍事衝突を起こした。
私は宿のテレビを見つめていた。
世界が壊れ始めていた。
画面には、緊急放送が映し出されていた。
『現在、未来予測装置の演算に重大な障害が発生しています』
『原因は、社会安定維持計画における予定事象の未達成とみられます』
『政府は国民の皆様に冷静な対応を――』
私はテレビを消した。
ハルは隣で眠っていた。
小さな寝息を立てていた。
私は彼の髪を撫でた。
この子が生きている。
ただそれだけのことで、世界が壊れようとしていた。
⸻
翌朝、施設長から電話があった。
「君が何をしたのか、わかっているか」
私は黙っていた。
「《ラプラス》は未来を予測している。子供たちが死ぬことを前提に、何十億もの人間の人生が組み立てられているんだ」
「だから殺していいと?」
「違う。殺すことが決まっているんだ」
「同じことです」
「君は一人の子供を救うために、何人殺すつもりだ」
私は答えられなかった。
施設長は続けた。
「昨日だけで四万人が死んだ。明日には十万人になる。来週には百万だ」
「そんな……」
「ハルを連れ戻せ」
私は電話を切った。
窓の外では、海が静かに光っていた。
ハルはまだ眠っていた。
私は彼を起こさなかった。
⸻
その夜、ハルが私に尋ねた。
「先生、僕のせいで人が死んでるの?」
私は息を呑んだ。
テレビを見たのだろう。
「違うよ」
「でも、僕が帰れば、みんな助かるんでしょ?」
「そんなことはない」
「先生」
ハルは私の顔を見た。
「僕、学校で習ったんだ」
「何を?」
「人のためになることをしなさいって」
私は何も言えなかった。
「僕たちは、社会の役に立てないから、あそこにいるんだと思ってた」
ハルは少し笑った。
「でも、役に立てるんだね」
「ハル」
「よかった」
その言葉を聞いた瞬間、私は彼を抱きしめた。
「違う。違うんだ」
何が違うのか、自分でもわからなかった。
ただ、そう言うしかなかった。
⸻
翌朝、ハルはいなくなっていた。
机の上に、一枚の紙が置かれていた。
『先生へ。
海を見せてくれてありがとう。
僕、初めて明日が楽しみになったよ。
だから、もう大丈夫。
先生は、嘘つきじゃなかったね。』
私は紙を握りしめ、宿を飛び出した。
駅へ走った。
警察へ電話した。
施設へ電話した。
誰も何も教えてくれなかった。
そして、その日の夕方。
世界各地で発生していた暴動が、一斉に収束した。
戦争も終わった。
株価は回復し、交通機関は正常に戻った。
ニュースキャスターは笑顔で告げた。
『未来予測装置の障害が解消されました』
私はテレビの前で膝をついた。
ハルが死んだのだと、わかった。
⸻
それから十年が経った。
私は今も教師をしている。
別の施設で、別の子供たちに勉強を教えている。
子供たちは皆、よく笑う。
将来の夢を話す子もいる。
医者になりたい。
宇宙へ行きたい。
海を見たい。
私は、そのたびに同じことを言う。
「何にだってなれるさ」
嘘だと知りながら。
⸻
先日、政府から一通の通知が届いた。
《ラプラス》の新たな研究成果についてだった。
未到達児童の犠牲によって、人類の幸福度は過去最高を記録したという。
さらに、研究によって新しい事実が判明したらしい。
人類の幸福を維持するために必要な犠牲者の数は、これまで考えられていたよりも少なくてよい。
将来的には、年間数百人程度まで削減できる見込みだという。
私はその知らせを読んで、久しぶりに笑った。
子供たちが救われる。
そう思った。
しかし、通知には続きがあった。
《なお、犠牲者一人あたりの社会貢献効率を最大化するため、今後は対象児童に十分な幸福体験を与えたのち、処分することが推奨されます》
《特に、未来への期待を強く抱いた状態での処分が、最も高い効果を示しました》
私は、最後まで読むことができなかった。
その下には、新しい教育方針が記されていた。
子供たちに夢を持たせること。
将来への希望を抱かせること。
そして、自分の人生には無限の可能性があると信じさせること。
私は窓の外を見た。
校庭では、子供たちが笑っていた。
明日を信じて。
未来を夢見て。
その幸福が、やがて彼らを殺すために使われるとも知らずに。
「先生!」
一人の少年が私を呼んだ。
「僕、大人になったら先生になりたい!」
私は微笑んだ。
「そうか」
「先生みたいに、みんなに夢を教えるんだ!」
少年は誇らしげに胸を張った。
私は彼の頭を撫でた。
そして、いつもの言葉を口にした。
「何にだってなれるさ」
少年は嬉しそうに笑った。




